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盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない  作者: 当麻月菜
庇護欲をそそるという言葉は、何も女子供に向けてのものだけじゃない
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「─── 明後日はお給料日だね。あまり聞いて良いことじゃないかもしれないけど……ノアは、お給料は何に使うのかな?」


 ぎゅっとノアの腰を抱いたまま、アシェルが唐突に切り出した。


「そうですね、ほとんどはお世話になった孤児院に仕送りしています。でも、屋根が───」

「そっか。ノアは優しいね。でも、せっかく自分で稼いだお金なんだから、ちょっとは自分の為に使ってごらん」

「……ううーん、自分の為にですかぁ」


 これは退職願いを口にするチャンスだと思ったノアではあるが、さらりと話題が変わってしまい渋面を作ってしまう。


「欲しいものは無いのかな?」

「無いですよ」

「キノコも?」

「キノコは好きですけど、どっちかっていうと自分の手で新種のキノコを見つけるのに喜びを感じているので、市場に行って買おうとは思いませんね」


 正確に言うなら、庶民の市場で購入できるキノコは既に食べつくしているし、このお城で高級キノコも毎日食べさせていただいているから、大切なお給料から買う必要は無いのだ。


 でも、そんな懇切丁寧な説明を受けたところで興味は無いだろう。聞きたくもない話を聞かされるのは、長ったらしいお説教を聞くより苦痛でしかない。


 そんな理由でノアが端的な説明を終えると、アシェルは「なるほどね」と言ってくつくつ笑う。


 アシェルの顔は今、ノアのお腹にくっついている。だから彼が笑うたびに、お腹が揺れて少しくすぐったい。


 思わずもじっと身を捩れば、それを阻止するようにアシェルの巻き付く腕の力が強くなる。


 でも彼は笑いを止めない。そして、笑いながら問いを重ねる。


「じゃあ、誰かに何かを贈りたいとも思わない?」

「ですから、孤児院に仕送りしてますよ」


 なんで同じ質問を2度も繰り返すのかと思うが、きっとアシェルは自分がした質問すら忘れるくらい疲れているのだろうとノアは結論付ける。

 

 でも、そうではなかったようだ。


「違う違う。特別な誰かに何かをあげたいんじゃないかなと思ってさ」


 ”特別な誰か”その含みのある響きに、ノアはまったく気付くこともしないで「いないですよー」とあっけらかんと答える。


 実際、居ないのだ。孤児院の仲間は家族のように大切だし、ロキもおっかないけれど実の親より愛情を持っているが、ノアにとったら一括りの複数形である。


 もちろん、恋慕う相手もいないし、そういう出会いも皆無だった。 

 

 そんなわけでやましい気持ちゼロのまま即答したノアに、アシェルは「……そっか」と呟く。つまらなそうというよりは、何かそこに思惑があるような響きだった。


 けれど、残念ながら今回もノアはそれに気付かない。


 それよりも退職願を切り出す方に重点を置いていた。そして意を決して、口を開く。


「あのう殿下、実はですね、私明後日のお給料をいただいたらそろそろ───…… え?」


 普段から眼を閉じているアシェルだけれど、今はくすくす笑いが止まっている。そして規則正しい、微かな息遣いがお腹に伝わってきた。


(寝ちゃったかな?)

    

 グレイアス先生の授業を免除してもらう代わりに膝を差し出したので、このまま寝られることに対して意義を唱えるつもりはない。


 それに、こんな貧相な膝で心地よく寝てもらえるのは、飼いたての子犬から心を許されたかのようで、何だか嬉しくて誇らしい。


「……ゆっくり休んで下さいね。殿下」


 ノアはそっとアシェルの前髪に触れる。


 さらさらとした銀色の髪は、指の隙間をすり抜けてアシェルの顔を隠す。


(寝顔を見るのは、失礼だよね)


 無防備な殿下の寝顔を見ることなんてこの先一生無いから、もうちょっとだけ見たかったけれど、デリカシーの無い奴と思われるのは不本意なのでノアは眼を閉じる。


 雨は相変わらず、ざあざあと降り続いている。


 でも、その音がまるで子守歌のように心地よく─── 気づけば執務部屋では二つの寝息が重なっていた。





 執務室に響いていた寝息が、一つに減った。


 と当時に、ノアの膝でうたた寝をしていたアシェルが静かに身を起こした。


 物音立てないその動きは滑らかで、ついさっきまで微睡んでいたとは思えないそれ。ま、普段から眼を閉じている彼が狸寝入りをするなんて造作も無いこと。


「寝顔、可愛いな」


 ソファの背にくたりと身を預けて眠っているノアを、より寝やすいようにアシェルはそっと横たえる。


 眼が見えてないはずなのに、端にあったクッションを取り、的確に枕代わりにノアの頭の下に差し込む。


 そしてすぐ隣にある執務机に腰掛けた途端、カチャリと扉が開き、側近その1であるイーサンが姿を現した。


「おや、寝てますか」

「……しっ、まだ起こすな。疲れているんだから、しばらく寝かせてやれ」


 ノアに向けたこともない厳しい声で側近を制したけれど、そう言われた側近は「はいはい」と言葉無く頷いた。


 ノアは知らないけれど、本来アシェルは決して穏やかな人間ではない。どちらかと言えば、冷徹で感情の起伏が少なく、ローガンより遥かに王の威厳が備わっている。


 そんな彼がノアにだけ穏やかに優しく紳士的に接するのには訳がある。


 一つは、とある目的の為に、ノアを一日でも長くここに留まらせておくため。

 もう一つは、純粋に身体が動くのだ。意識せずともノアに対してだけ、勝手にそうなってしまうのである。 


 二つ目の理由は、ノアが女性でアシェルが男であるからそうなるものなのだけれど、実は当の本人であるアシェルはその自覚が無い。


 でも、側近の前では明確な理由に気付けないまま、本音を垂れ流してしまう。


「ノアはね、どうやら特定の男を好いているわけじゃないみたいなんだ。……良かった」

「あー、そうですか」

「でも、どうやら孤児院には帰りたがっているみたいなんだよね」

「まぁ、生まれ育った場所ですから里心が付くのは当然でしょう?」

「ここが居心地悪いっていうことか?」

「……殿下、めっちゃ面倒くさいです」


 小声でコソコソ会話をしている内容は、おおよそ国にその身を捧げた人間の者ではない。


 しかし、アシェルは焦っていた。側近につい愚痴ってしまうくらいに。


 ノアは仮初の婚約者としては申し分ない働きをしてくれている。

 まるで操り人形のように、こちらの思惑通りに不満を漏らすことなく動いてくれている。


 しかしアシェルは、ノアが「仕事だ」という雰囲気を出す度に、言いようのない苛立ちともやもやを覚えてしまうのだ。


 思わずノアの柔らかい頬っぺたを、むにっと引っ張りたくなるほどに。


 しかも、どうして自分がそこまで感情的になるか、わからないことに対して更に苛立ってしまう。


 自分で認めるのは癪だが、相当面倒くさい人種になっている。


「……で、予定通り進んでいるか?」

「もちろんですよ。手紙も預かっていますが、それは明後日の方が効果的だと思いますので、当日渡します」

「ああ、そうしてくれ」


 イーサンから望む返答をもらえて、アシェルの気持ちは少しは落ち着いた。


 里心がついてしまったノアには申し訳ないが、孤児院に戻るのは当分先にしてもらう。長年計画していたある目的を果たすために。


 しかし、アシェルは心の中で決めている。


 たとえ目的を果たしたとしてもノアを絶対に手放さない、と。

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