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相変わらず暑い日が続いている。
それでもノアはアシェルの午後のお茶に付き合い、グレイアス先生のスパルタ授業を受け、お土産でいただく課題もなんとかこなしている。
同じことを繰り返す日々だけれど、それでも飽きることも、弱音を吐くことも、手を抜くこともせずに毎日頑張っている。
だって、それがお仕事だから。
たとえフレシアの魔法を使っても、アシェルがなぜかお茶の時間に限り感覚が鈍くなって”あーん”をねだられても、セクハラ行為だとノアは拒絶することはしない。
親鳥よろしく、毎日彼の口にせっせとお菓子を運ぶ。
そして、それをする際には必ずメイドや側近その1その2が生温い笑みを浮かべる。
しかし人間とは慣れる生き物。ノアはもう、もじもじしたりしない。盲目王子のお膝に乗っても堂々たる姿で、アシェルの口に菓子を運ぶのであった。
しかし、慣れないものはある。
ううーん、と頭を悩ますことだってある。
まず慣れないものの筆頭に、グレイアス先生の授業が挙げられる。
相変わらず眠いし、理解不可能だし、この後の人生にどう考えたって必要だと思わないから身に入らない。
あと違う意味で、毎度食事に出されるシェフのキノコ料理には、いつも新鮮な感動を覚える。
でも美しく素朴な曲線美を描くあの食材が奇麗に盛り付けられた一品に慣れてしまうのは、キノコへの冒涜だとノアは思っている。だからこれは慣れてはいけないものなのだ。
そしてもう、今のノアにとってキノコ料理を作ってくれるシェフこそが、キノコの精霊そのものだと思っている。
─── というキノコ談義はどうでも良い。厳密に言うとどうでも良くはないが、それでも重要度は低い。
今現在、ノアが頭を悩ましているのは別のことだった。
お茶の時間が終わり、アシェルは側近2名を引き連れて政務室と戻った。
そしてノアはいつも通りグレイアス先生の授業の為に移動するのだが、今日はちょっとだけ寄り道をしている。
「……ノア様。今日もありました」
「そっかぁ。フレシアさん、教えてくれてありがとう」
「……いえ」
人気の無い、離宮とお城を繋ぐ渡り廊下の近くの花壇にしゃがみ込んで、護衛こと魔術師フレシアから報告を受けつつ手渡されたものを見て、ノアは深いため息を吐く。
手のひらに乗っているのは、一口大のチュロスという名菓子だ。
油で揚げたそれは表面はサクサクなのに中はしっとりで、とても美味しい。
でも今、ノアの手のひらに乗っているそれは味は良いのかもしれないが、身体に良くはない。
端的に言えば、この中には毒が混入されているのだ。
それだけでも大変物騒な話であるが、実はここ数日、お茶の時間に出される菓子に限って毒が混入していたりする。
幼い頃から毒キノコを何度も食して死にかけた経験を持つノアは、ある程度毒に耐性がある。
だからアシェルに止められても、ずっとずっと彼の食事の毒見を勝手に引き受けていた。しかし、出される菓子全部を確認することはできない。
特に今日のような小粒の菓子が出されると、毒見の途中でアシェルに気付かれてしまい止められてしまうのだ。
だからノアはフレシアにお願いして、魔法で事前に毒が混入しているものが万が一あったら避けて欲しいとお願いした。そんな都合の良い魔法があるのかわからないが、フレシアは引き受けてくれた。
その結果、アシェルの口に入る前に毒入り菓子を発見することができたのだ。
しかし、毒入り菓子のことはアシェルには伝えていない。側近その1その2にも、もちろん。
このことを知っているのは、ノアとフレシアだけ。
そして、できればこの件は自分とフレシアの二人だけで処理したいと思っている。
なぜなら迷探偵ノアの推理では、犯人はこの離宮で働く者に限られているから。言い換えるとアシェルに信頼を置いていると言わせた者たちばかりなのだ。
だからこの事件が明るみに出てしまうと、きっとアシェルは裏切られたと思い、深く傷付くだろう。
人を疑うより、信じた方が良いのは正論だ。
しかし信じた者に裏切られ、また再び誰かを無条件に信じられるかと言われれば話は違う。一度経験したそれはトラウマとなって、信じたいと思ったってできなくなるかもしれない。
そんな辛い思いを、ノアはアシェルにしてほしくなかった。
といっても自称迷探偵ノアの頭脳には限界がある。
そんなわけでノアは、頭脳明晰、嫌味センス抜群の先生に力を借りることにした。
教室と言う名の稀代の魔術師の私室で、これまでの経緯と毒入り菓子を渡した途端、グレイアス先生は、怖い先生の顔から、ものっすごい怖い盲目王子の味方の顔になった。
「───── なるほど。ではこの菓子は一旦預かります」
「はい。あ、でも食べちゃダメですよ。毒入りですから」
「……あなたと違って、そんなことしませんよ」
念のためにと親切心で伝えただけなのに、冷たい視線が返ってきて思わずノアは、「食べてなんかいないもん」と言い返したい。
しかし今更食い意地が張っているかいないかを論議したところで、グレイアス先生における自分の評価はさほど変わらないことをノアはちゃんと知っている。
だからノアは、自分の名誉を守る為に時間を割くより、この毒入りの件についてもっと深く話し合うべきだと判断した。
「それでグレイアス先生。このお菓子一つで、犯人わかりますか?」
「どうでしょうね。今はなんとも」
グレイアス先生は現在菓子を日に透かして見たり、手のひらでコロコロ転がしたり、なんか専門家っぽいことをしている。
なのに返ってきた言葉は、期待値をはるかに下回るものだった。
自分のおつむが残念なことを棚にあげて、ノアは思わず肩を落としてしまった。