襲撃後
三十三.[おもいで]
クムラギを発ち大河ラーを渡ると、古い街道の始まりである。ハラタフィト(古代の道)。古都ラエモミへと続く道。大仰な名前がついているものの、何の変哲もない普通の道。が、人馬がこの道を踏みしめ、歩みを刻み始め、千七百年以上の時が経つ。古くはラエモミがこの地方の中心都市だった。
彼ら竜使いの一行はそのラエモミをも通り過ぎ、さらに西方へ向かう。穏やかな風そよぐ草原、コロナエへ。その地よりさらに西方は、広い砂漠が広がっており、西国と呼ばれる地域とこの国との文化圏を別つ。
「ああ、愉しかった。また来たいなあ」
オオカミの背にゆられながら、父親の顔をふり返って見上げ、ニニは言った。笑顔で。そして名残惜しそうに、河の向こうに聳え立つクムラギの高い壁を見つめた。
「ほう。そうか……」
リコチャキは少し驚いた。というより安堵した。すっかり口数が少なくなり、時に物思いに耽っているニニの様子を見て、怖い思いをした故、心に傷を負ったのではないかと憂いていたのだ。が、杞憂だった。
「怖くはなかったかね?」
リコチャキの問いに、ニニは笑顔で答えた。「ううん。ちっとも。だって、とっても勇敢な男の子が助けてくれたもの。めっちゃ格好良かったんだから」
「ほう……」なるほどそういうことか、とリコは納得した。しかもあの若者に目をつけるとは我が娘ながら目が高いと。が、しかし、年齢なりに微笑ましく子供らしい。
「残念だが、あの方にはすでに許嫁がいらっしゃるそうだ。お廟の近くのお嬢さんでルルなんとかさんという。それにお前が年頃になる頃にはあの剣士様は」
ニニがプッと噴き出して笑って、リコ父さんの勘違いは遮られた。
「違うよ。それって、パッ、パッて消えちゃう人でしょ。全然違うよ。でも、許婚ってほんとう⁇ マリリリさんはどうなるの??」
「マリリリ⁇ そんな名前の人が……ん。ひょっとして大魔導師のリリナネ様のことかね?」
「そうだっけ……? どっちでもいいけど。その、魔法使いのお姉さんの方が絶対お似合いだと思うんだけどなあ。好きあってるみたいだったし」
「そうか……。だが私が聞いた噂では、すでに将来を誓った人がいるということだ」
「それって、あのブリッ子の人でしょう?」
「ぶり……?」
隣の若者が手綱を繰りオオカミを寄せて、会話に割って入った。笑いながら。
「相変わらず、お嬢のお国言葉は面白い。しかもなんとなく分からないでもない。お嬢の故郷は一体何処であろうな。処でお嬢が勇敢で格好いいと見そめた男の子は誰のことだ?」
ニニは照れ笑いを浮かべて答えた。
「いたじゃない。お廟の子」
「ああ、なるほど」
リコチャキも、周囲の若者達も、はたと膝を打った。
「勇気があって優しくて、めっちゃ格好良かったんだから」
言っているうちに恥ずかしくなったのか、語尾が照れ笑いと言うよりもにやけ笑いになって尻切れトンボになった。その顔を見て、リコチャキも若者達も思わず笑みがこぼれた。微笑ましく感じ。が、当然の疑問がひとつ。
「二人いたが。どっちの男の子かね?」
リコチャキに聞かれて、
「うん、えっとね……」
急に説明に困ったニニ。あれれ、と。
「ええっとね……優しいお兄さん風の方の人……」
「名前は?」
はたと首を捻ったニニ。むむむ、と。
「ええっとね……ええっと……」彼女は名前を憶えていなかった。
まあ、また翌年クムラギへ連れて行ってやる、そうすればまた会えると、リコチャキに慰められたニニ。そうですとも、お嬢、名前を憶えてなくたって、あのお廟に行けば会えるに決まってますと、若者達も口を揃えて言った。それくらい、その時の彼女は可哀想な顔をしていた。瞳に涙をためて、口をへの字に曲げて。今にも泣き出しそうな。
しかし翌夏、クムラギを訪れたとき、そのお廟はなくなっていた。建物はあったが、お廟ではなくなっていた。そこにいた人々は誰一人残っていず。誰に訊いても、その人達が何処へ行ったのか教えてくれなかった。
そしてそれっきりになった。彼女は幼く、いつしか忘れてしまった。けれどその男の子のことは、大切な思い出として胸の奥にしまわれた。
三十四.[火焔の獅子]
民間人の死傷者を多数出してしまったが、クムラギ武人らは市街地に入り込んだ蛇頭族の撃退に成功した。市街戦を制した。そこでもやはりリリナネ、そしてアオイの担った役割は大きかった。が、しかし。指揮官が愚物であれば被害はもっと拡大していただろう。年若くも切れ者の指揮官であったからこそ、迅速に撃退でき、被害を最小限に抑えることができた。しかも彼はおのれが先頭に立ち死を怖れず敵に立ち向かった。故に、あとに従う者もまた、死を怖れず奮戦した。それ故の勝利だった。
激戦を制した数日後、オニマルは政治堂へ呼ばれた。モモナリマソノ、リケミチモリはじめとするクムラギ参議が顔を揃えていた。にこやかに迎えられた。しかしそこにタパらツフガ側の人の顔もあった。故に、政治に関わる話で呼ばれたのではないと理解できた。おそらく冥界入りの話。
政治堂段上の壁。そこには五本の聖杖がある。シュスロー達が守宮猿より譲り受け、ここへ持ち帰った聖なる杖。冥界入りの戦士に与えられる物。
人々は口々にオニマルの今回の働き、指揮官としての才を褒め称えながらも、最後にはその杖を指してこう言った。言いにくそうに。リケミチモリが言おうとして、伯父のモモナリマソノが制して言った。
「お前には不本意かも知れぬ。が、適材適所という言葉がある。人は、もっともふさわしい居場所を与えられてはじめて、もっとも素晴らしい働きが出来るというもの」聖杖を指し、「これを与えられるのは……」言葉を濁した。
オニマルは口の端に笑みを含み、爽やかに答えた。
「分かっています。私ではありません。マアシナの御子を冥界から連れ帰るためにやって来た、そうとしか思えない男がいます。その聖杖を受け取るべきは、その者です」
気持ちは決まっていた。言い淀む伯父貴に気を使うなと言いたかった。しかも自分の歩むべき道筋というものも、朧ながら見えている。タパが口添えしてくれた。
「貴殿には、貴殿にしか成し得ないことがある。いずれ定めのために、貴殿の力が必要となる時がきっと来るはず」
リケも。笑顔で。
「その時は頼むぞ」
「むろん」
オニマルは雄々しく微笑んでみせ、居並ぶ人々全員に黙礼した。「では。失礼します」挨拶して背を向け政治堂をあとにした。人々はその後ろ姿を頼もしく見送った。すでに、未来の大将軍の姿が背にうっすらと見えていた。
政治堂を出たオニマルは、空を見上げた。晴れ晴れした気分だった。初秋。空の青がすっかり秋めいて、爽やかな風吹き渡っている。今の心境にぴったりな空の色。俺は俺、俺にしか成せぬ未来がある。胸中呟いた。
* * *
オニマルが空を見上げ未来に思い馳せていたその同じ頃。予定の期日よりずっと遅れて、タパの廟堂へ届けられた注文品。アオイの部屋に運ばれていた。外出先から戻ってきたアオイと子供達。それを見つけて。
「すげえ……」
「アオイさま。すげえではなくすごいです……」
言葉の悪さを咎めたユタも、ポカンと口を開いたままになった。
「これは……やばいな……」
腕組みしてアオイ。絶句気味。ううん、と唸り。
「なるほど……。これくらいしぶいと、『やばい』のですね……」
何故だか納得した顔附きのユタ。隣で同じく腕組みした。
一緒にいたラナイナライとリュウミチモリも、同様にしきりに感心して、その道服の仕上がりを褒めた。衣紋掛けに袖を通され壁にかけられている、背に描かれた見事な絵を。
腰から上、背中一面に火焔の如き蔓花模様が描かれている。赤く鋭角な葉と鋭角な黄の花弁。模様は細かく、まるで燃えさかる炎に見える。その文様を引き裂き姿を顔を現している獅子と蛇。獅子は青白く、爛々と目を輝かせ牙を剥き、蛇は黒く多頭であり、獅子に踏みつけられて苦しげに首をよじっている。その首のいくつかは火焔からはみ出している。
「すげえ……やばいよね、これ……」と繰り返す四人。呆けたように絵に見とれて。
窓から入ってくる風が、少し肌寒く感じる初秋の午後のことだった。その日、速駆けの伝令が到着し、シュスロー等が数日中にクムラギに帰還することを伝えた。
第三章 完




