終章『旅の総仕上げ』
どれくらい眠っていただろうか……。
ハルトは、乾いた陽気と陽の光を肌に感じて、ふっと目が覚めた。
体がふわふわする。先ほどまで風に乗って空を飛んでいたかのような感覚だ。
(……あれ? ここってテントの中?)
どうやら頭を寝袋の上に置かれ、
こじんまりとした緑色のテントの中で、たった一人横たわっていたようだ。
そばには着替えの服などが入ったリュックが、いくつかならべて置かれている。
その一番左端には、ハルトのリュックもあった。
ここは……そうだ、男子用のテントだ。
でも、いつの間に眠ってしまったのかな?
だれがここにぼくを横たえてくれたんだろう?
(ものすごく長い夢を見ていた気がする)
ハルトはむくっと起き上がり、
テントの細い入り口から差しこむ陽の光に目をおおった。
外から大勢の子どもたちのにぎやかな話し声が聞こえる。
なんだろう、いったいどんな楽しい話をしているの?
ハルトが入り口の切れ目に手をかけようとした時だ。
パサッ! 先にむこうから入り口を開く人がいた。
「うわわっ!」
ハルトは驚いてしゅっとのけぞった。
「あ、ハルトくん。やっと起きた?」
入り口の外には……モニカさんがいた。
白地に青いラインが入ったアウトドアジャケットを着て、
頭にはグレーの帽子をかぶっている。
「ハルトくんが一番最後だよ。
なかなか起きないんだもの、ケントくんたち心配してたよ。
きっと寝不足だったんだね」
彼女の笑顔を見た瞬間、ありとあらゆる記憶が頭の中を早駆けした。
オハコビ竜、ツアー、オハコビ隊、スカイランド、ターミナル、
白竜さま、ドラゴンスピーダー、そして黒影竜のガオル……。
次の瞬間、ハルトはモニカさんのほうに迫り、急きこむように聞いた。
「モニカさん! ぼく、夢を見てたんじゃないよね!?」
「わっ! びっくりした……もう、大声出しちゃって」
「ぼく、ぼく、その……ホントのホントに、竜に会ったんだよね?
それで、空の上のスカイランドに行って、いろいろすごい体験をして、
それで、それでその、それから……」
ハルトが気を動転させていると、
モニカさんはおかしそうにふっと吹いて、それからこう言った。
「竜かあ。それは面白い夢だったよね。ドラゴン大好きハルトくん」
「もう、茶化さないで! あれは夢なんかじゃないです!
モニカさんたちが連れてってくれたんでしょう?
フラップは? 彼はどこにいるの?」
「うん……そういう名前の子なら、このキャンプには参加してないな」
「人間の子どもじゃないよ! 竜だよ、オハコビ竜! 真っ赤な毛の――」
「いないよう」
モニカさんは片手で顔の前をあおぐしぐさをした。
「いないって、そんな……
ぼくたち、フラップたちに運ばれて、ここに帰ってきたのに」
「まあでも――」
モニカさんは人さし指をあごに当てて、
いかにもわざとらしく考えこむようなポーズを取った。
「そうだなあ、他のみんなに聞いてごらんよ。
あなたの夢が嘘かホントかは、みんなが確かめてくれるからさ」
モニカさんは、ハルトが出られるように入り口の前から下がると、
最後にウインクを一つだけ残して、その場から立ち去ってしまった。
嘘なんかじゃない。あれは全部本当なんだ、夢なんかじゃ……
ハルトは、異世界での素晴らしい思い出の数々がすべて幻になるのを恐れた。
すぐさまテントの入り口を開け放ち、自分の靴をはいて、
キャンプ場の広場に躍り出た。
そこには、二十七人のキャンプ参加者たちが勢ぞろいしていた。
みんな自分用のビール瓶ケースに腰かけ、
バラバラに分かれた四人の子のまわりに他の子が集まって、
身ぶり手ぶりを交えながら何かを話している。
「でね、ターミナルはSF映画の宇宙戦艦みたいにすーんごくでっかくて!」
「オハコビ竜があんなにたっくさんいたのは、さすがにびっくりしたなあ」
「そう、タマゴ型のカプセルだったの! それに入って、運んでもらったんだよ」
「それにしても白竜さま、きれいだったなあ……
わたし、もう一度だけでも会いたい!」
「あとね、スピードリフターっていう面白い乗り物があってね、チョー速いの!」
「それよりもっと早かったのは、やっぱりドラゴンスピーダーだよ! あれはもう――」
さまざまな語り草が、断片的に耳に飛びこんでくる……
紛れもなく、スカイランドツアーの体験談だった。
各集団の中、目を輝かせながら話を聞いている四人の子は、ツアーに参加せず、
このキャンプ場で二頭のオハコビ竜と待機していた男女たちだ。
二十三人の子どもたちは、うだるような炎天下の中、水稲で水分補給をしつつ、
自分の目で見たもの、体験したもの、感じたものを次々と話して聞かせていた。
オハコビ隊の巨大空中ターミナル、美しいハクリュウ島、
スカイサーキットでの白熱レース、はるか未来のようなホテルのロボットたちや、
食べたことのなかった料理の数々――そして、黒影竜のガオルとの遭遇について。
ハルトはテントの前で棒立ちになっていた。
夢だったかどうかなんて、聞くまでもない。
あの旅は本物だったのだ。
その感動が体のすみずみまで広がり、
喜びのあまりどう動いていいのかすら分からなくなっていた。
「みんな!」
気がつくとハルトは、そう叫んでいた。二十七人がいっせいにこちらを見た。
「ハルトくーん! やっと目が覚めたんだね!」
アカネが言った。
「ほらほら、お寝坊だよ。早く加わってよ、キミが一番肝心なんだから」
「今年のツアーで一番ヒカッてたの、お前なんだぞー。忘れちゃったのかー?」
タスクとケントが、二人同時に手招きして言った。
「ハルトくん、ほら、みんながお待ちかねですよ。
ぼくたち今、旅の総仕上げの真っ最中なんですから」
と、トキオが言った。
「総仕上げ?」
「毎年、ツアーから帰ってきたら――」
アカネが言った。
「こうして参加者みんなで、スカイランドの思い出が嘘じゃなかったってことを
確かめ合うのよ。旅の思い出話で盛り上がりながらね。
それが恒例の、『旅の総仕上げ』! まあ、あたしとケントとタスクとトキオは、
一度経験ずみだから、確かめるも何もないけど。
ねっ、スズカちゃん? あたし、あなたにもそう説明したよね~」
アカネの隣に、スズカが座っていた。
おそらく、自分から東京四人組の集まりに加わったのだろう。
スズカは嬉しそうにすっと立ち上がると、
ハルトのところへ小走りでかけよってきた。彼女は、帽子をかぶっていた。
空色の小さな竜のゲームキャラクターが刺繍された、緑色のスポーツキャップだ。
スズカは帽子をぬぐと、それをハルトのほうへ差し出した。
「あり、がと、う。これ、返す、ね。もう、すぐ、か、える、時間、だか、ら」
「あっ、そうだった……」
ハルトは今になって思い出した。その帽子は、ツアーに出かける前日、
この近くの川のほとりでスズカに貸してあげたものだった。
砂よごれが一つもない。スズカが大事にあつかっていてくれたのだ。
ハルトは帽子を受け取り、自分はにこやかな笑顔を返した。
「――来年は、見られても恥ずかしくない帽子をかぶってくるんだよ」
ハルトは、みんなに聞こえないように小声でささやいた。
「えっ、どう、い、う、意味、それ?」
スズカはキョトンとした。
「キミがあの日、ぼくに帽子を貸してって言ったのは、
そういうことだったのかなって思ってさ。
ああ、いや! でも……ホントの理由は言わなくていいよ。
たぶんその、キミも……都合っていうのがあるんだろうし――」
「……ふふっ、ふふふ、ふふ、ふふっ!」
スズカは転がるような笑い声を立てた。それから――。
(本当にごめんね、ハルトくん)
心の中で、そうつぶやいた。
その後、昼食の時間になるまで、
ハルトがツアーで一番スリリングだった出来事を説明することになった。
ツアー二日目にして起きたターミナル襲撃事件や、
スズカ救出作戦(および竜の戦場ツアー)にまつわるエピソードだ。
おびただしい数のオニ飛竜の飛来、警備部総官のフーゴの戦いぶり、
フラップたち十二頭の戦闘能力のすごさ、
そして、一連の事件にクロワキ氏が大きく関わっていたこと――。
聞く側である四人のツアー不参加者は、ハルトの話に夢中だった。
四人とも、ここぞという時にはハッとして息をのみ、
フラップのガオルが壮絶なバトルを繰り広げるシーンでは、
目を見開いて、ここ一番に食いつくような表情をした。
あとで聞くところによると、その四人もここキャンプ場で、
ペアに分かれて二頭のオハコビ竜と楽しく過ごしていたようだ。
その二頭は雌雄のペアであり、フィントとフローラという名前で、
フラップたち十二頭に劣らないほどの優しいオハコビ竜たちだった。
空高く遠い世界に行くのが怖かった子どもたちのために、
空に抱きあげて飛んであげたり、いっしょに魚釣りをしたり、
バードウォッチングをしたり、キャンプファイヤーをしたりしたという。
彼らは都合のため、フラップたちよりも早く、昨日の夜にお別れをしたのだった。
「いろいろと大変だったけど、ぼくは信じてる……
ガオルは、いつか監獄を出たら、
オハコビ隊のために力を貸してくれるようになるって。
だよね、スズカちゃん」
「うん! わた、し、も、そう、思う!」
どんなところでも、どんな姿でも、オハコビ竜はオハコビ竜。
犬のように心優しく、人間のために愛と力を注いでくれる。それが、
二十八人の子どもたちが輝くような夏の日に出会った、不思議な不思議な竜だった。
まもなく、キャンプ引率者たちが炊いてくれたごはんや、
ほっとするようなキノコ汁が完成し、
子どもたちはにぎやかに昼食を取ることだろう。
そして、迎えのバスが到着し、みんなそれぞれのわが家へと帰っていくことだろう。
しかし、その間もずっと、子どもたちの思い出話は尽きることはなく、
オハコビ竜との出会いと感動体験の記憶は、
二十八人の心の中にしっかりと刻みこまれることだろう。
そればかりか、これはオハコビ竜たちとの物語の、
ほんのはじまりにすぎないのかもしれない。
素晴らしい夏の夢は、来年も、そのまた来年もめぐってくるはずだ。
なぜなら、オハコビ竜たちとスカイランドは、あの爽やかな青空のむこうで、
子どもたちの訪れを何度でも心待ちにしているのだから。
おわり




