冥界篇33
三十六.[アヅハナウラ、憑依]
一方、こちらは霧の中独り駆けるアヅハナウラ。両のかいなに二人の御子を抱き。サラは無言で彼の着物に顔をうずめ、ユウは泣き疲れて眠り込み。
方角はハッキリしない。自信ない。けれど大きく間違ってはいないはず。フィオラパがいてくれればいいが。現れる気配がない。もう姿を現さないのか。
「今、俺が憑依されれば……」
不安に襲われる。考えるな、自分に言い聞かせる。そして己のことよりも心配なのはあとに残した二人のこと。
アオイがリリナネを殺せるとは到底思えなかった。
最後まで救おうとあがき、二人とも共倒れになるか……。やはり俺が残るべきだったか……。
アオイにユウとサラを任せて、自分がリリナネを介錯すべきだったかと悔やむ。しかし彼がそうすると分かりきっていて、アオイが納得して先に行くわけがない。
他に選択肢はなかった……、そう思うよりなかった。
だが、しかし。ここで自分が憑依されればこの冥界入りは失敗に終わる。
と、その時。
行く手、霧の中に人影があった。一瞬フィオラパかと思ったが違っていた。フィオラパより大きな影。近付くと半妖であることが分かった。悪魔か––。足を止め、睨んだアヅハナウラ。
それは穏やかな声で言った。「惑うな、アヅハナウラよ」
フィオラパのようにその姿は半透明。人型だが頭部は猛禽であり、背に猛禽のような羽根がある。
「我はキヴァラギ。汝知るや?」
その名は知っている。キヴァとは先住民の言葉で猛禽を指す。名を聞けばその姿は巫術師の伝える姿に確かに似ている。だが。
「この地ゆえ。失礼を承知で問い返す。如何にしてあなたがキヴァラギ様で、悪魔の化身ではないと、私に見分けることが出来ましょうか?」
「アズハナウラよ。感じよ。姿形に惑わされるな」その言葉が終わるより先に、キヴァラギの姿は変化していた。小さな翁に。「如何な姿であれば汝我を信じるや?」
姿形は問題ではない。その躰が発するオーラ、気配、雰囲気、邪悪なモノとは思えなかった。むしろ逆。清涼な気、漂っていた。ところが逆に。
アヅハナウラの意識は翳っていた。くらむ。暗闇が忍び寄りその意識を覆い尽くそうとしている。彼は知っている。闇の霊が人をたぶらかすとき、往々にして光の霊を装うことを。
「くっ」
唸るアズハナウラに。キヴァラギを名乗る者は言った。
「まだ気付かぬか。胸の石を確かめてみよ」
相手の言葉に戦慄し、着物の胸から首飾りを引き出して確かめた。砕けていた。憑依避けの守り石。「うっ、くそ」毒づき、腕のサラハナウラを降ろし、ユウを抱かせた。いくらユウが赤ん坊とはいえ、サラはまだ二歳。よたついた。不安げに彼の顔を見上げた。
「心配ない」かろうじてそう答え。腰の太刀を抜き、投げ捨てた。出来るだけ遠くに。
しかし陰りは深く濃くなり。視界も朧となった。音もまた。遠くかすれた。既に彼の体であって彼のモノではない。「うう……」
出来るだけ二人の御子から離れた。が。その時には真っ暗闇に襲われていた。既に何も見えない。感覚もない。自分が何をしているのか分からない。サラの首を締め上げていたとしても、まるで、感覚ない。声も出ない。
『カタジニもイオワニも、これと闘っていたのか……』イオワニはこうなる前に介錯した。これを押さえ込んでいたのだ。カタジニはこの状態から一瞬自分を取り戻した。今さらながら二人の勇猛を理解した。が、しかし、時既に遅し。もはや彼には防げなかった。




