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第三話

「いっやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」


 マーガレットの悲鳴が城内に響き渡った。


「痛いぃぃっ!! もうだめっ、やめてっ、こんなの無理よおっ!!」


「我慢してください! あともう少しですから、どうかそのまま動かずに! どうかご辛抱ください!!」


「無理よ! これ以上やられたら、わたくし死んでしまうっ!!」


 侍女のアンヌに抱きつきながら、姫は絶叫を迸らせた。

 その腰には純白のコルセット。

 姫は今日、生まれて初めて衣服を身に付けたのだ。


 何しろ世界で裸族なのはワイアン王国だけ。他国は全て着衣文化だ。

 だからエイリーク王子との対面も、当然ドレスを着用することになったのだが。

 まずは下着をと言われ、軽い気持ちで応じたマーガレット姫。しかしまさか、このコルセットが難関中の難関であることを、彼女は知らなかった。


 着用することで腰の細さと美しい胸元を強調し、抜群のプロポーションを作ると言うのだが、そのためにはまず背中側に取り付けられた紐を締め上げて、最大限に腰を絞らなくていけない。

 その苦しさと言ったらもう!


「ひぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 地獄の苦しみを受け続けているマーガレットの口からは、もはや悲鳴と泣き言しか出てこない有様だ。


「もう充分でしょう!? わたくしもう無理よ!!」


「ですがあと三センチ絞りませんことには、ドレスが入りませぬ!」


 情け容赦なく腰を絞る侍女の言葉を聞き、マーガレットは目の前が真っ暗になった。

 しかしこれ以上なんて、絶対に無理だ。

 結局、マーガレットが耐えられるギリギリの範囲でコルセットを閉め、肝心のドレスはウエストを少し直して誤魔化すことになった。しかし、それでもコルセットは着用しなければならないことには変わりない。

 つまり結婚をすれば、この苦しみが永遠に続く……そう考えるだけで、ゾッとする思いだ。


「わたくし、やっぱり結婚したくない……」


 しょんぼりと項垂れるマーガレット。

 雨に濡れた仔猫のような表情を浮かべる主人を見て、アンヌは酷く同情した。

 しかし。


「ですがもう、ご対面の日程は決まってしまいました。結婚はともかく、友好国へはどうあっても行かなくてはなりません」


「そんなぁ……」


 何が『結婚すれば幸せになれる』よ。ドレスを着なければならない時点で不幸の極みじゃない! マーガレットは心の中で女神に毒づいた。


「ですが姫さまが結婚したくないと言えば、此度(こたび)のお話は破談になるのです。コルセットも、ほんの一時(いっとき)の辛抱でございますよ」


「アンヌ……そうよね。これは長い人生で考えれば、一瞬の出来事に過ぎないわ。この拷問とも思える時間が過ぎ去れば、わたくしはこれまでどおり服を着なくて済むのだもの。そう思って頑張るわ!」


「姫さま、ご立派です!!」


 涙をソッと拭うアンヌ。


「せめてエイリークさまが、最低最悪の王子さまでいらっしゃればいいのだけれど。下手に性格が良い方だったりしたら、断るときに罪悪感を感じてしまうかもしれないし」


「おっしゃるとおりかと」


「いっそ、あの絵姿とは全く違う容姿だったらいいと思わなくて?」


「まるで別人のような?」


「そう! そうしたら、『嘘偽りを並べる方と結婚できません!』と言って、断れるでしょう?」


「たしかに、それはそうですね」


「それにもし、エイリークさまが絵姿どおりの方だとして、そんな方に『結婚してください』と言われたら、ついうっかり『はい』と答えてしまうかもしれないもの」


「姫さまなら本当にありそうなパターンですね」


 マーガレットは自他共に認めるイケメン好きだ。

 そんな彼女が絶世の美男子に結婚を申し込まれでもしたら、本当についうっかり、承諾してしまいかねない。

 イケメンに結婚を申し込まれるなど、本来であれば喜ぶべきところなのだろうが、今回ばかりはいただけない。何しろ結婚するということは、もれなく憎っくきコルセットが一生ついて回るのだから。


「だから絵姿に全く似ていない男性希望で!」


「でしたら、うっかり承諾は回避できますね! 姫さま、さすがでございます!」


「ありがとう、アンヌ。ではこれから二人で神殿へ行きましょう。そして女神さまに祈るのです!」


 こうしてマーガレットとアンヌの二人は出立の日まで、毎日神殿へ通い詰めて「実際のエイリークさまは美青年でありませんように」と女神に祈り続けたのだった。


 しかし。


「初めまして、マーガレット姫。私がネークド王国の第一王子、エイリークです」


 そこにいたのは絵姿同様……いや、絵姿よりも煌びやかな美青年だった。

 白磁のような滑らかで美しい肌。動くたびに銀糸よりも艶やかな髪がサラサラと揺れる。それが日の光を浴びてキラキラと光り輝き、まるで後光が射しているように見えるのだ。

 澄んだ湖のような紺碧の瞳に射貫かれて、マーガレットは(おのれ)の心に恋の矢がトスンと刺さった音を聞いた。


「エイリークさま……」


 マーガレットは目の前に立つエイリークを、ただただ呆然と見上げるばかり。


 ちょっと待って。あの絵姿は完全に偽物じゃない。エイリークさまの素晴らしさを、十分の一も表していないわ。なぜもっと上手に描ける絵師に描かせなかったのかしら!? ――思わずそんなことまで考えて、ハッとした。


――って、見惚れてどうするの!? わたくしはこのお話をなんとしても断らなければいけないのよ! ……あぁ、けれど断ることは難しいわ。だってエイリークさまは、わたくしの理想ド真ん中なんですものっ!!


 こんなイケメンに結婚を申し込まれたら、確実に諾と言ってしまうに違いない。マーガレットは内心震えた。


――そうだわ。もしかしたら相性が合わないかもしれないじゃない。そうしたらそれを理由に断れるかも……。


 エイリークさまの性格が、最低最悪でありますように!

 そう願ったマーガレットだったが、運命は彼女に無慈悲であった。

 エイリーク王子はあり得ないほどいい人だったのだ。

 スマートな会話、何気ない気遣い。マーガレットの全てを包み込んでくれるような優しい態度に、彼女の胸は早鐘を打つ一方。


――あぁ、エイリークさま……お願いですからそんな目でわたくしを見ないで……。


 好意を隠そうともしないエイリークの柔らかな眼差しを受けるたび、そして耳に心地よく響くテノールの声で「マーガレット姫」と囁かれるたびに、ときめきのあまりに失神しそうになる。

 しかし声を聞いただけで失神しそうになるのは、一国の姫として、また女神の巫女としてあるまじき失態。

 マーガレットはその甘美な拷問を、懸命に堪るしかなかった。


 二国間での対面を済ませたあとは、場所を提供してくれた友好国の王族を囲んでの晩餐会が開催され、それらが全て終了したのは間もなく日付が変わろうというころ。マーガレットにとってはいろんな意味で辛すぎる一日が、ようやく終わりを迎えたのだ。


――長かった……。


 コルセット着用に限界を感じ、意識が朦朧とし始めていたマーガレットは、終了の合図に胸を撫で下ろした。


 これから二人は、それぞれが宿泊することとなっている部屋へと向かうことになっている。

 今いる宮殿本館を挟んで、ワイアン王国側が東館、ネークド王国側が西館に部屋を用意されており、一度別れれば明日の朝まで会うことはない。


――部屋についたらこんなコルセット、すぐにでも脱ぎ捨ててやるわ!


 滞在期間中の夜は思い切り寛ぎたいから、その時間帯だけ東館はワイアン王国の者のみにして欲しいと、特別にお願いをしてある。侍女や警備兵はおろか、下女下男ですら夜の東館には立ち入ることはできない。

 誰も見ていないなら、せめて東館にいる間だけでも服を着用せずにいられる。


――コルセット、コルセットを……早く取ってしまいたいっ!!


 マーガレットの頭の中は、そのことでいっぱいだ。

 駆け出したい気持ちをグッと堪えて、エイリークに別れの挨拶を告げる。


「本日は楽しゅうございました。本当にありがとうございます」


「マーガレット姫……。私もとても楽しかったですよ」


 寂しそうに微笑むエイリーク。

 その顔はまるで、マーガレットとの別れを惜しんでくれているようだ。


――今日はこれでお別れなのね……。


 対面は数日間に渡って行われる予定となっている。

 だからまた明日会えることになっているのだが、たった数時間離れることが少し惜しいと感じてしまうほど、マーガレットはエイリークに心惹かれていた。


「また明日、会えることを楽しみにしております……」


 そう言って踵を返したのだったのだが。


「お待ちください!」


 エイリークの声に、マーガレットは驚いて彼を振り返った。


「マーガレット姫……」


 エイリークは彼女の前で(ひざまづ)くと


「初対面でこんなことを言うのは、随分と軽薄な男かと思われるかも知れませんが……それでも私は自分の気持ちに嘘は付けません。一目見たときからあなたに心奪われてしまいました。私の伴侶はあなた以外に考えられません。どうか私と、結婚してくださいませんか」


 熱っぽい目で理想の権化に求婚されて……マーガレットは思わず「はい」と首肯してしまった。


 しかし次の瞬間ハッと気付いて「しまったあああああああああ!!」と心の中で絶叫したのだが、言ってしまった言葉はもう取り消すことはできない。



 こうしてマーガレットは、ついうっかりエイリークの婚約者となってしまったのだ。

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