冥界篇34
三十七.[星の天原で]
「いや、救う。貴様を祓う」
対峙するアオイセナとリリス。両者。リリスは不敵な笑みに目を歪め、アオイはそのリリスをにらみ据え。
嘲るリリス。
「笑止。如何にして我を祓う。非力な人間に過ぎぬ貴様が」
毅然と睨め返しアオイセナ。
「貴様を祓うのは俺じゃない」
「ほう。不思議なことを言う小僧だ。ここに貴様以外に誰がいる? 貴様でなければ誰が我を祓う」
「リリナネさん自身だ」
リリスは狡猾に黙りを決めこんだ。
「リリナネさん、聞こえますか」リリスを無視してリリナネに問いかけるアオイ。
させるかと刃ふりかざして襲い来たリリス。「聞こえるものか」
「聞こえるはず。その耳はリリナネさんのものだ。貴様のじゃない。必ず届く」
「無駄なあがきよ」
刃かいくぐり、必死に話しかけるアオイ。
「リリナネさん。聞こえますか。俺にはあなたを殺せません。愛しているからです。お願いです、リリナネさん。あなたを愛しています。悪魔と闘ってください。必ず勝てます。追い払えます」
キリスト教会の伝承は信じるに値しないと、彼は思っている。けれど『キリスト』を否定しているわけではない。その人のことは全肯定している。その人は、一貫して愛を説いた。
「あなたを愛しています。お願いです。悪魔と闘ってください。祓えるのはあなただけです。難しいことじゃない。ただ、僕の言葉を聞いて下さい。それだけで良いんです。愛してます。僕の言葉を聞いて」
「小賢しいわっ、黙れ、アオイセナ!」
「貴様こそ黙れ、リリス。聞こえてますか、リリナネさん。何度でも繰り返します。あなたを愛しています。あなたに届くまで何度でも言います。愛してます。大好きでした。はじめて会ったときから、ずっと」
「無駄だ、届かぬわ! この小娘は我が闇の中」
「黙れ、リリス。きっと聞こえている。リリナネさん! 僕の声が聞こえますか。愛してます。あなたに聞こえるまで何度でも言います。あなたを愛しています。絶対に悪魔の思うようにはさせません。聞こえてますか。はじめて会ったときから、僕はあなたが—」
突然、ふりかざしたその手が止まり。小刀が手からポトリと落ちた。同時にその身がガクリとくずおれ、地に倒れた。うつぶせ、震えている。
「リリナネさん!」
アオイは駆け寄り、おこりのように震えている躰を抱き起こした。リリナネはうっすらと目を開いた。その目は彼女のものであり、その目にはしっかりと彼がうつっていた。
「良かった! 祓えた。祓えたんですね」
しかしそれはアオイのぬか喜びだった。
震える手で彼の手を握り、リリナネは怯えた顔で首をふった。震える唇で言った。「駄目。まだ、中にいる……」
希望を、アオイは捨てなかった。
「でも、きっと祓える。頑張って」
リリナネはもう一度首をふった。
「私の心が、あいつの苦手な感情であふれたから、あいつは奥へ逃れただけ。無理……。祓えない……」
「そんなこと言わないでください。お願いです。きっと祓えます。闘って」
「相手が、悪い……。強すぎる……。お願い、アオイ。あいつが戻ってくる前に、私を殺して」
「駄目です。絶対に駄目です」涙があふれこぼれた。「絶対にそんなこと出来ません。お願いです。リリナネさん。あきらめないで」
「お願い。私が私であるうちに。君の腕の中で死ねるなら……」
「いやです。絶対、いやです。そんなこと。出来ません」
「教えて。アオイ……。私にくれた輝赤石に、石銀で買ったあの石に、君は何をお願いしてくれたの……」
もう、隠す気持ちもなければ、照れもなかった。
「リリナネさんと、結ばれますように—、そうお願いしました」
それを聞いて微笑んだリリナネ。弱々しい笑み。
「嬉しい……。聞いて。私が君にあげた石にも同じお願いをしたの。この人といつか結ばれますように、って……」
彼は涙を拭いて笑った。唇が変な形に歪んだ。「じゃあ、俺達は初めから」好き同士だったんですね、声にならない。
「二人とも輝赤石に同じことをお願いしたなら、きっと叶う。アオイ。来世で結ばれましょう……」
「そんな……」絶句した彼。「そんな物語みたいな、そんな夢みたいなことを言って誤魔化さないで……。だいいち、俺は」彼は違う世界から来た。たとえ百歩ゆずって来世の契りを信じるとしても、同じ世界に生まれるとは限らない。説明できず言葉が途切れた。
リリナネは力なく微笑んだ。優しい笑み。
「知ってるよ。アオイ君。君がどこから来たのか。大丈夫……。神様はそんなに意地悪じゃない。きっと同じ世界に生まれさせてくれる……。アオイ君。星の天原で会いましょう……。きっと私を見つけてね……」
彼は全身の力が抜けたように感じた。
「駄目です……、駄目です……」力なく繰り返した。首を振り。首を振る度、涙零れ落ちる。
リリナネは二つのケイ、メアマタギとハハキリを首から外して、アオイの手に握らせた。「これを持って帰って」
「嫌です。あなたを置いていけません。一緒に……、一緒に帰りましょう……。お願い、お願いです……」涙で何もかも歪み、もう何が現実か、何が正しいのか、何が間違っているのか、分からなかった。悪い夢であってくれ、空しい願いが空虚にこだまする。
「こんな事間違ってる。俺にはできな」嗚咽で喉が詰まったアオイ。
「ううん。信じてるよ。……きっとまた逢える。今度会う時は……あの綺麗な星の天原で……君に逢」
その時突然。急激に強ばったその人の躰。ガタガタと震え。「来た」怯えた目で彼に訴えた。「お願い。早く、殺して」
アオイは嫌ですと言ったが言葉にならなかった。嗚咽と重なり。
「お願い、アオイ。私を見て」
瞼を固く閉じ、目にあふれた涙をふりはらい、愛しい人の顔を見た。恐怖に怯えた瞳。涙。
「お願い。アオイ。助けて……」
その言葉が終わる前に、眸の色が見る見るうちに陰り……。
彼は叫んだ。咽が裂けんばかりに。




