事件1
四.[梅の実]
リリナネはリュウ少年と一緒に自分の部屋へ。祭祀場の入り口で、お礼を言って別れた。アオイはユタと一緒に自分の部屋へ向かった。
廊下を歩きながらユタは言った。思わず咽せてしまうような事を。
「手を握りあっていたの?」
「ぶっ。ち、違う。紐を結んでもらってたんだ」
「なあんだ……」
ユタはつまらなさそうな顔をした。どうしてユタが残念がるのか、分からなかった。
部屋に戻っていつものようにユタと晩ご飯。アオイのお膳には梅酒が附いていた。小さなコップに、底に梅の実を沈めて。ご飯を食べ終わったユタが欲しそうに見ていた。
「ん、飲みたいのか?」
「違うよ。梅酒の梅が食べたいんだよ」
「なんだ。そうなのか。……ほら。酔うなよ」
アオイは梅酒を飲み干して、コップをユタに渡した。ユタは梅の実をつまみ上げて、嬉しそうに囓った。余程嬉しいのか、にやけてしまって上手く口が閉じないようだった。
「そんなに好きなのか?」
「みんな好きだよ。リュウなんてこの間、五個も食べたんだって。酔っちゃったって、言ってた」
「へぇ……」
子供達がどれほどこの梅酒の梅の実が好きか、アオイはこの後思い知ることになる。
「カタジニはどこかに行ってるの? 今日は見かけなかったけど」
「カタジニさまは政治堂へ報告に行ってたんだって。政治堂というのはクムラギ議会のことだよ。カタジニさまは武人だからね。アオイさまはどっちなんだろう。魔導師ならツフガだけど、剣士なら武人だよね」
「ツフガと武人って何か区別されてるの?」
「うん。武人は議会に参加できるけど、ツフガは特別職だから政治にかかわっちゃいけないんだ。議会に参加できるのは、武人、商人、工人、農民、その人達の代表者。大年寄って呼ばれてるよ」
「へえ……」
そんな事を話しながら浴堂へ向かった。下に降りる時、アオイはまた迷った。兵靴の革紐を全部結ぶのは面倒。
絹のしとうずを履いた足につっかけて、革紐をずるずる引き摺りながら行こうとすると、ユタに注意された。
「アオイさま。それはお行儀が悪いです」
「そ、そうか……」
こんな風につっかけるのもアリだと思ったのだが、ただの思い違いらしかった。
浴堂に入ると入り口の土間に、見たこと無いくらい沢山の靴が並んでいた。
ユタが目を丸くして言った。
「今日はまた随分多いね」これを片付けるのは無理だとあきらめた様子。片付けようにも、下足箱が靴であふれている。いっぱいいっぱいだった。
中に入ると休憩所は若い女の子ですし詰め状態だった。アオイが姿を現すと、視線が一斉に集中した。
アオイが目を丸くすると、バッと音を立てて視線が逸れた。てんでに勝手な方を向いた。しかしヒソヒソ、きゃっきゃっとざわめいた。
「ははん……」ユタは言った。
「昔、シュスローさまがここに逗留された時も、こんな風に若い娘さん達が見物に来たんだって」自分の方が年下のくせに、若い娘さん達と生意気を言った。
「その時は、アヅハナウラさまが掃除のふりして、箒でいちいち追い払ったんだって。でも、どう見ても、その時とは比べものにならないくらい多いでしょ、これ。いったい僕はどれほど箒をふり廻せばいいんだろう……」最後はぼやいた。
「これは俺を見物に来たのか?」アオイは仰天して小声で訊いた。
「そうに決まってるよ。カタジニさまを見物に来ると思う? けど、これじゃあ箒をふり廻したら、逆にやられちゃいそうだよ……」
しかし。
この後起こる出来事によりこの状況は一夜にして終わり、ユタが箒をふり廻す必要は全くなくなる。




