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サポートタワーには、大きな休憩所も設けられていた。
壮大な雲海が一望できる《リフレッシュエリア》だ。
全体がドーナツ状の形になったエリアには、
なんでも飲める自動販売機はもちろん、
多彩な料理を出す大食堂が完備されていた。
先ほどの、目がチカチカするようなコントロールルームとは違って、
ここはとても落ち着いた雰囲気だ。
タワーで働くサポーターたちは、昼食や休息の時間になると、
フローターに乗ってここにやってくる。
下の階にはフローターの駐車スペースもあり、
エリア内でマシンが邪魔になることがない。
話がそれたのではなく、スズカたち一行はここを訪れていた。
スズカとクロワキ氏は、
雲海をのぞむ窓際のテーブルにむかい合わせに座って、
フロルが自販機で買ってきてくれたミルク缶を味わっていた。
フロルは二人のテーブルの近くでずっと立っていた。
クロワキ氏は、ラベルに黄色いヤギの絵が描かれたミルク缶を飲み干して、
うまそうに舌を鳴らしながら言った。
「っあー……このコンゴウヤギのミルクがすっきりした味わいでねえ、
わたしは昔から好みなんですよ」
『たしかに、美味しいです』
スズカは、牛乳を飲むならいちご牛乳のほうが断然好きなのだが、
このミルクも悪くないと思った。それよりも、
こうしてクロワキ氏とむかって座っている今の状況は、いったいなんなのだろう。
あの白竜さまとむかいあった時よりも緊張してしまう。
せめてハルトが隣にいてくれれば、もう少し気持ちが落ちつくのだが――。
「わたしとキミだけでは、落ちつかないんですね?」
ふいにクロワキ氏がたずねてきた。
またデバイスのせいで、こちらの考えが丸聞こえになっていたようだ。
スズカはにわかに顔を真っ赤にした。
『ごめんなさい』
「ははは! 謝らなくて結構ですよ。
こういう状況に慣れていないんですよね。
わたしはただね、なんと言いますか……キミと話をしてみたくなりまして」
『はなし?』
「いやあ、その……今回は特例もあって、
キミにいろいろな特別措置を施してきました。
でもわたしはね、もしかしたらキミに、
われわれオハコビ隊や、この世界にたいして、
複雑な印象を抱いていないかと心配しているんですよ。
だからキミには、もっと目の覚めるような特別な何かを見せてあげたくなって」
『……でも、フラップは言っていました。
オハコビ隊はこれ以上、わたしを特別あつかいできないって』
「ええ、たしかに。われわれのサービスはつねに一定。
ルールに基づいて、すべてのお客様に不可測なく提供するのが決まりです。
でもね、こうしてこのタワーを案内しているのは、あくまでもわたし個人の希望。
オハコビ隊員としてではなく、
ひとりの同じ人間としてキミをもてなしたいんです……
マスターエンジニアの特権をいかしてね」
そういうのをたしか職権乱用というんじゃ?
ニヤリとするクロワキ氏の前で、スズカは心の中でボソリとつぶやいた。
「ええ、職権乱用かもしれませんね、キミには参りましたよ。
あとで始末書を書かなくては、なんて。はっはっは!」
ううっ。また心の声が聞こえてしまったのか。
このデバイス、なんてやりにくい!
――時間は雲のようにゆっくりとすぎていった。
クロワキ氏は、フラップのような優しく丁寧な話し方でも、
だいぶ印象が違っていた。どことなくつかみどころのない感じだ。
「話は変わりますけども、スズカちゃん。
われわれオハコビ隊を最初に結成したのは、だれだと思いますか?」
『……分かりません。人間ですか?』
「ハズレ。正解はオハコビ竜なんですよ。
二百年くらい昔ですかね、フロルちゃん?」
「えっ? ああ、はい。
それくらい前に作られたと、アカデミーで教わりました」
「最初はね、ほんの数頭のオハコビ竜だけだったんですよ。
当時はメカもツールも何もなかったので、
かなり原始的な方法でヒトやモノを運んでいたそうです。
そんな活動を続けているうち、たくさんの仲間やヒトが集まり、
技術が飛躍的に発展したことで、今のオハコビ隊になりました」
『はあ……』
急にはじまった教示に、スズカは微妙な気持ちになった。
「オハコビ竜は、何かを乗せて運ぶのが大好きな生き物。
その純粋かつ美しい心ゆえに、
オハコビ隊という組織が生まれたのは必然だったと言えるでしょう。
ねえ、フロルちゃん?」
「いえっ、そんな、ふふっ……
わたしがおだてられてるみたいじゃないですか」
と、フロルは複雑な笑みを浮かべながら答えた。
「わたしのような人間の隊員たちが、
サポーターやエンジニアを買って出ているのは、
彼女たちの嘘いつわりのない竜の精神にひかれたからです。
そう、竜は嘘をつけない。言葉でも、心でも。
スズカちゃん、キミはその理由を知りたいと思いませんか?」
『えっ、なんで、そんなことを聞くんですか?』
クロワキ氏は、人目をはばかるように声を小さくして言った。
「申しわけないですが、
キミの過去について、モニカちゃんを通じて聞いたんです」
あ……。スズカは全身の血の気が引くような感じがした。
「話によると、キミは……
理不尽な嘘つきあつかいをされたトラウマがあると。
ですから、キミが『嘘』という言葉に敏感な子ではないかと思いまして。
キミは、竜が嘘をつかない理由に、少なからず興味を持っているのではと。
エンジニアの勝手な憶測ですがね」
やっぱりフラップは、モニカさんに自分の話を報告していたのだ。
でも、なぜか嫌な気分ではなかった。
むしろ、心がまた軽くなるような感じがした。
ちょっとうさん臭くても、クロワキ氏は心正しいフラップの上司だし、
話の分からない人ではなさそうだからだ。
『わたしが、竜の正直さに興味を……?』
どうなのかなあ。興味があるような、ないような……。
「――といっても、定かな答え方はできませんけどねえ。
根拠のないおとぎ話みたいなものです。
だから、そんなに気負わずに彼女から聞いてくれればと。
ね、フロルちゃん?」
「ええっ、わたしがお話するんですか!?」
クロワキ氏の急な依頼に、フロルはあわてているようだった。
「フロルちゃん、昔話とか聞かせてあげるの得意でしょう?
どのみち自分のことですし」
「ええ、まあ……お役に立てるのでしたら」
スズカはいろいろ考えたが、結局こう答えた。
『……いちおう、知りたいです』
スズカが答え、クロワキ氏が優しい顔に了承の意を浮かべるのを見たフロルは、
コホン、と軽くせきばらいした。
「――遠い昔。竜はね、真実の神さまによって生み出されたと言われているの」
『真実の神さま?』
「スカイランドに伝わる、あらゆる世界を見守る神さま。
生き物の言葉に触れて、真実と嘘をすぐに見分けることができるの。
でも、神さまずっとひとりぼっちだった。
ある日、神さまはともに永い時をすごしてくれる存在がほしくなったの。
それをきっかけに創られたのが、竜。
真実の神さまの手のひらで生まれた竜は、嘘をつく方法を知らない。
だから、竜と名のつくすべての生き物は、嘘をつくことができず、
今日という日を、真実と本意のままに生きるの……なんてね。
ただのおとぎ話だから、理由にもならないけどね」
短いおとぎ話なのに、フロルの温かく神妙な声で聴くと、
すべてが真実味を持っているかのようにスズカには思えた。
真実の神さま、か。
このツアーで会えるはずもないだろうけれど、
スカイランドには本当にいるんじゃないかな。
「正確な理由は、われわれオハコビ隊の永遠の研究テーマなんですよねえ」
クロワキ氏が、サングラスをはずして前髪をたくし上げながら言った。
一瞬だったが、クロワキ氏の優しそうな黒い目が見えた気がした。
「この世界にはねえ、白竜さまのように原初から純粋な血を引く種族もいれば、
オハコビ竜のようにあとから竜の血をもらった種族もいます。
オハコビ隊の人間は、この世界のすべての竜を理解し、
末永く共存していきたいと願っているんです。もちろんわたしもね……」
そう話すクロワキ氏の声が、
どこかしら哀愁をただよわせているような気がしたのは、
スズカの気のせいかもしれない。
スズカには知るよしもない大人の事情だ――。




