第5話:武神と死神
自宅に着いた俺達。今日の夕飯はミィちゃんが担当で、さっきからまな板の上のタマネギを微塵切りにしながら
「これは泣きゲーですね、マストビー」
とか微妙に分かるようなことを言いながら涙をこぼしている。カレー作ってるようです。家事能力がほんとんどない俺が出来る事といえば、家の床を雑巾ガケすることくらいで、今はこうして廊下にタッタッタっと雑巾を走らせているのだ。隣の居間ではミキさんがアメを口に転がしながら洗濯物を畳んでいる。もともと大人びた雰囲気があるのでこういう主婦っぽいことがさりげなく似合ってる。ここでこのくらいなら出来るだろ、と侮るなかれ。俺がいかに必死にタオルを畳もうとも、鼻歌交じりにミキさんが畳んだそれとは速度で3倍、精度で2倍は違うのだ。
「それじゃぁさっきの続きね」
テーブルでジャガイモの皮を剥いているマリサが切り出す。シンシアちゃんのお話ね。え〜っと、今度は
「ミキさん御願いします」
親指を立てて御願い。するとミキさんは手を止め、モニター画面という異次元な方に赤い瞳を向けて
「VTR、どうぞ」
微笑んだ。
早朝、桜花学園の来賓室。テーブルを挟んでソファーに向かい合わせで座っているのは真っ黒な空手胴着を着たラッセルと、桜花学園の前学園長であるスーツ姿の西門だ。反りあがったアゴを摩りながらラッセルは
「本当ニ、ココノ学園ハ大丈夫ナンデショーネ?」
たどたどしい日本語で話しかけた。
彼がこうして心配している理由は、今朝の桜花学園までの道中、一緒に挨拶に付いて来たシンシアに
”コーヒー買ってくるからちょっと待っててねシーちゃん”
と少し目を放した隙にモヒカン頭の不良達に絡まれていたからだ。
もちろん非は彼らのほうにあるのだが、駅前にゴシックなメイド服を着たブロンド美人が立っていたら、今の日本だと良からぬ誤解をされても仕方がない。例え母国では使用人としての正装であっても、ここではサブカルシャーとしての方がメジャーな彼女の服装は、本人が意図しない注意や目線をグイグイと引いてしまうのだ。で結果、この付近には武装高校なる問題校があるというロケーションの悪さも手伝って
”ネーちゃん朝からぶっ飛んでるね”
とモヒカン学ランという残念なメンツに囲まれていたのだ。もちろんそこにラッセルは飛んでいって
”日本男児トシテ恥ヲ知リンサーイ!”
どこかの漫画で見たようなセリフと共にぶっ飛ばした。もちろん彼女、”シンシア・フリーベリ”がその辺のチンピラなんぞに危ない目に遭わされるとは全く思っていなかったのだが、アメリカよりずっと治安が良いと思っていた日本に到着した矢先のこれだったから、ラッセルは思わず手加減を忘れて彼らをお星様に変えたのだ。
とにかくそんな事もあって、彼は目の前で揉み手している学園長の西門にここの治安について根掘り葉掘り怪しい日本語で尋ねたのだ。生徒の安全管理は出来ているのかと。早い話が目に入れてもいたくない愛娘のマリサや、家族同然というか家族そのものであるシンシアが心配だったのだ。それに対して西門が提示した答えがこれだ。ソファーに座ったまま入り口扉の方に向いて
「園田君、入ってきて下さい」
少し間をおいて
「失礼します」
と、扉を開けて入って来たのは流れるような長い黒髪が美しい、スレンダーな体型の女子生徒だった。透き通るような白い肌、端正な顔立ちには栗色の瞳、意思の強さを感じさせる真一文字に結んだ口元。右手でその髪をサラサラサラと流し、左手には映画でしか見たことがない、朱塗りの”サムライソード”を手にしていた。彼女が言うまでもなく武神、園田美雪だ。このときラッセルの頭に浮かんだ言葉ただ”ビューティフル”の一語であり、側で控えているシンシアの脳内にも同じ言葉浮かんでいた。”すごく綺麗な女性ですね”と。
園田君と呼ばれて来たこの美人はラッセルとシンシアを一瞥してから
「お呼びでしょうか先生」
凛とした声で西門に答えた。西門はラッセルとシンシアを紹介するように彼らに手を向け
「こちらは今年度から、桜花学園に留学生として入学される八雲さんの父君ラッセルさんと、そのお世話をされるフリーベリさんです」
言われてミユキは二人にお辞儀して
「初めまして。今年度から桜花学園生徒会長を担当する園田美雪です」
サラサラサラと肩に黒髪を滑らせた。このとき彼らはまだ、美月を通じて接点があるということを知らなかった。
西門はミユキが生活指導担当にくわえ、学園の警備も担当していることを説明した。つまりはマリサの安全はこの女子生徒が保障するというのだ。ここでラッセルはマリサの入学を断念する。彼も素人ではないからミユキがただの学園生でないことは一目で分かった。恐らくは相当に強い。しかし彼が気に入らなかったのは、学園生を学園生に守らせるという彼の教育方針だった。しかしそれを今は顔に出さず、ラッセルは立ち上がってミユキに頭を下げて手を差し出し
「初メマシテ園田サン、ラッセル八雲デス。天婦羅ニハ醤油……」
意味不明な挨拶と共に彼女と握手し、続いてシンシアも
「初めまして園田さん。シンシア・フリーベリと申します。以後よろしく御願いします」
と手を取った、が。ここでシンシアがした握手は一般のそれとは大きく異なる。
これまで死神として仕事をしていた彼女にとって、米国では初対面の相手に必ず行うこの握手という挨拶は目標を知る上で最も大きな情報源の一つなのだ。握力、皮膚の質感、姿勢、手の合わせ方、その際の骨の軋み、筋肉の反応などをまるで精密機器のように読み取り、身体能力や体の欠陥、性格、そして生活スタイルから従事する仕事の内容までも見抜いてしまうのだ。そしてそれは即座に彼女にイメージとして脳内に伝えられる。それは時に狡猾なキツネ、時に力強いクマ、時に執拗なヘビ、と動物的なイメージだ。例えば以前に八雲邸を襲撃してきたヒットマンは”群れた狼”だ。各々が自分に自信と誇りを持ち、そしてそれに相応しい爪と牙を持った狼。しかしながら狼にありがちな単独行動派ではなく、自らを律して集団の妙が加わった中々優れた相手。それがシンシアのイメージだった。
そして今、彼女がミユキの手を握って連想したもの、それは”美しく優しい鬼”、”美優鬼”だ。生まれて初めて現存しない生物のイメージが脳裏に浮かんだ。底が見えない程のありえない力、戦えば無事ではすまない武技。しかしながらそれを決して無為には振るわない優しさと心の強さを持った鬼。だから力の面でも心の面でも、シンシアは彼女とは争いたくないと思った。しかしその一方で
「お手合わせして頂けませんか?」
”戦ってみたい”とも思った。ラッセルがマリサ入学を快諾したのはこの瞬間だった。
「シーちゃん、アナタノ負ケデス」
予想外の主の一言に振り返ると、足元に細切れにされた無数の鉄クズが散らばった。シンシアの明晰な頭脳が即座に読み取ったのはその個数が八十八のパーツに分類され、それが22セットになるということ。そしてその1セットを組み上げると自分がスカートの中に隠し持っていた手投げナイフになるということだ。直後にカチンという金属音がした。ミユキが納刀している。見えなかった。その事実がシンシアの青い瞳を揺らした。すると
「いいえラッセルさん。私の負けです」
ミユキがラッセルの方を流し目した。
「彼女はあなたを守りきり、私は学園長を守りきれなかった」
事態を把握していないニシカド、その傾げた首にはキラキラとした髪よりも細いワイヤーが絡んでいた。
「ジャンルとか怪しくないですかキョウタロウ?」
「まぁお姉様ルートだと格闘は必須でしょミキさん」
誰もいない静かなグランド。その中央で3m程の距離を置いて向かい合っているのは武神ミユキと死神シンシア。立会いは学園長ニシカドとラッセル。戦う表向きの理由は
”姫ヲ預カル学園ノ最終兵器ノ腕前ヲ見セテ下サイ”
というラッセルの願いだ。本当はもうその実力が、自分が絶対の信頼を置くシンシアと同等かそれ以上であると分かっていながら、彼はあえてそんなことを言って二人を戦わせようとしているのだ。純粋に見たかったのだ。この人間離れした二人、どっちが強いのだと。そしてラッセルのそんな考えをミユキもシンシアも分かっていたのだが、もちろんそんな私的な理由での私闘は認められない。だからこれは極秘だ。そしてそれを黙認、了承した学園長の真意、それはシンプルイズベスト。
「お金よ。腕前見せてくれたら学園に寄付するって」
「だろうねマリサ。こんなだから逮捕されたんだって」
「武器はどうしますかラッセルさん。園田君は抜刀が得意なんですが、もちろん素手でも構いません」
ニシカドが隣でアゴを摩っているラッセルに尋ねると
「モチロンOKデス。シーちゃんはトッテモ強イデスカラ。タダシ、シーちゃんニモ1ツダケ武器ノ使用ヲ認メテ頂ケマスカ?」
シンシアはギュっと右手に黒い革の手袋を填めた。もちろんこれはただの手袋ではない。中には砂鉄が含まれていて強く握れば拳の前にそれが密集して鋼鉄の凶器と化し、手を広げれば編みこまれた防刃能力のある強化繊維が掌を覆って盾となり、そして何より指の付け根にはピアノ線より強力な特殊なワイヤーが仕込まれているのだ。
「無論です。いいですか園田君?」
ニシカドの目線にミユキは小首を傾げた。彼女の”OK”サインだ。しかし
「一つといわず、持っているその全てを使って頂けませんか?」
冷淡な笑みを浮かべた目の前の武神に、死神は戦慄した。その目線がまるで指で指摘していくように一つ、二つ、三つと、空港の金属探知機やエージェントのボディチェックですら通過した自分の”奥の手”の在り処を順に指していったのだから。そしてそれはラッセル自身も知らないことだった。彼女は知らずに流れていた額の汗をそっと拭って
「恐ろしい方ですね。ですが、種が割れてしまったら使っても意味がありません」
感服と驚嘆の溜息を吐いてからシンシアはまず、右脇下の隠しホルスターからハンドガンを1丁、スカートの内側からサブマシンガンを2丁、腰につけられた大きなリボンから手榴弾3つ、という具合に、まさかの事態に石化しているニシカドとラッセルの前でガチャガチャと重火器を地面に落としていった。
「マリサは気付いてた?」
「いいえ。後で聞いたときも
”お嬢様、女性の身体にはたくさんポケットがあるんですよ”
ってニコっと誤魔化されたわ」
「ハァハァ」
ゴス!
積みあがっていく火器の山、まるで武装テロ集団一隊の装備が整えられそうなそこへ最後、シンシアは背中からスルリと中折れ式のショットガンを抜いて
「これで全部です」
ガチャンと放った。恐らく総重量は軽く見ても50Kgはあるだろう。ブロンズ像になってるラッセルにミユキは流し目して
「合図を御願いします」
我に返ったラッセルはそれに手を掲げ、深く息を吸ってから
「ハ、ハジメ!」
直後にシンシアは右手を振るった。その僅かな動作とは正反対にミユキは大きく右へ跳躍、数瞬後に100mは離れた桜花ホール、その隣に根を降ろしている大きな杉の木が輪切りになって崩れて砂煙と轟音をあげた。続けて見えないほど細いワイヤーの束を左手に握ってグイと引くと、輪切りになった大木が隕石のように飛来して武神に襲い掛かった。そこで響いた2度の金属音、その直後、微塵切りにされた大木は無数の木片へと姿を変え、逆にシンシアの視界を霧のように覆い隠した。ここで姿を探していたならまず死んでいた。本能に任せて地を蹴って後方に飛び立つと間一髪、過去というには短すぎる時間にかつて自分が居た場所に大輪の花のような太刀筋が見えた。弾丸の軌跡をも捉える自分の動体視力と、さらに脳内に分泌した大量のアドレナリンが加わって辛うじて見えたそれ、それでも連続ではなく同時に見えた八十八の斬撃、月下美人。あまりに美しいそれに目を奪われそうになる、が、次の八十八の斬撃がその暇も与えない。三度目に咲き乱れた大輪の花、その納刀時の僅かな隙をついて鋼鉄と化した黒い右拳を放つ。踏みしめた右足はグランドに巨大な亀裂を生み、その反発力を一切損なうことなく放ったそれは音速を超えた超音速となって武神の正中線、鳩尾に爆音を伴って叩き込まれた、はずだった。右手に残ったあまりにリアルな感触。今までこれほど明瞭な残像は初めてだ。寒気に似た殺気に身を屈める。頭上を通過したのは
”二振り目の太刀?”
違った。手刀だ。武神が延髄に向かって振り下ろしたそれは弾丸の速度をもってしてもなし得ない真空を生み出し、視界を屈折させるほどの気圧差を作った。本能でその危険性を理解したシンシアは避けると同時にその気圧線の外へ身を置く。案の定、真空を閉じるために一挙に流れ込んだ空気が衝撃波を生み、グランドを真一文字に切り裂いた。鎌鼬と呼ばれる現象だ。
”もしもこれを手ではなく、あの太刀でやられていたらどうなっただろうか”
嫌な汗。第六感になるまで鍛えられ予感、それは予言にも似ていた。頭に描いた最悪の図に寸分も違わない現実。武神が明らかに刃の間合いからは離れた位置で立ち止まり、しなやかに体を捻って抜刀の構えを見せている。やはり太刀でさっきの”あれ”をやるつもりだ。
”小手調べた”
二重の目を細めて武神がそう語りかけてきた。直後に縦にズレた視界。そのズレの外に身を置かなければ真っ二つだ。跳躍した直後に自分の蹴った大地が避ける。休む暇も与えず二ノ太刀、三ノ太刀が襲い掛かる。右へ左へ飛びつつ、何とか反撃の機を伺った。
なぎ倒されていく大木、ズタズタになっているグランド。神速で払われた刃の軌跡が生む真空と想像を超えた力で圧縮された空気。その絶対の圧力差が生み出す見えない刃は光の屈折現象を伴って襲い掛ってきた。一太刀ごとに鋭さを増して来るそれ。かわすのはもう限界だった。けれども、十数度目の鎌鼬を避けて、狙っていた”それ”がようやく完成した。シンシアは着地して最後のステップ、腕を交差させてその青い瞳でミユキを見据えた。
「チェックメイトです」
直後に武神の周りでギリギリギリという不気味な音がなった。360度、どこへ逃げようとも襲い掛かるように張り巡らされたワイヤーによる死の結界が、日の光を受けてキラキラと輝いていた。戦いが始まった時から周到に仕込まれたそれは20、30では効かない、張り巡らすというよりはむしろ編み込まれたとも言うべき綿密な死神の檻。後はそのクロスさせた左手、それに握られた無数のワイヤーを指で一本づつ弾くたびに、この檻の中で刃のように鋭いワイヤーによる攻撃が始まる。ちょうど見えない死神が処刑鎌を振り下ろすように。脱出不可能な部屋で行われる見えない八つ裂き。処刑室。これが彼女がシンシア・ザ・リッパーと言われる所以だった。しかし彼女は時間を掛けて殺めるということはせず、自分に奥の手を使わせるまでに追い込んだ武神に敬意を払い、その左手のワイヤー全てを一気に引き絞った。
”彼女なら死にはしないでしょう、が、ただではすまないですね”
腕前の確認の域は超えているが、これをどうしのぐのかを見てみたかった。なぜなら襲い掛かる死の結界の中心で、武神はまだ冷淡な笑みを浮かべているのだから。そして本当のチェックメイトの声が聞こえきた。それは恐らく、シンシアが意識を失う最後から二番目に聞いた声。
「淡き光の下、鮮やかに咲き乱れよ」
そしてこれが最後に聞いた声だ。
「月下美人」
収束していく死神の檻、それがまるで蕾から花が芽吹くように断ち切られ、巨大な太刀筋が文字通り大輪の花を咲かせるように”咲き乱れた”。直後に自分の視界に生じた空間のズレは八十八。そこにはもう”避ける”という概念が存在しなかった。シンシア・フリーベリ。人生で最初で最後の一敗だった。
「化け物対決はミユキ先輩に軍配だねミィちゃん」
「さすがお姉様です! さぁ、そろそろカレーができますよ〜」
まだまだ強さに上限が見えないお姉様ですね。
本気モードになる日は来るのでしょうか^^
えっと
見捨てないで下さい。
次話からラブコメりますので(爆)