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陽はとっくに沈み、闇が立ち込めている。
時刻は深夜と呼ばれる頃。
大人でも子供でも深い眠りに落ちているはずの時間帯に、とあるお城の一室─── 本に埋もれたグレイアスの私室のソファに向き合う二人がいた。
「──── で、お前の見解を教えてもらおうか」
最初に切り出したのはこの部屋の主であるグレイアスだ。
そして彼に瓜二つの妹フレシアは、無表情のまま一つ頷くと口を開いた。
「毒入り菓子は、メイドの手によるものです。しかし、犯人はメイドではないです」
「……ほう」
グレイアスは、ソファの肘置きに頬杖をついて先を促す。
「離宮のメイドの一人は、弱みを握られています。そのため、毒入り菓子を殿下にお出しせざるを得なかったようです」
「弱み……か」
「はい。病弱な弟の薬代を稼ぐために、どうしても悪事に手を染めなければいけなかったと白状しました。それとこの情報と引き換えに、メイドの弟の病状は幼少期に稀に発症する喘息持ちでしたので、呼吸が楽になる薬を既にメイドに渡してます。あと弟さんの身体ですが、長期治療は無いと判断しました。成長すれば、自然回復するでしょう」
「そうか。ご苦労だったな」
「……いえ」
お前どうした?と思わず聞きたくなるくらい饒舌に語ったフレシアに対し、グレイアスは驚く事無く短い返事をするだけだった。
兄妹という気安さもあるけれど、フレシアは別に無口ではない。ただ口が重いだけだ。
人より少し早回りして色んなことを考えてしまう癖があり、意味の無い会話で堂々巡りになることを恐れている。
それは臆病な性格ゆえのものであるが、グレイアスはそんな性格の妹を叱るどころか、それで良いと受け入れている。要は、見た目に反して彼は妹想いなのである。
しかし必要に迫られればフレシアはきちんと話をするし、尋ねられたことに無視をしたりはしない。
ちなみにノアに対しては、かなり好意を持っているが、いかんせんノアは口を開けばキノコのことしか喋らないので、フレシアは何と答えて良いのかわからず無言になってしまうだけ。
「で、犯人はわかったのか?」
「はい。お兄様の予測通りのお方です」
あえて名前を出さないのは、ここがお城であるため。つまり、迂闊に名前を出せない御仁なのだ。
「なるほど。しかし嬉しい気持ちはこれっぽちも無いな。まぁ……唯一気が楽になったことといえば、向こうがそういう卑劣な手を使うなら、こちらも手段は選ばなくて良いということか」
すでに目星を付けていたとはいえ、やはり予測通りであれば不快な気持ちは隠しようが無い。
グレイアスは吐き捨てるようにそういうと、瓜二つの妹に笑みを向ける。妹も、兄と同じ表情を浮かべた。
その二人の表情は、ノアが見たらきっとすぐさま地べたに這いつくばり床に額を押し付けながら「ごめんなさい」を連呼するような、恐ろしいものだった。
ここハニスフレグ国には、殿下と呼ばれる人間が二人いる。
一人は次期国王となる、ローガン・リアッド・イェ・ハニスフレグ。
もう一人は、王位継承権を剥奪されたアシェル・リアッド・イェ・ハニスフレグ。
彼らは父親は同じであるが、母親は違う。王妃と側室だ。
そして生まれた順番はたった2時間の差で、側室が先で。王妃が後だった。
その為、正当な王位継承権を持つはずのアシェルが次男となってしまった。しかも呪いをかけられ、彼は離宮での生活を強いられている。
しかしグレイアスは、この現状に何一つ納得できていない。
アシェル自身が、それで構わないというスタイルを貫いているせいで、尚のこと納得できないでいる。
だからグレイアスは、雪花の紋章を持つノアを利用しようとしている。
毎日毎日、授業という名目でここに呼びつけているのは、いわば監視のようなもの。
ただそんな非情なグレイアスとて、ノアと二つの季節を一緒に過ごせば、それ以外の感情も芽生えてしまう。
グレイアスは、ノアと過ごす時間に心地よさを覚えてしまっている。そして裏表の無い彼女に、自分の大事な妹を護衛にしようと思うくらい信頼感が芽生えている。
「ノア様には、当分の間、調査中とだけ伝えておいたほうが良い。それで良いか?フレシア」
「兄様の考えに異存はありません」
グレイアスの問いかけに、フレシアは食い気味に頷いた。
実のところ、アシェルは幼い頃から、かなりの種類の毒を摂取して耐性を付けている。おそらく毒キノコを食べたノアより耐性がある。
そして菓子に含まれている毒は微量で、どうあってもアシェルの致死量には至らない。
ではなぜ犯人が中途半端な毒入り菓子をアシェルに与えようとしているかといえば、アシェルを殺害するのが目的ではなくノアを陥れるため。
ノアは離宮とグレイアスの部屋に行動範囲が限られているが、実は毎日ノアがアシェルのを膝に乗って菓子を食べさせているのは口コミで広がり、もはや周知の事実である。お城の隅にある厩の管理人だって知っている。
そんなノアが食べさせた菓子でアシェルが体調不調を訴えれば、疑いの目はノアに向くのは当然の流れで、最悪の場合、冤罪で処刑されるだろう。
犯人はそれが目的なのだ。
ノアが目ざわりなのだ。邪魔で邪魔で仕方が無いのだ。
「きっと……ノアさまは真相を知れば、この城を出て行ってしまうでしょうね」
「ああ。それだけはどうしても避けなければならない」
フレシアの呟きに、グレイアスは間髪入れずに同意した。
毒入り菓子事件の真相をノアに伝えないのは、そこにある。
きっと知ってしまえば、自分のせいでこれ以上アシェルが危険に晒されるのは嫌だと言って、ノアは迷わず城を去ることを選ぶだろう。
あれほどアシェルからアプローチを受けても、気付きもしない鈍感娘なのに、人の心には機敏に察するから始末が悪い。
そして誰かの為に心を砕くことに対して戸惑いがないから、見ているこちらが時折もどかしいとさえ感じてしまう。
何より、ほぼ拉致という形でこの城に連行してきてしまった過去があるため、これ以上ノアには辛い思いをしてほしくなかった。
「まぁ、ノア様が城を去ろうとしたところで、そう簡単に殿下が手放すとは思えませんが……」
「それもそうだ」
再びフレシアが呟けば、今度もまたグレイアスは食い気味に頷いた。