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「......もしかしてノアは、あの時見せた書簡のことを気にしているのかな?」
盲目なのだから表情を読むことはできないはずなのに、アシェルはものの見事にノアが現在進行形で頭を抱えている案件を読み取った。
「はい。めっちゃ気にしています」
ここで嘘をついたところでどうなるという思いから、ノアはあっさりと認めた。ただ、一つ付け足す。
「殿下が国王陛下から、どんなお咎めを受けるかと思うと、不安ですし、心配です」
「......私を心配してくれるの?」
「当たり前じゃないですか」
何を馬鹿なことを聞いてくれるんだと、ノアは自分の立場を忘れてムッとしてしまった。
ちなみにノアは、同じお城の敷地内にかれこれ3ヶ月以上過ごしているのに、国王陛下に会ったことは無い。
まぁ、会いたくてもフランクに会えるお方じゃないし、法であり秩序であるお方を騙しているので、好き好んで会いたいとも思っていなかった。
だがしかし、一度くらい会っておけば良かったなぁーなんて思っている。
それは物見遊佐的なノリじゃなく、人となりがわかっていれば、上手にこの婚約を白紙にできると思ったから。
─── と、そこまで考えたノアだけれど、まだ手遅れではないということに気づいた。
「んー......出すぎた真似かもしれませんが、私から国王陛下にお伝えしましょうか?」
自覚は無いが、ノアは初代国王陛下の伴侶の生まれ変わりだ。
本当に自覚は無いし、そのことをうっかり忘れるなんて日常茶飯事だし、魔法を勉強し続けていても、聖霊姫っぽい何かに開花する予兆すらないけれど。
でも、自分は初代国王陛下の伴侶の生まれ変わりだ。だって国王陛下がそう認めたのだから、間違いない。
そしてそんな自分が「やっぱ結婚はナシの方向で」と告げれば、聖霊姫の生まれ変わりのワガママとして受け止めて貰えるだろう。
見方を変えると、アシェルは大々的にフラれるという形になってしまうが、それでもこの婚約について変に疑われることはないだろう。
あと、ワガママついでに、アシェルにもうお見合い話を持ってこないでとお願いしてみようとも思う。
だって自分は聖霊姫の生まれ変わりだと一方的にさらわれたのだから、それくらい最後にワガママを言ってもバチは当たらないだろう。
まぁ、口約束で終わるかもしれないが、それでもしばらくはアシェルの平穏は守られると思う。それ以降は己の力で何とか乗り気って欲しい。
そんなことを頭の中でぼんやり考えてながら、アシェルからの返事を待っていた。
だが、彼が口にしたのは、とても意外なものだった。
「ノアが陛下に会う必要はないよ。だって、あの書簡は偽物だから」
さらりと告げられた言葉を、ノアはうまく咀嚼できなかった。
──待つこと数分。
ノアはゆっくりと時間をかけて理解した結果、たった一言だけ紡ぐことができた。
「は?」
いろんな感情が凝縮された一言を向けられたアシェルは、ただニコニコしている。
ついさっき、あれほど的確にノアの気持ちを読み取ったというのに、今はただただ微笑んでいるだけ。
「……殿下、あのですね」
「ん?どうしたんだい?」
にこにこ顔を崩さず、アシェルは続きを促す。ただ、その笑みはどことなく圧がある。
そこにいい加減気付けと思うが、ノアは今自分の身に降りかかった災難を振り払うことで精一杯だった。
「今の件、聞かなかったことにして良いですか?」
いろいろ考えたけれど保身に走ることにしたノアに、アシェルはどうとでも取れる笑みを向けるだけ。
そして一切表情を崩さず、ぽつりと呟いた。
「……ま、あんな初歩の魔法に気付けないんだから、あいつだって陛下に密告もできないだろうしね」
これをノアがちゃんと聞き取ったかどうかは定かではない。
ただ、もし仮に聞いてしまっていても、次に起こる展開で奇麗さっぱり忘れることになる。
「あっ、お話中すんませんっ。ちょっと良いすか?」
急に二人の間に割り込んできたのは、アシェルの側近その1であるイーサンだった。
その口調はまるで台詞を棒読みしているかのようだが、さして深い付き合いをしているわけではないノアは、そんなもんだと疑問にすら思わない。
アシェルもノアと同様に側近の不審な口調に対して気にする素振りはない。
「どうした?手短にしてくれ」
顔だけをイーサンに向け続きを促せば、側近その1はまるで見えないカンペを探すように目を泳がせながら口を開く。
「えっと……実は今の今、ノアさん宛に手紙が届いたんで……このタイミングで渡すのもアレなんですが、一応お伝えしておいた方が良かったか……あれ?悪かったのか?えっと───」
「渡してあげてくれ」
棒読みかつ挙動不審なイーサンの言葉を遮るように、アシェルは顎で指示を出す。
ちなみにノアはこの現状を孤児院のロキにはこう伝えている。
森で知り合った知らない人に良い仕事を紹介してもらえて、それが定員1名で即面接に行かないと他の人に決まってしまいそうだったから、着の身着のまま王都へ向かってしまった。幸い面接に受かって王都で働いている、と。
そんなあやふやで突っ込みどころ満載の説明で誰が信用するのかと思うが、ロキはあっさり納得した。
まぁ……もしかして最初は怪しんでいたのかもしれない。
だが、定期的にイーサンが商人に変装してロキに手紙と仕送りを届け、かつロキからの手紙はちゃんとノアに届いているのことが安心材料になっているようで、現在ロキから届く手紙には、不審がる内容は一切書かれていない。
─── というノアのご家庭事情は置いておいて、イーサンは上着のポケットから手紙を取り出すとノアに手渡した。
すかさず、アシェルが口を開く。
「ノア、ここで読んでいいよ」
まるでノアが今すぐにでも読みたくてうずうずしているように聞こえるが、ノアは別にここで読みたいとは、これっぽっちも思ってはいなかった。