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「......殿下、どうぞお菓子です。今日はマカロンですよ」
「ん、ありがとう」
先程、結構な内容のカミングアウトを聞いてしまったノアは、ぎこちなさを隠すことができないままアシェルの前に菓子が乗った皿を置く。
4ヶ月もの間、ほぼ毎日ロイヤル級のお菓子を食していれば、貧乏孤児院育ちのノアだってちょっとはお菓子の名称を覚えることができる。
そんなわけでテーブルに用意されているもう一つのデザートには、専用のスプーンがあることもちゃんとわかっている。
「殿下、今日はマスカットのジュレもあるからこれ使ってください」
喉ごしが良く冷たいデザートを用意してくれたメイドさんに感謝しつつ、ノアが小さなスプーンをアシェルに手渡そうとしたけれど、なぜか彼は手を伸ばさない。
「......ごめんね、ノア。今日はかなり調子が悪くって、どこにあるのかわからないんだ。今日はやめておくよ」
すかさず後ろに控えていたイーサンとワイアットは白けた顔で「へぇ」と呟くが、幸いノアの元には届かない。
そしてノアは、アシェルの言葉を生真面目に受け止め痛々しい表情を浮かべた。
「......そうなんですか。これ、美味しいのに」
魔法大国の中枢であるお城だからこそ、魔法をカジュアルに使ってこの暑い季節に冷たいデザートが食べることができる。
(なのに、毎日お国のために盲目というハンデを抱えながら休みなく働いている殿下が食べれないなんて......それはちょっと理不尽だ)
ここに来る途中、明らかに仕事をサボっている官僚が、わはっはっと笑いながらジェラートを食べているのを見てしまったノアからすれば、余計にこのひんやりデザートを食べて欲しい。
ノアはむむっと渋面を作る。
だがすぐに、一人で食べれないから辞退しようとするなら、他に方法があるじゃないかと閃いた。
と同時に、アシェルが口を開く。
「ノアが食べさせてくれるなら、私も食べたいな」
「あ、良いですよ」
アシェルの提案に、ノアはあっさりとうなずいた。まさに今、自分が考えていたことと同じだったので。
しかし、次のアシェルの言葉で、ノアはスプーンを手にしたまま固まった。
「じゃあ、こっちにおいで」
そう言って、アシェルは己の膝を軽く叩いた。
(え?膝に座れって......え??私が、殿下のお膝の上に??)
もしかして今彼がしている仕草は、そういう意味ではないかもしれない。
王族だけがわかる何かしらの暗号なのかもしれない。しかしド平民育ちのノアには、お膝に座れと命じられているようにしか受け取れない。
「ノア、早く」
ほんの少しだけ焦れた声でアシェルはノアを急かす。
対してノアは実行に移す勇気がなく、救いを求めるように殿下の側近その1その2に目を向ける。
しかし彼らは揃ってノアから目を逸らすと、また「あっつ」と呟いた。
結局、雇用主の命令は絶対という不文律に縛られているノアは、葛藤の末、アシェルの膝の上に着席することを選んだ。
まぁ……食べさせるだけなら別に座らなくても良いじゃんと思う。
けれどノアがそれを不服と思っておらず、かつノアを膝に乗せている盲目王子は不服どころか大層ご機嫌でいらっしゃるから、誰も文句を言う権利は無い。
「で、では……どうぞ」
「───……ん。美味しい」
婚約者をお膝の上に乗せて、デザートを食べさせてもらっているアシェルを見ている側近の目は虚ろだった。
多分、暑いのだろう。そう、季節は夏で日差しが強いから、とても暑いのだ。
たとえ彼らが去年も一昨年も長袖の騎士服姿に加えて、ふぁさーとしたマントまで身に着けていたのに、汗一つかいていなかったという過去があったとしても。今年の夏は暑いのである。
「ノア、今度はマカロンが食べたいな」
「あ、はい。どうぞ」
側近の表情を見る気もないノアは、アシェルの望むままにマカロンを手に取って彼の手に乗せようとした。さすがに素手なら、一人で食べることに支障はないと判断して。
しかし、アシェルは受け取ろうとしない。
(え??つまり、これも食べさせろってことですか)
ノアはマカロンを指で摘まんだまま、頬を引きつらせる。
アシェルの膝の上に座って、アシェルにジュレを”あーん”して、アシェルの口にマカロンをねじ込むことは嫌ではない。
しかし、ここは離宮の庭園でメイドという名のギャラリーがいる。
そして彼女たちは揃いも揃って、生温い目で自分とアシェルを見ているのだ。
そこに悪意は無い。いやむしろ好意的な視線を送っている。しかし彼女たちは、殿下が目が見えないことを良いことに互いの肘を突っつきあっていたり、身悶えしていたり、頬に両手を当てくねくねしていたりと忙しい。
(これ、きっつ。きっついわ……これ)
殿下のお膝の上で珍獣扱いを受けるのはキツイ。
だがそれより、夢見る乙女のような表情で成り行きを見守っているメイドたちを既に裏切っている現実の方が辛いのだ。
だって自分、仮初めの婚約者だし。こうしているのは仕事だし。
「ノア、どうしたの?」
罪悪感を覚えて摘まんだのマカロンをプルプルさせているノアのことなどお構いなしに、アシェルは微笑みながら急かしてくる。
アシェルはこの光景を見ることができないから、こんな無理難題を吹っ掛けてきているのはわかっている。無論、ノアもわざわざ彼にチクるよな真似をしたくはない。
そんな葛藤を抱えるノアは、無意識に「うううううっ」と唸る。
(なぜ菓子一つでここまで追い詰められないといけないのだろう)
ノアは心の中で呟き、途方に暮れた。
しかしアシェルはまったくその様子に気付いていないし、側近たちは更に気配を消している。
そんな中、突如この熱帯庭園に一人の救世主が現れた。