事件3
五.[手紙]
気を取り直し、急いで風呂をあがった。休憩所でリリナネが出て来るのを待つ。謝らなければいけない。
ユタと一緒に男湯を出ると、再び一斉に視線が集中した。ただし、さっきとは全然違う感じで。色で譬えれば白。いわゆる白い目が沢山。そして再びヒソヒソとざわめいた。さっきと全然違うヒソヒソだった。
気を取り直して、いや、心を強くもって女湯の前で待っていると、背中に刺さった。「やだ、怖い」とか色々。
アオイは耳たぶまで真っ赤になった。ここに立つ強靱な精神力は持ち合わせないと感じた。
後ろでユタが一生懸命説明していた。
「違うんです。僕が梅の種を落としてしまって、アオイさまはそれを拾おうとして」
しかし誰も「なんだ、そうだったんですか」とは言わないし、どちらかと言えば止めて欲しかった。余計いたたまれなかった。
「リリナネさんを待ってるのですか?」女湯から出てきた少女が、にっこり笑って言った。
アオイは自分の正しい年齢を知らない。が、その少女は多分彼と同じか、一つ下くらい。濡れた髪を頭の上にピンでまとめ、木桶を抱えていた。頬がほんのり桜色で、優しそうな眸をした少女だった。
「もう、随分前にあがられましたよ」笑顔で教えてくれた。
「そうですか……。ありがとうございます」アオイはお礼を言って、ユタを促し悄々と浴堂を後にした。
廟堂に戻ると入り口にカタジニがいた。笑いながら言った。
「リリナネの尻を撫でまわすとは貴様も豪傑だな」
「撫で……まわしていません……」肩を落として答えた。
部屋まで謝りに行く勇気は、今はなかった。元気も。行かなければいけないと思っても。ユタと別れ、自分の部屋に一人戻った。
腕組みをして座り、眉間に皺を寄せてしばらく解決策を考えた。しかしこれはどんなに難しい顔をしてみても、解決しなかった。
ノックの音がした。
戸を開くとユタだった。紙と鉛筆と文字の本を持っていた。
「こんな時は勉学に励んで忘れてしまうのが一番です」ニコッと笑った。
「そうだな」そう答えたけれど、ユタに「こんな時」の経験があるとは思えなかった。
「それに、手紙を書くのが良いと思います。手紙を書いて誤解だと説明するのです」
「そうか、そうだな」
いい考えだった。
二人で文机に並んで座り、教えてもらいながら手紙を書いた。先ずきちんと謝罪の言葉を書き、経緯を説明した。経緯は多少いいわけがましいような気がしたが、事実だから仕方なかった。
「僕も書いとくね。嘘じゃないってちゃんと説明しなきゃ。それに、リリナネさまは豪快な人だから、きっと全然気にしてないと思うよ」
「豪快……?」そんなはずはない。アオイの知る限り、とても女性らしい人だ。真っ赤になって恥ずかしがったり、二人きりになると慌てたりして。
「そうだよ。だって女大魔導師さまだもの」
「ふーん……。なあ、大魔導師ってどうやったらなれるんだ?」
「上級元素術を使えるようになったら、だよ。例えば焔呪だとプレ・アフィは単体焔呪。プレ・ナーフィが全体焔呪。両方とも上級があるけど、大魔導師になるにはプレ・ルツに指定されている上級術が使えなきゃ駄目なんだ」
「ふーん……。じゃあ、俺は無理だな。移動呪しか使えないから」大魔導師になれればリリナネとつり合いがとれるかも知れない。ほんの少し、夢とか希望という形にはならないまでも思っていた。年下だから。
ユタはニコッと笑った。
「アオイさまはきっと大剣士さまになれるよ」
「大剣士にか……?」
「うん。大剣士は議会で叙位されるんだ。今は空位だよ。大魔導師の称号は「龍者」、大巫術師の称号は「天人」、大剣士の称号は「雷人」だよ」
「雷神?」
「うん。カミトケだよ」ユタは座ったまま剣を構える格好をした。
「その人のふるう剣は雷光のごとし」芝居がかって言うと、シュッ、シュッと空中を斬ってみせた。
「へえ……。格好いいじゃないか。……でもそれって、強ければなれるのか?」強ければいい、そんなはずはない。
「強いだけじゃ駄目だよ。行いも善くって、立派で、何か大きな働きをした人」
やっぱりね、アオイはため息をついて訊いた。
「じゃあ、痴漢をした人は?」
ユタは黙り込んだ。目をそらした。
そうこう話しているうちに手紙を書き終えた。
僕が届けようか、ユタは言ったが、自分で届けるのが筋だとアオイは思った。今日はもう遅いから明日渡すよ、と答えた。




