お客さん4
二十三.【男の子】
そこも、悪龍誕生以前は防壁の外だった。北部森林地帯を生活の糧としている人々の集落。木こりや、炭焼きや、猟師の集落が点在する界隈。しかし現在は防壁が築かれ、森とは完全に別たれている。
ユタミツキがここを訪れるのは随分久しぶりのこと。
彼の育った家は今はもう無い。小さな畑になっている。影も形もないが、彼はそれがあった場所へ行くことができない。この区画に足を踏み入れることはできても。
それは、とても勇気が要ること。つらい現実と向き合わなければならない。だからずっと避けていた。
けれど。時々我慢できなくなって近くまで行っていた。会えるような気がして。もしかしたら全部悪い夢で、帰ってきたら家は元通りで、扉を開けるとお父さんとお母さんと妹が、「おかえりユタ」「おかえりお兄ちゃん」と迎えてくれる気がして。
けれどそれは勿論幻想に過ぎず、その度現実を目の当たりにしてしょげかえり、大河ラーのほとりでこっそり泣いて帰る。誰にも見られないように。独り、膝を抱えて。前回は溺れていたアオイを見つけた日だった。
それ以来ここへは来ていなかった。
今、数ヶ月ぶりにここに来て、感じた。以前とは違う自分がいることに。
勿論、まだ家のあった場所には行けない。けれど歩いていれば何処にでもある、思い出の場所。お母さんとつくし採りした土手。妹とバッタを追った野原。お父さんの後ろを歩いた森への道。歩けば鮮明に思い出す。きのうの事のように。三人の面影を。けれど以前のように胸を締め付けられるような辛さはない。
それは時が癒してくれたからでも、彼がその人達を忘れてしまったからでもない。彼が、今はもう、未来を生きているから。
生者と死者は別たれる。生きている者には理解できない境界線で。その人達は時の流れから姿を消し、見えない境界線の向こう側へ行く。世界中の何処を捜しても、その人はもういない。
どれほど悲しくともその人達は時の壁の向こう側にしか存在せず、彼は未来を生きなければならない。それを理解したのだ。無自覚にだったが。
リュウミチモリは友達のそんな内面の変化を、敏感に感じ取った。けれど何も言わなかった。そこは男の子。それが男の友情だと幼いなりに思っていた。
しかしまったく事情を知らないニニはまるで遠慮が無かった。と言うよりも、容赦なかった。知りたいことは訊いた。
「あんたここに住んでたの?」
「そうだけど」相変わらず生意気だなあと感じながらも律儀に答えるユタ。
「へえ。どうしてお廟の召使いになったの?」
「ぶっ。勘違いしてるみたいだからちゃんと教えてあげるけど、召使いじゃありません」ユタは年下の子をいさめるお兄さん口調で言った。
「お廟で働いているのは、みんな武家の子弟で、お廟で読み書きや神さまのことや礼儀作法を学ぶのです。お手伝いしながら」
「へえ。そうなんだ。じゃあ、どうしてあんたはお廟にいるの?」
「ええ。まあ……」
「あんたの家は何処なの?」
「僕の家は反対側のもっと向こうの方です」
「寄らないの? せっかく近くまで来たのに」
さすがに返答につまったユタ。みかねてリュウが口を挟んだ。「あの……。ちょっと、いい?」そう言ってニニを手招いてそこから連れ出した。ニニは「なあに?」と言いながらついていった。
一人残されたユタは、リュウが上手いように説明してくれるだろうと思った。別にいいや、と。
「おや。ユタじゃないかい」
ふり返ると顔見知りのおばさんだった。
「こんにちは」
「元気でやってるみたいだね。噂は聞いているよ」
「え? どんな噂なの?」
「タパタイラ様のお廟でとってもお利口さんに頑張ってるって。それから、ほら。例のアオイセナ様ととっても仲良しで本当の兄弟みたいだって」
「ほんとに?」
ユタは照れ笑いを浮かべた。そんな嬉しい噂ならもっと聞きたかったけれど用向きを思い出した。
「シシ肉を探してるんだけど。最近仕留めた人いない?」
おばさんはうーんと唸った。
「あいにく聞かないねえ……。そうそう。昨日マシキ爺さんが森に入ったから、今頃仕留めているかもだよ。シシ肉だったら赤ジシでも大ジシでも良いんだろ」
「うん。大ジシだったら運ぶのが大変だね。マシキお爺さんならきっともう仕留めてる頃かも」
「爺さんの猟師小屋は知ってるだろ?」
「うん。何度も遊びに行ったもの。色々教えてくれてありがとう」
「お礼なんて言わなくていいよ。それよりたまには遊びに帰っておいで。でもってしっかりお務めするんだよ。真面目に努めれば武家に奉公できるかも知れないし。そうなりゃ大出世じゃないか」
「うん」曖昧に笑って調子を合わせたが、出世とかそんなことはどうでもいい顔附きのユタ。
笑顔でおばさんと別れたとき、ニニとリュウが戻ってきた。ニニはポロポロ泣いていて、リュウは困惑していた。
ニニはしゃくりあげながら、何度も「ごめんね。ごめん」と言った。リュウは小声で「ごめんよ。ユタ。全部話しちゃった」と言った。
ユタは友達に「いいよ」と答えた。それよりも年下の女の子に泣かれて困った。泣くような子だと思っていなかったから余計に。
「ごめんなさい。私、全然知らなかったから。あんたが、その……」
言葉につまり、しゃくりあげて泣くニニに、「いいよ。知らなかったんだから」と慰めた。
ニニはニニで、何故だか分からないが、父親や母親と死に別れた辛さや哀しみを自分の事のように理解できた。彼女はその哀しみを知っていた。だから涙が止まらなかった。
「もういいですよ」ユタは全然怒っていなかった。彼は懐かしく思い出していた。妹のべそかき顔を。
「全然、気にしてないから。それに、女の子なんだから色々訊きたがるのが普通です。それよりも」彼はニニが泣き止むことを願って話題を変えた。
「今、知り合いのおばさんから聞いたんですが、マルマシキ爺さんというここいら辺りで一番腕利きの猟師さんが猟に出ているそうです。きっと今頃は獲物がどっちゃり、ですよ」
ずっと黙っていたリュウが口を挟んだ。「そのお爺さんが猟をする場所は分かるの?」
「勿論」ユタは答えた。「マシキ爺さんの猟師小屋は何度も遊びに行ったことがあるから」
「森に入るの……? 私達だけで?」涙を拭きながらニニは聞いた。
ユタは笑って答えた。
「うん。この森には危険な獣はいないから。それにマシキ爺さんの猟師小屋は、みんな子供達だけで遊びに行くよ」
「へえ……」
三人は森へ向かった。その後ろ姿を、数人の村人が見ていた。その時は誰一人、案じていなかった。




