冥界篇17
十九.[遭遇]
愕然として、一瞬足が止まったアオイ。
その間わずか数秒。
ハッと我に返り、顔をあげると、リリナネの影を見失っていた。気附けば霧中独りきり。慌てて駆けた。すぐに追いついた。霧の中、走る彼女の背中。ホッとして後をついて走りながら、再び物思いに沈んだ。
日本人の祖先、倭人の流入は古墳時代から始まり、その頃大量にこちらに来たに違いない。けれどその当時すでに古代ポリネシアの民がこの地域に都を築いていて、こちらの世界の神々から『ケイ』を与えられ、独自の魔術大系を完成させていた。日本人の祖先は、古代ポリネシアの民からそれを学んだ……。
そうして日本人の流入は以降も続き、室町期まで頻繁にあったんじゃないだろうか。装束もそうだけれど、「座」という同業者組合の名が地名に残っている。銀座とか、桶座とか。「座」は室町期のもの。その時代まで、頻発してあった? けれどそれ以降は散発的? キスケさんのように。こちらの世界と向こうの世界の文明の水準が大きくずれない程度に––。
うん。けれど、その後もある。
井戸は手押しポンプだ。製鉄所では鉄パイプを製造していた。印刷機もある。時計も。瓶の蓋はコルク栓ではなく王冠だ。それらが西方にもたらされ、その後プアロアやラエモミを経由してクムラギに伝わった物だとしても、近代以降も人の流入はあった。
王冠が発明されたのはいつ頃だろう? まったく知らないけれど近代には違いない(は一八九二年、米国)。王冠を作る足踏み式の機械を、リケミチモリに案内された工場で見た。ポンプも印刷機も時計も、こっちの世界で独自に発達して、偶然同じ形になった物じゃない。その証拠に時計。
時間の単位が同じ。それに、メートル法を使っている。メートル法の制定って一八世紀だけど、普及したのはもっと後だろ。
これって不自然じゃないか。
その時代の人間が入ってきてるのに。その人は他の一切は伝えず、メートル法だけもたらしたのか? おかしいだろ。
「この世界は静謐として、爆発的な経済の発達がない……」訝しく感じ思わず呟いた。
訝しく思うのは当然。その時代の人間がこちらに来たのならば、物だけではなく発生しなければおかしな事象が存在する。それは、資本原理、市場原理に基づく、産業革命。
この世界に産業革命は起こっていない……。物質至上主義的な……、利潤追求型の……。機械技術を持ったなら、自然の流れで……そう思うけど……。思想は伝わらず、技術だけ……? 不自然じゃないか……。
いや。当然だ。この世界で利潤追求型の思想は受け入れられない。
神が在る。欲望追求型の思想は受け入れられない。神が現実にいるから。
導神が人の前に姿を現す。そしてそれらが、宇宙に存在する原理を、人に語る。欲望の是認、欲望追求型の思想は排除される。
導神は、向こうの世界での多神教の神々に合致してる。文明の数だけ重複があり、他文明から混入した混合もあるけれど。こっちでは綺麗に整理されている。
俺が文献やネットで調べた神々、悪魔、できる限りルーツに遡り調べていたそれら、それらがほぼ合致してる。まさか。
ヴェセプタは、だから俺を呼んだ⁇ 俺がそれを知っていたからか––⁉︎
先を走っていた人影、リリナネだと思っていたモノ、それが急に立ち止まったかと思うと、身を翻し彼に襲いかかってきた。
「なっ!」
振り下ろされた棍棒状のモノに、咄嗟に聖杖を合わせた。するとそれは砂塊に砕け散り地に落ちた。
「まさか」
瞬時に理解した。
片腕砕かれながらも襲いかかってきた影に、聖杖の突端を喰らわせた。土塊となり崩れ落ちた影。それは、泥人形。続けざま襲い来た残り四体も、聖杖を喰らわせ打ち倒した。
側に悪魔がいる。が、もっと重要なこと。
騙されていた! いったいどれほどの時間欺かれていた⁉︎ 仲間とどれほど引き離された⁉︎
完全にはぐれた。霧の中、独り。逆に、側に悪魔を連れ。
畜生! 俺は馬鹿か! この大事な時を、冥界入りを、定めに殉ずるどころか、仲間を助けるどころか。
足手まといになってどうする! 唇を噛んだ。




