延命術の妖婆3
四.存在しない町
ヒワマナカは商売上手だった。商売上手と言うよりも、愛想のわりにちゃっかりがめつかった。請求明細を見たら、はじめに貰った兵靴・皮のしとうず・絹のしとうずの値段も入っていた。くれたものとばかり思っていた。しかもオニツカの値段は一般的な靴、半靴の二倍もした。
「あら。随分高いのね」隣から明細をのぞき込んでリリナネが言った。
少年は平然と答えた。「縫製が大変ですから」
「それに、名士の方は皆さん、履き物に一番お金をかけてらっしゃいますよ」
この子も立派に商売人だなと、アオイは感じた。「まあ、そうね……」と、リリナネも口を引っ込めた。
「では、この明細をリケミチモリ様にお渡ししてくださいますか?」という少年に、「いや。俺が払うよ」とアオイは答えた。財布を出して支払いをした。
そのお金は、リケミチモリから毎月もらえるモノ。ただし、彼、アオイセナ本人が真っ当に稼いだ、彼本人のお金。
そのきっかけはあのビドリオ(西域のガラス製品)だった。ある日、リケミチモリが持って来た赤い足附きのそれを見て、アオイは言った。その時頭に浮かんだままの言葉を。
「綺麗なセレ赤ですね」
「は?」とリケミチモリは問い返した。「今、何と?」
「いや……」また何か変なことを言ったか、戸惑いながらアオイは答えた。「セレ……赤じゃないのですか?」
リケミチモリは真剣な顔だった。「セレとは?」
「いや……セレンで発色させるんですよね」
自信なさげに言ったアオイの言葉に、リケミチモリは目を丸くした。そして笑い飛ばした。
「セレン! あれは、毒物で」
「え? 毒なんですか?」
しかしアオイが問い返した言葉をリケミチモリは無視した。その時には真剣な顔に戻り何事か考えていた。「むむ……」と何度も唸り。そしてバッと立ち上がり「今日はこれにて失礼」と言い残し、バタバタと帰って行った。
五日ほどのちに、にこにこ笑顔でやって来た。そしてすっかり話してくれた。
これまで、クムラギの硝子には金で発色させるすおう赤しかなかったこと。西方のビドリオにある鮮やかな赤色は配合が秘密とされていて真似できなかったこと。それがやっと分かったこと。そしてアオイに礼を言い、大金を渡した。さらに。
「毎月の売り上げの一割を、アオイ殿が当然受け取るべき金額としましょう」赤色の硝子が売れたらその一割がアオイの取り分となることを約束した。
おかげでアオイは、身の回りの細々した物を買い揃えることができ、ユタを連れてバルにお茶を飲みに出かけたり、ユタとリュウ少年を連れてバルに軽い食事に出かけたり、ルルオシヌミと芝居見物の帰りにバルでお茶を飲んだりできるようになった。
他には使い道がなかった。何かあったような気がしたが、ここには見あたらなかった。色んな商店をながめてもピンとくる物がない。酒も飲まない。俺は、何にお金を使っていたのか―。今では思い出せない。お金が足りないと思った記憶、もっとお金があればと思った記憶、『ああ。金がねえ』と腹立たしくさえ感じた記憶は確かにあるのに、何にお金を使っていたのか思い出せなかった。今では余って仕方ない。
そして。
俺の故郷は西方に近い町、との思いを深めた。おそらく、国境あたりだろう、と。ここと同じ言葉を話し、けれど違う文字を使い、泥棒靴を履き、ビドリオが訛ってビードロと呼び、西方では秘密である調合を誰もが公然と知っていて略語で口にする町。
ユタに訊いたら「そんな町があるはずありません」と返ってきた。腑に落ちず他の人に訊いても、「そんな町はきいたことがねえなあ」「きいたことないです」「知りません」と、しめしあわせたように同じ答えだった。




