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賑やかな会場に足を踏み入れた途端、ドキドキしていたノアの思考はお仕事モードに切り替わった。
「殿下、前方右側にニワト……いえ、ローガン殿下とクリスティーナ嬢がおります。なんかお偉いさん達に囲まれて喋り散らかしております。あとローブを羽織った人は会場の端っこのガラス側に3人、……や4人。そんでもって更に左側奥にグレイアス先生がいますが女性に囲まれてます」
「そうか。ありがとうノア。頼りになるね」
「へへっ……でも、この後は私ーー」
「ああ、わかっている。配置がわかればもう大丈夫。あとは私に任せてくれ」
「はい!でも、何かあったら私を盾にして逃げてくださいね」
「……」
最後のノアの言葉には、アシェルは頷かなかった。
ノアからすれば、最後だけは絶対に返事をもらいたかった。
しかし返事を強要することはできない。それはアシェルが第二王子だからというわけではなく、会場に入ったらノアは一言もしゃべるなとグレイアス先生から命じられているから。
なんとも人権侵害発言であるが、これは宮廷マナーを身につけられなかった自分の応急策であることをノアはわかっているので素直に口を噤む。
そうすれば着飾ったどこぞの名のある貴族令嬢にしか見えない。
国王陛下の誕生を祝う夜会はまだ主役が登場していないというのに、大変な賑わいをみせていた。
絶え間なく音楽が奏でられ、男女のペアが円を描くようにダンスを踊り、会場の端にはノアが夢にまで見た絶品キノコ料理がある。
しかしノアがそれを口にできるのは、任務を遂行してからなのでまだまだ先。
ちなみに与えられたミッションは3つ。
一つ目は、会場に入ってすぐにアシェルに、予め指定されていた人物がどこにいるか報告すること。
二つ目は、国王陛下の登場前にダンスを一発踊ること。
三つめは、国王陛下に挨拶をすること。ただし全てアシェルが対処するので、となりで品よく笑うだけ。
以上である。
だが、たった3つといえど、されど3つ。
ミッションをこなしている最中にイレギュラーなことがあれば、無論それらは全て迅速に的確に対応しなければならない。
ノアは決して頭が良い方ではないけれど、もうすでにこの3つのミッションをクリアするのは容易では無いことに気付いている。
四方八方からの不躾な視線と、あからさまに聞こえてくるアシェルの誹謗中傷。加えて自分に対しての非難めいた囁き。
ーーああ……どうかキノコ料理が残っていますように。
そんなことを真剣に祈りながら、ノアはピンと背筋を伸ばす。こちらに向かってくる2名に気付いたから。
その人物とはニワトリ男……もといローガンとクリスティーナ。
二人は既に臨戦態勢に入っているのが嫌でもわかる。とどのつまり会場に入って数分でいきなりイレギュラー対応だ。しかも難易度が高い。
不安から、ちらりと自分をエスコートしているアシェルを見上げる。
予想に反して、盲目王子はいつも通り奇麗な笑みを浮かべていた。
対してのっしのっしとガサツな歩き方でこちらにやってきたローガンは、馬子にも衣裳という言葉を使っても「カッコイイ」とか「素敵」とか「イケてる」と口にすることに罪悪感を覚える姿だった。
同じくクリスティーナも今日も安定の派手派手しさで、「清楚」とか「気品」という言葉から逆の立ち位置にいる。例えるならアカイカタケ。無論、食用ではない。
とはいえ二人は存在感はある。関わり合いたくない類のオーラを振りまきながら歩を進める二人の邪魔をしないよう、ギャラリーたちはそそっと道を開ける。
そうして予想以上に素早くノア達の前に到着したローガンは、ニヤリと意地悪く笑った。
「おや、アシェルじゃないか。いやいや、引きこもりのお前が来るなんて思いもよらなかったぞ」
そんな失礼千万な台詞を吐いたローガンは、今度はノアに視線を移す。
「初めて見る顔だが、君も大変だな。こんな盲目の男がエスコート役じゃダンスも踊れないだろう。どうだ?良かったら俺と……って、お前、まさかあの醜女なのか!?」
ぎょっと目をむいたローガンにノアは、ふわりと微笑む。
本当は侮蔑の目を向けたい。許されるなら脛を蹴っ飛ばしたい。
でもグレイアス先生から「腹が立つことを言われたらムッとする代わりに笑え」と命じられている。あと、ここ数日は宮廷マナー講習に代わって微笑む練習をみっちりした。
女子の笑みは最強の武器だ。グレイアス先生の特訓のおかげで大変優雅な笑みを浮かべることができているノアを見て、ローガンはあからさまにたじろいだ。
ローガンの隣にいるクリスティーナに至っては、般若のお面を付けているようにしか見えない。
ーーざまあみろ。
ノアはそんな気持ちを伝えるかのように、ふふんと胸を張る。
心の中で特訓中にグレイアス先生から言われた悪口を思い出してちょっぴりしょっぱい気持ちになっているが、それを差し引いてもやっぱり気分は良い。
そしてノアの隣に立つアシェルも機嫌が良いようで、ニワトリ男にはもったいないほどの爽やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「私などを気にかけていただいたようで感謝申し上げます、兄上。ですが今日は彼女がいますからご安心ください」
そう言ってアシェルはノアの手をそっと持ち上げた。
何をするんだろう。
パチパチと瞬きをしながら事の成り行きを見守っているノアにアシェルは一度視線を向けるとニコッと微笑み、再び口を開いた。
「父親の生誕祭に参加しない息子などこの世にはおりません。それに何より私の婚約者を紹介できる特別な機会なのですから、足が折れたとて私はここに来る気持ちでおりました」
言い終えたアシェルは、なんのためらいもなくノアの手の甲に口づけたのだ。
対してノアは驚きに目を見張る。笑えというグレイアス先生の命令なんて宇宙の彼方に吹き飛んでいた。