2.ほんと、たいだ、しょうかんまほう
わたしは、本。
いっさつの本。
私は、一冊の、魔導書。
今は魔女の持ち物。
「名もなき漬物石になりたい……」
机にだらんと両腕を放り投げ、べったりと突っ伏している男がのたまう。
私に目はないが、目があったら思わず瞬いていただろう。
この国に漬物があるとは初めて知った。
味こそもう記憶にないが、おばあちゃんが漬物名人だったことを思い出す。
『懐かしいな……白菜の漬物と大根のお新香が好きだった』
「ページべちょべちょになるぞ」
『食べるとは言ってない』
口もないからな。
「はーあ……それにしてもマジで本が喋ってら……。お前さん、喋れるぐらいなら俺の代わりに書類仕事してくれない?」
『手がない』
「猫より役立たずじゃん……」
『魔女に感謝しろ』
禁忌の魔導書が役立たずなら万々歳だろうよ。
魔女が私の魔力をどうにかしなければ、この国いつか滅ぶんだからな。
私を奪おうとする奴らとの戦争とか戦争とか戦争とかで。
とはいえ、暴走状態の私を最初に助けてくれた姫巫女たちがいろいろと頑張ってくれたおかげで、魔女も私を封印できたのだ。
だからお前の愚痴に軽々しく付きあってやれてるんだぞ。
「はーあ……師団長、給料あげてくれないかな」
『お前、給料少ないから働きたくないわけじゃないだろうが』
「ソウダネ」
『むしろ他の奴より貰ってる立場だろ』
「ソウカモ」
ちなみにこの男、姫巫女たちの直轄の部下で偉い立場にいる。
見ての通りの怠惰な男ではあるが、結構有能らしい。
まあ、私が封印されている書庫区域は許可がないと入れないのに、静かで昼寝しやすいとよくサボりに来る神経は見事かもな。
『給料分働け』
「そう言われると働きたくなくなる」
『給料返上してこい』
そうなったらタダ働きだぞ。
「でも忙しいのは事実なんだよ。やること多いしさ。職場に寝泊まりするのは絶対イヤだから帰るけど、帰ったところで何かする気力もない」
そりゃあそうだろう、世界は私たちがいなくても回っていくのだ。
危険な『魔導書』は私だけではないし。
それぞれの理由を掲げて戦争は各地で勃発しているし。
姫巫女に魔王が倒されたとはいえ、残党はまだまだいるし。
国の発展のためには、研究も実践も続けていくのだし。
『お前以上に働いてるのがお前の上司だけどな』
「うん、否定しない」
嘘を言わないだけ、根は素直だよ。
ぶつぶつと小さな愚痴を吐き出していた男は、はっと顔をあげる。
「召喚しよう。そうしよう」
『――は?』
耳すらないが耳を疑った。
この私の前で召喚と言ったのかこいつ。
私が『魔導書』にどうやってなったのか改めて教えてやろうか?
異世界人の魂を『魔導書』の核にしようと生贄召喚されたからだよ!
『エドガル・イーダ……。貴様ァ、私がどういう経緯を経てここにいるのか知っているよなぁ? 召喚だと? 私の目の前で? 魔女の封印をぶっ壊して今すぐ滅ぼしてやろうか?』
「違う違う違う違う違う!」
顔色を真っ青にした男が慌てて首を振る。
ははは、お前、そのまま首を吹っ飛ばしてしまえよ。
「契約召喚! 召使になってくれる精霊を契約召喚するの!」
本気を出しかけて、その言葉にふと停止する。
この世界には異界という、また別の世界が隣接していて、獣体や霊体に近い特性を持つものたちが棲む。
彼らとは契約召喚でコンタクトをとり、双方合意の上で主従となる。
基本的には一対一の契約で、特に王族などは護身のために契約召喚することが多いという。
つまり、生贄召喚とはまったく別の召喚魔法だ。
『永遠にサボらせてやろうかと』
「その昼寝、起きられないやつじゃん……」
ぶつぶつ言いながら、するりと空中に指先で円を描く。
すると魔力の輝きを持って、指先通りにするすると召喚陣が象られていく。
普通は専用紙に専用インクを持って、時間をかけてしっかりと描くはずなのだが、この男、本当に手間をかけたがらない。
こんな芸当ができるからこそ有能なのだろうが。
「そうだな~、やっぱり召使にするなら可愛い精霊がいいな~。家に帰ってムサいのが待ってるとか、ちょっときついな~。ちっちゃくて、家事万能で、俺のために頑張ってくれて~」
『うわあ……男の願望はこれだから……』
「普通だろ」
ドン引く私に男は肩をすくめる。
まさかと高をくくっていたが、しかし、男の欲深い願望に反応するように召喚陣がきらきらと瞬き始める。
『え、うっそだろ』
「そこっ! ちょっと静かに!」
こんなので応えてくれる可愛い精霊なんているのか、本当に。
いや、応えてくれるから可愛いのかもしれないが……。
むしろ良い子だな。
男は相手の姿を見ようともせず、機嫌よく契約完了の魔力を召喚陣に注ぎ込む。
お前の考える可愛いと、相手の可愛いがズレてる心配すらしてない。
さて、そろそろ契約が完成する。
どんな良い子がこいつの願望に応えたのかな。
生贄召喚でないと分かれば、申し訳ないがちょっとわくわくしてしまう。
「おいで、俺の召使さん!」
キインと魔力が召喚陣を満たし、ほろほろと光が崩れていく。
そうして、その者は、姿を現した。
腰まで届くまっすぐな濡れ羽色の髪。黒真珠のような艶めく双眸。
なめらかなクリーム色の肌をしているが、顔色は少し白い。
そして身にまとっているのは黒の……?
「……召喚に応じました、奈田、夕衣里です」
ぺたんと力なく床に座り込みながら、ぽつんと少女が名乗る。
上着は長袖、背中へひらめく襟に2本の白い縁取り、首元にえんじ色のスカーフ、プリーツの細かい膝丈のスカート、黒のハイソックス、茶色のローファー。
これは間違いなくクラシックなセーラー服。
『なだゆいり……日本人……?』
「は、はい」
『……いくつ?』
「今日16になりました」
――女子高生。
じ ょ し こ う せ い。
『魔女ぉぉぉ! 魔女来てぇぇぇ!! 犯罪だ! 今目の前で犯罪が起きた!! エドガル・イーダ未成年誘拐犯! しょっ引いてぇぇぇぇぇぇ!!』
「ちがぁああああああああああう!!」
わめく男と茫然とする少女の前で私は発狂した。
私の壮絶な魔力の乱れを感知した魔女がすぐさま飛んできて、男は尋問が行われ、少女は国に保護された。
しかしすでに契約召喚は合意の上で成ってしまっていた。
どうして契約召喚で日本人の少女が召喚されたのかは分からないのだが、喚ばれた少女は二度と日本には戻れなくなったという。
やっぱり召喚なんてロクなものじゃないと嘆く私に、少女は小さく笑った。
「私の親の方がロクなものじゃなかったので」
そうして少女……ユイリは契約だからとロクでもない男の元で働き始めた。
男の願った通り、背が小さめで、家事万能で、男のために尽くして。
主を天使だと思ったんですよ、と笑うユイリの神経はどうなっているのだろう。
でも日本のことを話せる子だなんて姫巫女以来だ。
仕方ない、ユイリのことはできるだけ守ってやりたい。
男がユイリに軽々しく手出ししないよう、きっちり言い据えておこう。
少し楽しみができた私である。