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一七.[冥界入り人選]
お廟へ帰り着く頃ユタは目を覚ました。アオイの背中から降りるとしきりに恐縮した。子供らしくない物言いにアオイもリリナネも笑った。ユタはしかし、眠っている間にアオイにおぶってもらっていたことがよほど嬉しかったらしく、その後ずっとはしゃぎ気味だった。
お廟へ帰ると、ひとまずもう一度風呂に入った。汗と土埃を流した。休憩所でリリナネとユタと涼んでいると、ラナイ少年が捜しにに来た。彼を見つけるとホッとした顔になった。「リケミチモリ様とモモナリマソノ様がお見えです」
「え? 俺に会いに?」
「そうです」
案内されて入った部屋で、タパタイラと並んで座って、二人の客人は待っていた。彼が現れると相好を崩した。特にリケミチモリは上機嫌だった。
「ご苦労でしたな」
アオイは労いの言葉に会釈しつつ、前に敷かれた鶏冠竜の敷物に座った。リュウ少年が入ってきて、冷たいお茶を置いて行った。そのコップは口辺が薄手でクムラギの物とは少し趣が違っていた。
「これって、ちょっと雰囲気が違いますね」
リケミチモリは何か話そうとして口を開きかけていたが、先ずはアオイの疑問に答えてくれた。
「ええ。これはビドリオ。西の遠国の製品です。内国産と区別するためそう呼ばれています。今日、私がタパ様に差し上げたものです」
「ビドリオ……?」
「ええ。西域の言葉で硝子の意味です」
「硝子をビドリオ?」
「そうですが?」少し訝しげにリケミチモリは首を傾げた。
「あの……」アオイは思ったままの疑問をぶつけてみた。「そのビドリオが訛って、ビードロと呼ぶ地方がある、とか思えませんか?」
リケミチモリは目を見開き、ハタと膝を打った。「それは……」感心した顔附きで言った。「思いもよりませんでしたな」
眉をしかめて考え始めたアオイに、「そんなことよりも」とリケミチモリは言葉を継いだ。そして自分で話そうとして思いとどまり、モモナリマソノと顔を見合わせて頷き合うと、「タパ様よりお願いできますか」と年長者に話しをふった。
「うむ」初老の巫術師は穏やかな笑みを浮かべ頷いた。
「アオイ殿に話がある。それは他でもない。冥界入り人選のこと」
「冥界入り人選?」
「うむ。マアシナ様の御子をこの世界に連れ来る爲、冥界へ入る。知っての通り。その爲の準備を今しておる。しかし先ずアオイ殿に知っておいて貰わねばならぬことは、冥界に入れるのは五名のみということ」
「え? たった五人ですか?」
「うむ」巫術師は一つ頷き、理由を話した。「その地において最も脅威となるのは、悪魔による憑依。おそらく、仲間の躯に乗り移り、意のままに支配し、妨害してくるはず。我らが目的を達しようとすれば、憑依された者を味方の手で殺すしかなくなる」
「追い払う方法はないんですか?」
「手立てはある。一つは悪魔の憑依を防ぐ石。その石を身につけていれば、悪魔に憑依されることはない。遥か北方の霊峰タオより、守宮猿から譲り受け、シュスらが持ち帰った。しかしその石の数が五」
「なるほど。そういうことなんですね」ヤモリ猿ってどんな猿––? 偉いのか––? 疑問はあったが、質問はやめておいた。後でユタに教えて貰おうと思った。
巫術師は続けた。「その五名とは、シュスロー、アズハナウラ、カタジニ、リリナネ、イオワニと、すでに決まっている」
「そうなんですか……」
口に出したことはないが一緒にやりたいと思っていた。冥界へ入りマアシナの御子を連れ帰る。悪龍を倒さない限り、現在の無益な戦いは終わらない。悪龍を倒せるのはマアシナの御子だけ。今、この瞬間にも、ユタのような境遇の子が増えているかも知れない。俺がその爲に役立てるならと、思っていた。しかし話しを聞く限り彼はそこに参加できない。
「しかし」タパタイラは言葉を継いだ。話にはまだ続きがあった。「もしもその五名に何事かあり冥界に入れぬ場合に備えて、予備の人選を決めておかねばならぬ。そこでアオイ殿の意志を確かめたい。貴殿にその志しあるならば……」
リケミチモリが先を受けて口を開いた。「私が推挽人となり、明日の政治堂の議会に諮ります。アオイ殿。善しや?」
思わず口角が上がった。その人達に何かあって欲しいとは勿論思わないが、もしも誰かが行けなくなった時は、自分が役に立てる。アオイは拳を床板につけて頭を下げ言った。「行きます。冥界へ」
「おお」さすが俺の見こんだ男とばかり、リケミチモリは顔を輝かせ相好を崩した。隣のモモナリマソノも厳つい顔を崩して笑った。モモナリマソノは言った。
「実は今までの処、予備の人選は甥のオニマル一人だけだった」
「え? オニマル、君が?」
「うむ。勿論あいつはそれを誇りに思っている。よもやそれで慢心はしていないだろうが。しかし、これであいつも浮かれてばかりではいられなくなったわけだ。今後は二人良き競争相手となり、互いに武芸を磨かれるが良い」
「はい」アオイは笑顔で答えた。良い友達になれそうだと思い。
アオイが意図せずライバルに廻してしまったその男は、クムラギ最高の若武者と呼ばれている。その男に欠点は無い。文武両道に秀で、人柄良く人望高く。欠点と言えば、女を見る目がないことくらい。
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夕食の後、アオイはユタに「守宮猿って何」と訊いた。ユタは物知り顔で答えた。
「万物の霊長だよ」
「はあ?」万物の霊長って––? その言葉は人間様を指していたような気がした。薄ぼんやりとした記憶だが。
「神々に通じると言われるくらい、霊力が高いんだ。悪魔と戦う人々は守宮猿の棲む谷を訪ねて、智慧を授けて貰うんだよ」
「へえ……」だったらやっぱり万物の霊長ということになるな––。なんとなく腑に落ちないものの納得した。
ユタは文机の上の紙を取り、絵を描いてくれた。「これが守宮猿様だよ」
「ふーん……」
その絵を見る限り、やはり猿に似ていた。毛がふさふさで後ろ脚で立っていて尻尾が細長い。顔がむき出しの処も猿。けれどむき出しの顔はどう見てもトカゲっぽかった。腕の肘から先と、脚の膝から先も毛が生えてなくむき出しで、そこは鳥の脚みたいだった。
「随分変わった奴だな……」
「失礼なことを言っちゃいけないよ。守宮猿様だよ」




