三、上陸
やがて船は、岡山の笠岡という町に着いた。
俺たちは、乗客の足と足の間を上手く潜り抜け、桟橋へ降り立った。
振り向くとフクは、タラップの手前で俺たちを見ていた。
「フク、そのまま帰ったらええんじゃからの!」
ソラが大声でそう言った。
けれどもフクは、不安げな眼差しで俺たちをじっと見ていた。
「あら~この猫ちゃん、船に乗ってたのね」
そこで中年の女性がフクを見つけ、そう言った。
「お母さん、この子、迷子かな」
娘らしき女の子がそう言った。
「どうなんだろね」
「この子、迷子だよ」
「このままここに置いとくわけにもいかないかなぁ・・」
「ねぇ、連れて帰ろうよ」
「えぇ~・・それはどうかなぁ」
するとそこで、女の子はフクを抱き上げようとした。
フクはそれを察したのか、急いでタラップを降りてきた。
「あらら~逃げちゃった」
女の子は残念そうに言った。
フクは仕方がない様子で、俺たちのところまで走ってきた。
「フク、引き返せ」
ソラがそう言った。
「お前、どうするんじゃ。このまま俺たちと行く言うんか」
マサがフクの覚悟を試すかのように、そう言った。
「す・・すぐに引き返すんか・・」
フクは不安げに呟いた。
「そのつもりじゃけど、とりあえず陸を見てみんとの。せっかく来たんじゃし」
「フク・・お前も行くか・・?」
俺はそう訊いた。
「う・・うん・・」
「ほうか。ほんなら着いて来たらええが」
「お前ら・・どげなつもりで島を出たんじゃ」
「どげな、言うたって、陸を見たい思うたんじゃが」
「そがなこと言うたって、父ちゃんは島を出たらあかん言うとった」
「ほなから、知らんが」
「フク、今更そげなこと言うたって、どうにもならんが」
ソラがそう言った。
「着いて来るんか、来んのか」
「い・・行くけんど・・遠くはあかんぞ!」
「遠くやこ、行かん」
「ほんまか?」
「ああ。ほんまじゃ」
俺たちが桟橋で話していると、人間のおっさんが「しっしっ」と俺たちを追い払っていた。
「ほら、行くぞ」
マサがそう言い、俺たちは桟橋から陸へ上がった。
「マサ、どこへ行くんじゃ?」
俺がそう訊いた。
「そうよの、とりあえず海から離れるかの」
俺たちはマサの後を着いて行った。
「陸」の様子は、さして島とは変わりがなく、俺は少し拍子抜けしていた。
それでも歩き続けていると、島では見たこともない大きな建物や店などが現れ、俺は「陸」の大きさを感じていた。
それと車の多さだ。
島にも車で乗り付ける観光客がいるが、多くても二台くらいのものだ。
陸とは・・こげなところなんか・・
人間も多い。
島では年寄りばかりだが、若者もたくさん歩いている。
ソラとマサとフクも、初めて見る光景に、半ば唖然としていた。
「こげな世界があるんやのぅ・・」
マサは、しみじみと呟いた。
「マサ、あれよの。猫も裕福なんじゃろの」
「それはどうかの、ソラ。人間が多いと面倒もあるんじゃないかの」
「人間が多いから、餌もようさん貰えるんじゃないんか」
「どうかの~。俺は、ある噂を耳にしたことがあるんじゃが、どうやら猫を捕まえとるらしいぞ」
「えっ・・それはどけな意味じゃ」
「捕まえられた猫は、殺されるらしいぞ」
「えっ!だから言うたが!行ったらあかん言うたが!」
そこでフクが叫んだ。
「父ちゃんが言うとった。島を出たらあかん言うとった!」
「あ~あ・・。ほんまフクは、おとっちゃまじゃの」 ※ 「おとっちゃま」は、怖がりという意味です。
マサが辟易として呟いた。
しばらくすると、ある猫に出くわした。
おお・・岡山もんの猫じゃ・・
「お前ら・・よそもんか」
その猫は、年は俺と同じくらいで、身体は白、茶、黒の毛で覆われていた。
「ほうやが」
マサが答えた。
「ここで、なにしよん」
「俺ら、船に乗って来たんじゃけど」
「えっ、船に?」
「ほうやが」
「まさか・・お前がタロウか・・」
「え・・違うけんど」
「なんじゃ、違うたんか」
「お前、タロウ知っとんか」
「うん・・会うたことはねぇが、知っとる」
「それ、俺の父ちゃんじゃ!」
そこでフクが叫んだ。
「ほぅ・・お前の父ちゃんなんか。それで親父は来とらんのか」
「うん・・来とらん」
「で、お前らここに何しに来たんじゃ」
「お前、名前は?」
俺がそう訊いた。
「わしはトラ」
「俺は、コテツ」
「俺は、ソラ」
「俺は、マサ」
「お・・俺は、フクじゃ!」
「あはは、一番小せぇんが、威勢がええの」
「俺は、ボスの息子じゃ!」
「ボスの息子ねぇ。まあ、タロウならボスになるんも、簡単だったんじゃろうな」
「トラ、ボスのタロウが岡山もんや言うん、ほんまか」
マサがそう訊いた。
「ああ、ほんまじゃけ。タロウはここから近い山でボスをやっとったけぇ」
「えっ・・山でボスを・・」
「俺が生まれた時は、もうおらんかったが、この話はほんまじゃけぇ」
「タロウは、山でボスをやっとったのに、なんで島へ来たんじゃ」
「逃げたんじゃ」
「そがなこと嘘じゃ!父ちゃんが逃げるはずがありゃせん!」
フクは父親をバカにされたことで、怒りを露わにした。
「嘘なもんか。ほんまじゃけ」
「どがなことが、あったんなら」
ソラが訊いた。
「あそこに山が見えとろう」
トラが視線を向けた方角には、確かに山が見えていた。
「あの山でタロウはボスとして、仲間を纏めとったんじゃけど、ある日、タロウは仲間を裏切ってしもうての」
「裏切った?」
マサがそう訊いた。
「それはどげなことじゃ!」
フクが叫んだ。
「縄張りを奪うために別の群れが山に入って来たんじゃが、タロウは戦うこともせんと、あっさり縄張りを明け渡してしもうたんじゃ」
「う・・嘘じゃ!父ちゃんは、そげな弱虫じゃありゃせん!」
「仲間を捨てて逃げてしもうた。その後、仲間は、まさしく仲間割れをし、新たなボスの軍門に下ったもんや、よその土地へ流れたもんや、みんな散り散りになってしもうた。生きていくにはそれも仕方がねぇことじゃけ、みんなは裏切られたことを忘れることにしたんじゃ」
「・・・」
「じゃけど、最近になって新しい情報が耳に入って来たんじゃ」
「その情報とは、なんなら」
マサがそう訊いた。
「タロウは裏切ったんやのうて、あることを言われたんじゃ」
「それは、どけなことなら」
「新しいボスは、命令に従わんと仲間を殺す言うて脅しよった。じゃけど、新しいボスは本気で殺す気やこ、なかった」
「トラ、話がようわからんが」
「マサ、黙って聞け。新しいボスの要求はこうじゃった。お前は直ちにこの山を下り、船で逃げぇ言よった。仲間にも同じことを言いよった。当然、タロウは拒否したんじゃが、なんでもこの山には何年かに一度、山神さんが降りてきて、我ら猫族に災いをもたらすという伝説があるらしいんじゃ。当時のタロウはボスじゃったけど、まだ年が若かった。山神さんに歯向かうには無理じゃったけぇ、新しいボスは、いわば身代わりになることで、タロウや仲間を逃がしたんじゃ」
「・・・」
「タロウが島に渡って、もう五年になる。そんでじゃ、今年がその山神さんが降りてくる年じゃけぇな、その際には必ず生贄となる猫がおらんといけんのじゃ」
「そ・・それが父ちゃんじゃ言うんか!新しいボスは、どうしたんなら!」
「新しいボスはタロウの身代わりになって直ぐに死んだ。その後、別の猫がボスになったんじゃが、山神さんを恐れて逃げてしもうたけ。山に住む猫族は自分が生贄になるんじゃねぇかと、これまたみんな山を下りた。山神さんが現れるまでに誰かが山に戻らんと、天災が起こると言われとんじゃが」
「あっ・・それでシゲいう岡山もんが、わざわざ船に乗って来たんか」
ソラがそう言った。
「ああ、シゲか。わしは無理じゃ言うたんじゃけど、あいつは行きよったけの」
「俺は父ちゃんを生贄にやこ、せんぞ!」
「あのな・・フク、よう聞け」
「なんなら!」
「タロウはあの山で生まれた」
「それが、どしたんなら!」
「あの山で生まれたもんしか、山神さんを鎮めることができんけぇ」
「えっ・・」
「そして・・タロウの血を受け継ぐもんしか、の」
「そがなこと、できんが」
俺はそう言った。
「フクは、まだ子供じゃが。こいつを生贄にするいうんやこ、俺は絶対に許さんけの」
「わしはフクを生贄にやこ、言うとらんが。まずはタロウがここに来て、山へ入るべきや言うとんじゃけぇ」
「・・・」
「もうあまり時間もねぇんじゃ」
「タロウはこのこと知っとるんか」
ソラがそう訊いた。
「いや、タロウは仲間を殺されるより、自分が身を引くことで収まるんなら、それがええと思うたんじゃろな。山の事情を知らずに島へ渡ったんじゃ」
「・・・」
「お前ら、島へ帰ってタロウに話してくれりゃあせんか」
「俺は嫌じゃ!父ちゃんに話したら、きっと行くに決まっとる!」
「それならフク。お前が山へ入ってくれる言うんか」
「そっ・・それは・・」
「フクを行かせるわけにはいかん」
マサもそう言った。
「トラ」
「なんじゃ、マサ」
「ここの猫を集めてくれんか」
「え・・それでどうするんじゃ」
「みんなで話し合う方が、ええと思うんじゃ」
「まあ、それはそうじゃの。わかった。この先に公園があるけぇ、夜になったらそこで集まることにするけの」
そして俺たちは、夜まで公園で待つことにした。




