檻は開かれる
私の名は フェリア・ルヴィーク・モルガート。
財政難と功績をあげられない事を理由に、降格を噂されるモルガート伯爵家の唯一の女子。
そしてモルガート伯爵家唯一の希望として生を受けた、待望の女児で………あったもの。
「フェリア…」
ぼんやりした視界に入ったのは、いつもと変わらぬ優しいお父様の姿。
「おはよう、フェリア。」
「おはよう…ございます。お父様…」
椅子に座っているお父様の顔には少し疲れが見えて、一晩中側に付いていてくれたのだと理解した。
「…ごめん、なさい…お父様…私、お役目を…果た…果たせ…」
「フェリア、良いんだよ、フェリア。お前はなにも悪くない。謝る事なんて何もないんだ。」
大きな手が頬を、目元を撫でてくれる。
その濡れた感触に、自分が泣いている事に気付いた。
(私に泣く権利なんてないのに…)
今の私に、こんな風に優しくしてもらう権利はない。
希望の子として、私は一族の期待を受けて大切に大切に育てられた。
一流の家庭教師に、一流の教育を受けた。
公爵家の人間として相応しくある為にと、食事も、衣服も、生活環境も、両親や兄達よりも良い物を与えられた。
貧乏貴族と揶揄される家で、それはどれだけ負担だっただろう。
兄達は満足な教育も受けられず、伯爵家の子息とは思えぬ環境に身を置き、それでも私を大切に愛してくれた。
(すべては私が唯一の希望だったから…)
「フェリア、お腹が空いただろう?今食事を用意するから、少し待っていなさい。」
空腹どころか、何も感じない。
ずっとぼんやりしたままの視界。
ベッド脇の薔薇の香りも、手足の感覚も、何も感じない。
まるで夢の中にいるような…
(いっそ夢であったなら…)
夢…
(これは本当に現実なの?私は悪夢の中にいて…目が覚めたら、いつもの日常が始まるのではないの?)
今までだって、恐ろしい夢は何度も見た。
唯一の希望という重責が見せる、絶望の夢。
フラリとベッドから降りて、長い廊下を歩く。
いつだって、悪夢を終わらせてくれるのはお母様の優しい抱擁だった。
(お母様…お母様…)
この角を曲がれば、悪夢は消える。
お母様に抱き締めてもらえば、悪夢から…
「しかし、とんでもない事にななったねぇ、まさか婚約破棄だなんて…」
「シッ!声が大きいよ!」
「でも、他人事じゃないだろ?公爵家の後ろ盾がなくなった以上、この家に未来なんてあるかい?私達もいつ解雇されるか分からないんだよ?」
「そうね…、フェリア様の教育にお金をかけすぎて、奥様の治療費だってままならないみたいだしね。」
悪夢…
悪夢だとしても…
こんな酷い事があるだろうか。
「けど、フェリア様ならどこの家に嫁ぐ事も出来るじゃない!前に尋ねていらしたドレーク公爵様だって、素晴らしい令嬢だと褒めて下さっていたし!」
「えっ?あぁ…あなた昨晩の事知らないのね。」
(昨夜…?)
「もう…きっと、貴族の方に嫁ぐのは難しいんじゃないかしら。」
昨夜…
昨夜、私は…
ドクンと脈打つ心臓に呼吸が詰まる。
真っ白な頭の中に、流れる様々な映像。
告げされた婚約破棄。
ぐらりと揺れた身体は近くのテーブルに倒れ、食器が割れ、料理が床を汚す様を見ていた。
遠くに座るオーエング公爵様の怒声、お父様の声、貴族の方々の悲鳴…
真っ赤に染まる
(視界…?)
「っう‼︎」
ズキン、ズキンと頭が痛む。
その痛みが、今を現実なのだと知らしめる。
(痛い、痛い…なんで?どうしてこんなに頭が…)
痛む額に手をあてて、ヒュッと息を止めた。
(嘘…いや、そんな、嘘よ…)
身体を引きずるように壁へ辿り着き、窓枠に手をかけて立ち上がる。
「ぁ…ぁ、ぁぁぁ…」
磨き上げられた窓。
そこに映るのは…
「い、いゃあぁぁぁぁぁっ‼︎」
額の包帯。
それは真っ赤な色を滲ませている。
解けかけたその隙間には、はっきりと見える生々しい傷。
そして…真っ白になった髪…
「フェリア‼︎」
「いや、いゃあっ‼︎」
「フェリア‼︎大丈夫、大丈夫だから‼︎兄様が守る‼︎お前は兄様が絶対守るから‼︎」
私を抱き締めてくれるマティス兄様の服が、赤く染まっていく。
「フェリア⁉︎あぁ、フェリア‼︎」
部屋から飛び出してきたお母様と、お母様を支えるユリス兄様が、私を見て駆け出してくる。
(どうして…どうしてなの?こんな私に優しくしないで…もうなんの価値もない私に…優しくしないで…‼︎)
「ごめんなさい、ごめんなさい、フェリア…貴女一人に辛い想いをさせてしまって…」
「お母…様…」
細い腕に抱き締められた。
けれど…
悪夢は消えない。
消えてはくれない。
(全部現実なのね…。でも、なら、どうして…)
何の価値もなくなった私に、どうしてみんな優しくしてくれるのだろう。
全ての期待も、希望も、願いも裏切った私を、どうして抱き締めてくれるのだろう。
薄れゆく意識の中で、お父様とアロシス兄様の声が聞こえた。
心から私を心配してくれる声が。
(いっそ…役立たずと言ってくれたなら…)
そのまま意識を失った私が目を覚ましたのは、それから一週間後のことだった。
「フェリア、今日はお前の好きなピンク色のバラを持ってきたよ。」
まだ何も考えられない私は、ベッドから降りる事が出来ずにいた。
そんな私の為に、兄様達は部屋を訪れては贈り物や話しかけてくれる。
「マティス兄様…ありがとうございます。」
長兄のマティス兄様は、いつも優しく抱き締めてくれる。
「今日は顔色がいいな。何か食べたい物はないか?」
次兄のユリス兄様は、いつも優しく撫でてくれる。
「マティス兄もユリス兄も仕事に戻ったら?フェリアには俺がついてるから。」
三兄のアロシス兄様は、いつも優しく見守ってくれる。
でも今は…その優しさが、私の心を締め付けた。
「マティス兄様…お母様は…」
「…あぁ、大丈夫だよ。ちゃんと食事も召し上がっているし、お父様がついているから。」
中庭から聞こえてきたメイド達の話では、お母様は体調を崩して床に伏していると聞いた。
(私のせいで心労をかけてしまったのだわ…)
優しい両親と兄様達を悲しませる私は、一体何のために生きているのだろう。
「…フェリア、悲しい顔をしないで。お前はなにも心配しなくていいんだ。全部兄様が…」
「マティス、大した教育も受けておらんお前らに何が出来るというんだ?」
突然開かれた扉から、お父様の叔父にあたるクレシュメン子爵が冷たい声で言う。
「今、モルガート家が何と呼ばれているか知っているか?『オーエング公爵家の権力を得ようとして失敗した愚かな没落貴族』だ。」
「大叔父様、おやめください!」
「私はモルガートの失態のせいで、いわれのない侮辱を受けているのだ‼︎貴様らの父オリガが身の程を知らぬ野心を抱いたせいで、我々までが侮蔑を受けるなど‼︎」
「野心?婚約の話しはオーエング公から頂いたもの。大叔父様も喜んでいたではありませんか。」
「私は案じていた!南出身の成り上がり貴族の娘が生んだ娘など、オーエング公爵家に認められる筈がないとな‼︎」
「母を愚弄するおつもりか⁉︎」
「現にあの女のせいであろう!女児一人産むのに7年もかけ、生んでみれば未熟児だ‼︎いくらオーエング公の決めた事でも、エリシュナ様は耐えられなかったのだろうよ。こんな出来損ないが相手などとはな!」
大叔父様と兄様達の争う声を遠くに聴きながら、大叔父様の言うことは間違ってはいないと思った。
あの日、エリシュナ様と並んでいた女性はとても美しかった。
健康的な肌色に、輝くような華やかな美貌。
豊かな胸元と女性らしい身体のライン。
対して私は…真っ白な肌に、幼い顔立ち。
同じ16歳の女性と比べても、小さくて華奢な、まるで子供のような身体。
7つも歳上のエリシュナ様には、私を女として見ることが出来なかったのだろう。
きっと私との結婚は、エリシュナ様にとって偉大な父に逆らってでも受け入れられない事だったのだ。
「しかも相手は貿易業を手広く扱うラードン侯爵家の長女、エキドナ・ルベル・ラードンだ。オーエング公とて、強く反対する理由がない。いや、そもそも…額に傷を持ち、老婆のような白髪と成り果てた令嬢を娶る者などおらんだろうがな。」
「「「‼︎‼︎」」」
吐き捨てるような大叔父の一言に、白銀の閃光が三つ走る。
「ヒッ‼︎」
「大叔父…いや、クレシュメン子爵。今の言葉、取り消して頂こう。」
「き、貴様ら‼︎私に刃をむ、向けるなど‼︎どうなるか分かっているのだろうな!」
「さぁ、我らは大した教育を受けておりませんので、わかりませんね。分かるのは、貴方が我々の最愛の妹を侮辱した事実だけだ。」
「おっと、謝罪なしに部屋を出られると?俺は兄達より未熟ゆえ、剣先が滑りかねない。」
喉元に滑るアロシス兄様の切っ先に、クレシュメン子爵の身体が震える。
だが、その瞳に宿る怒りの色は褪せないままに。
「…お兄様、おやめください。クレシュメン子爵のお言葉は、たった一つを除いては間違ってはいません。」
「フェリア⁉︎」
「クレシュメン子爵、此度の事は私自身の至らなさ。母への侮辱は取り消してください。」
「っ…た、確かに、スティアナは女児を生む役目を果たした。それは認めよう。だがな‼︎忘れるな‼︎私だけではない‼︎クリティアス王国内のモルガート家に連なる者達が、貴様の失態のせいで嘲笑され、貶められている事実をな‼︎」
「貴様っ、フェリアに何の罪があるっ‼︎」
「アロシス兄様‼︎良いのです…。クレシュメン子爵、本当に…申し訳ありませんでした…」
ベッドを降りて、柔らかな絨毯に額をつける。
今の私に出来るのは、これくらいしかない。
いや、この謝罪すら…なんの意味も持たない。
「フェリア‼︎やめるんだ‼︎」
マティス兄様に抱き締められて顔を上げた視線の先に、クレシュメン子爵の…大叔父様の憐れむような瞳を見た。
「憐れなものだ。…なぜこの世に生まれてきたのか。」
最後に静かな言葉を残して去っていった大叔父様の背を、兄様達が怒りに満ちた眼で見送る。
部屋を飛び出して行かなかったのは、私を想う兄様達の優しさだ。
でも…
だからこそ思う。
「マティス兄様、ユリス兄様、アロシス兄様…ごめんなさい。あんなに大切にしてもらったのに、お役目を果たせなくて…全てを無駄にしてしまって…私、私が、いけないのに、なにも悪くない人達まで苦しめて、全部、全部私が、私なんかが生まれてしまったからっ」
「フェリア‼︎許さないぞ‼︎例えお前でも、俺達の愛する妹を侮辱する事は、絶対に許さない‼︎」
「アロシス兄様…でも私は」
「フェリア、お前の頑張りは、俺達が一番よく知っているよ。一族を背負うなんて重責は、どれほど重かったろうな。こんな小さな身体で、泣き言一つ言わずに…長兄の俺が不甲斐ないばかりに…ごめん。ごめんな、」
「違うわ、マティス兄様‼︎兄様達が与えられるべきものを、私が全部奪ってしまったのよ‼︎」
「バカだな、フェリア。俺達はなに一つ奪われてなんかないよ。 …俺達はね、何故女として生まれなかったのかって、ずっと悔やんでた。けど、お前が生まれて、その小さな身体で期待を一身に受ける姿を見て思ったんだ。俺はその重責に耐えられただろうか。フェリアのように、重責を背負いながらも、無力な俺達に優しく微笑む事が出来ただろうか…って。だからね、フェリア。俺はお前の全てが誇らしいよ。お前の優しさも、愛情深さも、知識も、教養も、そして誰よりも可愛い妹って事もね。」
「ユリス…兄様…」
エリシュナ様から婚約破棄を告げられてから二週間…
この日、私は初めて声を上げて泣いた。
父に、母に、兄達に、愛されている喜びと
愛する人達の期待に応えられなかった不甲斐なさ
これから先の不安
色々な感情がないまぜになった涙は、疲れ果てて眠るまで止まる事はなかった。
(私はこれからどうすればいいの?)
(私になにが出来るの?)
(私にまだ生きる意味はあるの?)
夢の中で繰り返す疑問に、答えてくれる者はいない。
けれど、目を覚ました私の枕元には、大きな手が差し伸べられていた。
「……お祖父様…?」
「久しいな。フェリア。」
日焼けした褐色の肌に、ゴツゴツした大きな手。
力強くて優しい瞳。
「…強いショックを受けて、髪色が変わったか。」
「そうだったのですね…」
「ふむ、美しい栗毛のブリュネットも似合っていたが、お前の琥珀色の瞳にこの白銀の髪はよく似合う。」
「白銀…ですか?」
「あぁ、かの獣を思わせる神々しさよ。流石はこのシグルス・ウル・アルガードの孫よな!」
豪快に笑う祖父は、南の国「ウェストリア」の国王軍指南役を務める、かつて英雄と呼ばれた騎士だった。
騎士伯から伯爵までの異例な出世は、この祖父の偉大な功績があっての事だ。
豪胆さと実力を国王に買われ、多大な信頼を受けた祖父の活躍は目覚ましく、今のウェストリアがクリティアスと並べるのは、祖父の功績があってこそ…と言われている。
だが、平民からの成り上がりで、粗野で教養もない祖父が貴族になる事を認めたくない貴族は多く、伯爵の爵位を持ちながらも、成り上がりの野蛮な一族と見下されている。
私が公爵家に嫁げば、アルガード家も見下される事もなくなったはず。
なのに、笑顔は以前と変わらず優しいまま…
「お祖父様…」
「はっはっはっ、なにを泣く?この爺に会えた事がそんなに嬉しいか?」
「嬉しい…お祖父様、嬉しいわ…。例えどんな時であっても、お祖父様に会えて嬉しくないはずがないもの。」
大きな身体に抱き締められて、クシャクシャと頭を撫でられる。
生まれた時から特別な扱いを受けて来たけれど、お祖父様だけが私を普通の子供と同じように扱ってくれた。
希望の子ではなく、可愛い孫娘として。
「なんとも可愛い事を言う!」
「キャッ⁉︎」
急に身体を小さい子を高い高いする様に持ち上げられて、2m近くあるお祖父様を見下ろす形になる。
「はっはっはっ‼︎軽いな!16になったとはいえ、まだまだ仔犬のようだ!可愛いフェリアよ、もうお前を縛る鎖は切れた!どうだ、わしと一緒に世界を見て回らんか!」
(世界…?)
私の世界…それはモルガートであり、オーエングだ。
だって、その為に生まれて来たのだから。
「それは…出来ません。」
「…何故?」
そっと柔らかな絨毯に降ろされて、グッと拳を握る。
「私が…フェリア・ルヴィーク・モルガートだからです。」
見上げたお祖父様の深い藍色の瞳に見つめられると、まるで心の奥底まで見透かされているようだ。
だから、嘘はつかない。
嘘は、つけない。
「この柔らかな絨毯も、ふかふかのベッドも、全部私がフェリア・ルヴィーク・モルガートだから与えられたものです。この屋敷のどの部屋よりも上質なものばかり。だから、私は役目を果たさなければいけないんです。例え老婆のような白髪になろうとも、額に傷を残そうとも、モルガート家の為に出来る事をしなくてはいけないんです。」
「…それは、グランチェスカ侯爵の妾になる事を言っているのか?」
「今の私にとっては、最善のお話です。」
グランチェスカ侯爵は、お父様よりも歳上の方で、正妻の他に幾人も妾を持っているのは有名な話。
オーエング公爵の誕生パーティーに出席していた侯爵は、あの様な場で婚約破棄され、傷まで負った私を憐れに思って下さったそうだ。
モルガート領の隣に位置するグランチェスカ領で採れる、上質な宝石で莫大な財を成しているグランチェスカ家からは、私が妾になればモルガート家の負っている負債をすべて肩代わりするとまで言ってくれている。
今の私には、願ってもない話だ。
…例え侯爵が「幼児趣味の色狂い」などと噂されていようとも。
「そんな話をオリガやスティアナが許すとでも?」
「それは…」
「お前はその小さな身体で、今まで多くのものを背負って生きてきたのだな…。」
「いいえ、私は家族に支えられて生きてきました。」
「こんな細い肩に、小さな手に、どれだけ重かっただろうか。」
「いいえ、愛してくれる家族の為なら、何も苦ではありません。」
「色を失い、傷を負い、それでも誰を責めもせず、自分を責めてしまうのか…」
「全ては私の不徳の致すところ。ですからお祖父様、そんな悲しいお顔は…」
「ば…」
「…え?」
「ばっかもーんっ‼︎」
空気が震える程の怒声と共に、部屋中に羽毛が舞い、ベッドだったものが真っ二つにへし折れた。
一瞬、何が起こったのか理解出来なくて、茫然とする私の視界がグラリと揺れた。
「えっ?えっ?」
肩に担がれた。
そう気付いてからは、パニックだった。
素手でへし折られたベッド。
蹴り飛ばされた花瓶。
投げ飛ばされたチェスト。
穴の空いた絵画。
あまりに激しい音に、お父様とお兄様達が駆け付けてきた時には、既に部屋の中に無事な物は何一つなかった。
「お、お義父さん、これは…」
「一体何が…」
これだけの事をしながらも、お祖父様は息一つ乱さぬまま、そして私を肩に担いだままでお父様達に振り返った。
「なに、大した事じゃない。仔犬では断てぬ鎖を断ち、檻の扉を開いてやったまでよ。おっと、これもそうだったな。」
丸太の様な腕が掴んだ絨毯を掴み上げると、お父様達四人がバランスを崩して膝をついた。
「この程度で膝をつくとは情け無い。」
「…返す言葉も…ございません。」
「お…お祖父様‼︎降ろして下さい!こ、こんな、どうして、この部屋は、」
「この部屋がお前を縛るなら、こんなもの全てただの枷でしかない。」
「お祖父様っ‼︎」
「フェリア・ルヴィーク・モルガートの名が枷ならば、それも無用のものだ。」
淡々と話す声色に、かつて英雄と呼ばれた騎士の覇気がこもる。
お祖父様は本気で言っている。
それだけはわかった。
けれど、だからといって、この現状を受け入れることは出来ない。
「離して‼︎降ろして下さいっ‼︎私はこんな事望んでないっ‼︎私はフェリア・ルヴィーク・モルガートとして、グランチェスカ様の元へ」
「ならばグランチェスカ領を滅するまでよ。」
「な…何を言って…」
「グランチェスカ領は国境線にある地だ。落とすのは容易い。」
「お祖父様⁉︎」
「可愛い孫を変態の豚野郎に差し出すくらいなら、領地ごと奴を滅するまでよ。」
ペタリとその場に座り込むと、散った羽毛がふわりと舞った。
(どうしてこんな事に…私は、私は役目を果たさなければいけないのに…)
「…素晴らしい提案ではありますが、その必要はありませんよ。」
場に合わぬ優しいお父様の声に、お祖父様が笑みを浮かべる。
「ふむ、それはそれで残念だ。グランチェスカ領と一緒にモルガート領も手に入れて、ウェストリアの領地にしてしまいたかったのだがな。」
「そんな事をしたら、スティアナに口をきいてもらえなくなりますよ?」
「それはいかん!ならば諦めるとしよう。」
すっかり穏やかになった空気に唖然としていると、お父様の手が頭を撫でた。
「昨日、オーエング公爵から手紙を受け取ったよ。「愚息の無礼を許して欲しい」とね。」
渡された手紙には、予想もしていなかったような事が書いてあった。
恩を仇で返してしまった事への謝罪。
オーエング公爵が私を実の娘のように思ってくれている事。
だからこそ、幸せになれない婚姻をさせたくないと、エリシュナ様との婚約が正式に破棄された事。
私が結婚するまでは、エリシュナ様とエキドナ様の結婚は許さない事。
望むのであれば、私の結婚相手をオーエングの親類から探して下さる事。
父への恩と、この度のお詫びとして、モルガート家の負債を全て返済して下さった事。
約束のせいで無理をさせてしまった母の治療に、力を貸して下さる事。
「オーエング公爵様…」
最後に、オーエング公爵は、私の幸せを心から祈る…と、添えて下さっていた。
「今まですまなかったね、フェリア。お前はもう、自由だよ。」
「お父様…」
自由…
どこか遠く聞こえるその言葉に、私は私を見つめるお祖父様を見上げた。
「もうお前を縛る鎖も、檻もない。」
「で、でも、私のせいでエリシュナ様とエキドナ様は…」
「お前はどこまで優しい子なんだ!わしの孫は天使か⁉︎そうなのか⁉︎」
「お義父さん、どうやら娘は世間を知らな過ぎるようです。」
「なるほどな!ではやはり、わしと世界を回り見聞を広めるのがいいだろう!」
「お義父さんが一緒なら心強い!フェリア、気をつけて行くんだよ。」
口を挟む間も無く決められて行く話に茫然としていると、またもやお祖父様の肩に担がれた。
「フェリア、手紙を書いてくれよ!」
「お祖父様、妹を頼みます。」
「帰ったら、旅の話を聞かせておくれ。」
「お、お兄様達まで、私にはまだ役目が、」
そう、オーエング公爵家の親類の家と縁を結ぶチャンスがあるのに、それを投げ出すこてなんて…
いつの間に用意していたのか、メイドのマーサがお祖父様にバッグを渡し、私を担いだまま屋敷の門をくぐった。
「お祖父様‼︎いくらなんでもこんな、」
ジタバタっ暴れながらも見上げた屋敷に、私は瞳を見開き…涙した。
(お母様…)
自室の窓から身を乗り出し、大きく手を振るお母様の姿。
そこにはずっと昔…まだ幼かった頃に見た、いや、見たこともないような、輝く笑顔が私を見送ってくれていた。
9/28
暗い話が続きましたが、次回やっと明るい話になっていきたす!