■ゆうの助、太、嵐の海を飛ぶ
「おう、ゆうの助、なにやってんだよ」
太だった。
太は飛行術が得意で、村の中で一番遠くへ飛ぶことができる。
「おめえ、もしかして飛ぶつもりか? ふんっ、おめえみてえなのが飛べるわけねえだろ。海に落っこちておぼれるだけだからやめとけよ。この前の相撲の時みたいにめそめそ泣くだけだろ」
ゆうの助の胸に、あの日の記憶がよみがえってきた。
ゆうの助は拳をぐっと握りしめ、唇を思いっきりかみしめた。悔しくてくやしくてたまらない。
ゆうの助は大きく目を見開き太に向かって言った。
「飛べる! 僕は飛べるんだ! おまえなんかに負けるもんか!」
「へえっ、おもしれえ。じゃあ勝負だ。どっちが遠くへ飛べるか競争だ」
ゆうの助は言ったあと後悔した。ユリちゃんとの練習で自信がついていたが、まだ海の上を飛んだことがなかったのだ。しかし、もう後へは引けなかった。
ゆうの助は拳を握りしめながら、太に向きあった。太はニヤニヤしながらゆうの助を見下ろした。
その様子を遠くから静かに見守っている人がいた。サヨリだった。
ゆうの助の後を追って、ここまで来ていたのだ。しかしその目は心配そうにこちらを見ていた。
「おい、ゆうの助。あそこに大亀島が見えるだろ。あそこまで行って、先に帰ってきた方が勝ちだ。どうせおまえの足じゃ大亀島までは飛べないだろうけどな」
「と、飛べる。やってやる」
ゆうの助はまだ海の上を飛んだことがない。ましてや大亀島までなんて、あまりにも遠すぎる。ゆうの助の足が少し震えだした。そのとき後ろから声がした。
「待って」サヨリちゃんが急いでかけてきた。
「太君もゆうの助君もやめて。大亀島までなんて、あんな遠くまで飛べるわけないじゃない」
「サヨリちゃん……。心配しないで、そこで見ていて。僕は飛べるから」
ゆうの助はサヨリを見ながら言った。サヨリは今にも泣きそうな顔でゆうの助を見つめていた。
「おい、さっさと行くぞ」太が怒鳴るように声を荒げて言った。
ゆうの助は太の方を振り向き、拳を握りしめながら近づいた。太がにらみつけながら見下ろしている。だが、ゆうの助はもう怖くはなかった。二人は岬の一番端にある大きな岩の上に立った。
ゆうの助は大亀島を見つめた。遠くでカモメが鳴いている。静かに風がながれ、さざ波の音がして、柔らかい日差しが心地いい。ゆうの助はだんだん気持ちが落ち着いてきた。
(飛べる。僕は飛べるんだ)ゆうの助は思いっきり息を吸い込み、両足をしっかりとかがめた。
「ようい、ドンッ!」
太の掛け声と同時に、二人は勢いよく地面を蹴り込んだ。空高く舞い上がろうとした次の瞬間、ガツンッ! という大きな音がした。
飛び上がる瞬間、太はわざと手を大きく広げ、ゆうの助の顔を思いっきりたたいたのだ。
ゆうの助は両手で目を被い、目をこすりながら真っ逆さまに海に向かって落ちていった。やっと目が開いた瞬間、大きな海が広がっていた。ゆうの助は素早く体をひるがえして水面を蹴った。そして再び飛びあがった。ゆうの助は気をとりなおし、目をしょぼしょぼさせながらも飛び続けた。
空を飛び続けるには特殊なコツがいる。地面を蹴って飛び立ち、落ちそうになってきたら、平泳ぎの要領で空気の塊を抱え込む様に手を動かす。そして、その塊を一気に足で蹴り飛ばし、その反動で更に飛ぶ。これを何度も繰り返すのだ。
太はもうずいぶん遠くへ飛んでいる。その後を追いかけるようにゆうの助は飛び続けた。
二人はしばらく飛びつづけ、ずいぶんと時間がたった。そして岸から大亀島までのちょうど真ん中あたりまで来たとき、一羽のカモメがゆうの助に近づき、知らん顔をしながら一緒に飛んでいる。カモメはアーアーと何か言いたげだったけど、しばらくするとプイッとふりかえり、岸へと戻って行った。すると、先ほどまでの天気が嘘のように急に雲行きが怪しくなってきた。パラパラと細かい雨が降り出してきたかと思っていたら、次第に本降りとなり頬に雨粒が当たる。先ほどまで真っ白だった雲は見る間に黒墨をぶちまけた影に覆いつくされ、稲光が所々ちらつきだしてきた。ふと空を見上げた瞬間、雨は大粒となってゆうの助たちに叩きつけてきた。
風がグオングオンとけたたましく鳴り響き、吹き付ける圧力に目も開けていられない。
(うう、なにも見えない。太はどこまで行ったんだ?)
太の様子を見ようとしたが、ずっと先を飛んでいた太の姿はもう見えなくなっていた。
そのころ太は大亀島までたどり着いていた。しかし、その大風のせいで太は島に降り立ったときにバランスを崩し、足をくじいてしまっていた。海は大荒れで波が島のてっぺんまで来ようとしていた。
ゆうの助は荒れ狂う海の上を今にも落ちそうになりながら飛んでいた。打ちつける雨と吹きすさぶ風に向かって突き進んでいる。そして、やっと大亀島が見えてきた。大亀島は暗い海の上に木の葉のように浮いていた。ゆうの助は横殴りの雨の中、やっとの思いで大亀島までたどり着いた。
そこには、すでに太が待っていた。
「太、この勝負はお前の勝ちだ。ん? 太、どうしたの?」
「足をくじいた」
太は両足を抱え込んだ状態でうずくまっていた。傷ついた足首を押さえて顔をしかめている。
波がだんだん高くなってきた。満潮になると大亀島はほとんど海へと沈んでしまう。ゆうの助と太の顔に、どうしようもない不安の色がよぎった。
遠くまでジャンプするように飛ぶ飛行術は、ものすごい足の力が必要だ。その足をくじいていたのでは、思うように飛ぶことができない。しかし、満潮の時刻がもうそこまで迫ってきている。急いでここから飛び立たないと、ゆうの助と太は大亀島といっしょに波に飲み込まれてしまう。
その頃サヨリは、この雨の中いつまでたっても戻ってこないゆうの助たちが心配になり、村人たちに助けを求めて走り回っていた。
「お願いです、助けて下さい。ゆうの助君と太君が、海に出たっきり帰ってこないんです」
サヨリの声を聞きつけた村人たちは、大急ぎで港へ出てきて、心配そうに大荒れの海を見やった。
「おーい、太ー。ゆうの助ーっ」
村人たちは一生懸命叫んだが、その声は大波と風の音にうち消された。
ゆうの助たちが飛び立ってからずいぶん時間がたった。もう夜になろうとしている。このままではゆうの助たちは大変なことになってしまう。しかし、この嵐の中では舟を出すことさえできない。村人たちにはどうすることもできなかった。
村人たちは必死になって叫び続けた。ただただ叫び続けるほかなかったのだ。誰もみな力つきてしまい、港は静まりかえっていた。聞こえるのは荒れ狂う波と風の音だけだった。
(もうだめかもしれない)村人たちはみな心の中でそう思っていた。
その時誰かが叫んだ。
「ああーっ! あれはっ!?」
真っ黒な海のずっとその奥に、かすかに人の影が見えた。
それは弱々しく、今にも海へ墜ちそうになりながら飛んでいた。
ゆうの助が、傷ついた太を背負って飛んでいたのだ。