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ガレージに降りると、
レクチャー用よりもずっとピカピカなスピーダーが二台、堂々と待ちかまえていた。
燃料なのか、少しツンとする香りがする。
まわりには、ネコやキツネの姿の整備士らしいヒトたちが立っていて、
ハルトたちを笑顔で歓迎してくれた。
「マサハル様とシン様は、こちらの緑のホバーリングの機体へ。
ハルト様とモニカ様は、あちらの赤のほうへどうぞ。
モニカ様、おかえりなさいませニャ~」
ネコの整備士さんが四人を案内してくれた。
ハルトの乗る機体が赤のほうだなんて、
これはきっと、モニカさんを意識してのチョイスに違いない。
ハルトは、そのネコの整備士さんにむかって、マシンを指さしながらこう言った。
「ねえ、本番機ってすごいね。ちゃんと窓がついてるんだ。
しかも座席。レクチャー用にはなかったけど、
りっぱな安全ベルトの装置まであるんだね」
「どうだい、イカスだろ? 俺たちの技術の結晶ニャ!
中にヘルメットもあるから、忘れずにかぶってくれよニャ。
マシンの速さにびびるなよ~。でないと負けちまうからニャ」
ハルトたちはコックピットに乗りこみ、
言われたとおりにヘルメットをかぶった。着け心地は悪くない。
軽いし、内側がプニプニしているのがまたいい。
「わあっ、わたしこういうのひさしぶり!
この座り心地がたまらないな。
ハルトくん、フラップくんに負けないように、がんばろうね!」
勝ってみせる……ハルトは強く思った。
スズカちゃんに勝利を伝えるんだ。
あの子から、「ハルトくんすごいね」と言われたい――。
上から自動で安全ベルトが下ろされ、上半身ががっちりと固定される。
窓も閉まる。ホバーリングからすごいモーター音が鳴りはじめ、
機体がふわっと浮かび上がる。全身が優しい浮遊感に包まれる。
前方のシャッターが左右にさっと開き、まぶしい光に瞳を細める。
マシンから音声が聞こえてきた。
『――スタート位置まで、オートパイロットで移動します。
ハンドルにしっかりとおつかまりください』
二台のマシンは、外の直線路へむかってすいすいと軽やかに進んでいった。
観客席はあちこち空席が目立ったが、けっして少ないヒトの入りではなかった。
地上人の初々しい走りを見ようという、
ちょっと物好きな亜人衆が集まっているようだ。
マシンがグリッド――つまりスタート地点に着くと、
すでにフラップがハルトたちの隣にスタンバイしていた。
身体を前後左右に曲げ、ゆうゆうと準備体操などしている。
(当然だが、エッグポッドとそのホルダーは解除していた。)
ハルトたちがやってくると、フラップは体操をピタリとやめて、
ゴーグルの丸いスイッチを押しながら通話した――
どうやら、スピーダー内部と通信する機能があるようだ。
『ハルトくん! おたがい、楽しく競争しましょうね!
ちなみに、ぼくは速いですよ』
フラップの笑顔が、急に恐ろしく見えてきた。ハルトは虚勢を張った。
「そうだね。イメージトレーニングは積んだんだ。
ぼくはキミを……オハコビ竜を打ち負かしてやる」
初心者相手だからって手をぬくなよ……とハルトは思ったが、
胸の中ではモニカさんに必死に助けをもとめていた。
『――さあ、本日の地上人歓迎プログラムの、最後のレーサーたちです!』
場内アナウンスが大空にこだました。
スタート地点の上空には、
プロペラのついた小さなカメラが虫のように何台も飛んでいる。
それなりに物々しい雰囲気だった。
『この四人の最終選手たちは、ケント選手とアカネ選手のように、
フレッシュで目覚ましい走りを見せてくれるのでしょうか?
それでは、マシンがオートモードからマニュアルモードに切り替わります。
地上人のみなさん、がんばってくださいね!』
上空に空中モニターが現れ、カウントダウン信号が映し出された。
赤のランプが少しずつ点灯される……3,2,1,GO!
ハルトはレクチャー通り、左右のレバーをすぐさま前に倒した。
マシンは鋭いうなり声を上げて、ミサイルのように急発進した。
尋常でない重力だ。
ハルトは、背もたれのクッションに深々と押しこまれながら、
狂ったように叫び声を上げていた。
「うわあああーーーぁぁぁ!! やばいーーぃぃぃぃぃ!!」
思った以上の迫力に気おされたせいで、
せっかく蓄積してきた操縦イメージが頭から丸々吹き飛んでしまった。
スカイトレイン以来の衝撃だ。
モニカさんはいたって涼しい顔で、重圧をもろともせずこう叫んだ。
「ハルトくん、気をしっかり持って!
レバーから手を離さないようにね。ほら、フラップくんが先行したよ!」
フラップはすでに目の前を飛んで、ハルトたちに余裕で背中を見せていた。
「ああ、もう!」
ハルトは怒りに気力をふるい立たせ、レバーを倒す両手に力をこめた。
「負けるかー!」
前方に右カーブがさしかかってきた。
ハルトは右のレバーを手前に引いてカーブを曲がろうとした……が。
(やばい、逆だった!)
マシンは左のコース縁にむかってずれていった。
縁に設置されたバリアがマシンをはじいてくれなければ、
今頃雲の下へ真っ逆さまだった。
「わっ、あ~あ~っ!」
マシンはくるくるとスピンしたが、なんとかまた前をむいてくれた――
自動で進行方向にむくシステムになっているのだ――が、
ハルトはさらに取りみだした。
そのすきに、マサハルとシンのマシンにぬかれてしまった。
そこへ、モニカさんの笑い声がひびく。
「はははっ、ハルトくんたら!
左レバーを引いて右旋回だよう。落ちついていこう。
大丈夫、まだまだトップは狙えるから」
「思い出せ、思い出せ……!」
ハルトはなんとか右へ曲がりきることができた。
続く左カーブもどうにか曲がれた。
コースを走っていると、左側に青いラインが見えてきた。加速ポイントだ。
「モニカさん、よろしく!」
ハルトは青いライン目がけて突っ走った。
「ここっ!」
ラインとど真ん中で重なった瞬間、
モニカさんがタイミングよくボタンを押してくれた。
最大級の加速力をえたマシンは、火がついたようにぎゅんと速度をまして、
前のマシンをたちまちぬき返してしまった。
「やった! モニカさんすごいな!」
その後の加速ポイントも、ハルトは逃さず通過した。
最初こそドジを踏んだものの、彼はなかなかの操縦センスだった。
アップダウンの途中だろうが、螺旋ループの途中だろうが、
レバーさばきで加速ポイントをつかまえる。
そして、モニカさんの素晴らしいボタン入力で、
マシンは嬉々としたように速度を上げる。
なのに、前のレーサーたちにはなかなか追いつけない。
コックピットに映った情報では、フラップはトップのようだ。
言っていた通り強いではないか。二位はオレンジ色のフリモンだ。
トップとの差はおよそ六十メートル。
「カーブのないところでは、アクセルは全開に……!」
レクチャーの内容を自分に言い聞かせながらやらないと、集中できない。
ああ、ぼくときたらかっこ悪い。
ゲームみたいに妨害アイテムがあればなあ、とハルトは切実に思った。
「この先、垂直ループがあるよ。
しっかりつかまってて! アクセルは倒したまま!」
マシンがいきなり坂を下ったかと思うと、次の瞬間、
高さおよそ三十メートルの垂直ループに突入した。
マシンは高い速度を保ってループを上り、遠心力で肩がつぶれそうだった。
二頭のオハコビ竜たちも、ループに沿うように飛んでいる……。
「ヤッホーー!」
歓声を上げたのは、もちろんモニカさんだ。
ハルトは顔をしかめて、トップのフラップの背中をにらんでいた。
(スズカちゃん……スズカちゃん……。勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい!)
ループを乗りこなすと、コース中央に最後の加速ポイントが見えてきた。
「あれをうまく通過して! 加速力が今までの三倍だから!」
「いっけーー!」
ハルトはここぞとばかりに叫んだ。
赤のスピーダーがラインと重なる……
モニカさんの熟練のボタン入力が炸裂する……
これまでにないほどすさまじい加速力が生まれ、たちどころにフリモンをぬき去り、
みるみるうちにフラップの背後に迫っていく。
フラップが、あっ! とふりむいた時には、
ハルトたちはもうすでに彼の横についていた。
(すごいですハルトくん、ついにトップ争いだ!)
いよいよ、ゴールが目前に迫っていた。
鳥の翼をかたどったゴールゲートが見える。
ハルトとフラップは完全に並走していた。
あと百メートル……あと五十メートル……。
ハルトは祈りをこめて目をつむった。
『ゴォーーーーール!!』
スタンドから歓声がわいた。
どっちだ? どっちが先にゴールした?
『一位でフィニッシュしたのは……なんと、ハルト選手のスピーダーだあ!』
ハルトは自分の耳をうたがい、ぱっと目を開いた。
目の前に、息を切らしたフラップの顔がこちらを見ていた。
ハルトの勝利を祝福するように、満面の笑顔で両手をふっている。
「ハールートーくーん! すごいですうー!
はあぁ~、完敗ですうー!」
窓のせいでフラップの声が曇っていたが、叫んでいる言葉はよく分かった。
「ハルトくん! キミやったんだよ! 一位だよ!」
後部座席で、モニカさんが子どもみたいに大喜びしている。
「フラップくんたら、ゴール手前でバテたみたいで、減速しちゃったんだよ!
でも、ハルトくんの熱意があったからこそ、一位になれたの! おめでとう!」
モニカさんの言葉に、ハルトはひどくわれに返ったような気がした。
その言葉は、できればスズカちゃんの声で聞きたかった。
なんだかぜんぜん嬉しくない。
あの子がそばにいないというさみしさと無念が、
冷たい水のように、ハルトの小さな胸の中に広がっていた。




