逆ハー万歳!
新緑がまぶしい初夏の風景。熱気をふくんだ風が私の髪をかきあげた。規則正しく並べられた石畳を踏みしめ、学校への道を歩いていた。
私の名前は佐倉翔子、十六歳。黒目黒髪の平々凡々日本人。実は、海外への短期留学を申し込んだの。それはいいんだけど、その留学先は……なんというか、私の知る海外ではなかった。一緒に向かう留学先の人たちは今までお目にかかったことがない人ばかり。単刀直入に言うと、耳の長いエルフや動物の耳が生えた獣人などが集まる学校だった。まるでファンタジー。ううん、まるでじゃない。本当にファンタジーの世界だった。
面倒な書類をいくつも書いたし、面接だって何度も受けた。「いろんなタイプの人と仲良くなりたいです」て言ったのがよかったのだろうか。その後、自分の手元に合格通知が届いた。案内に書かれたとおり荷物を準備して、パンフレットを片手に集合場所へ向かう。そこへついた瞬間だった。グラッと揺れた視界に驚き、気がつくと、なんともきらびやかな校舎の前に立っていたのだ。
どうやら、私が申し込んだのは、異世界留学だったらしい。こんなのありなのか。いや、途中から面接官にやたらフードかぶった人とかいるなあとは思っていたんだけれども。
「おはよ、ショーコ」
そう声をかけてきたのは、私の最初の友人になってくれた女の子、猫系獣人のイオちゃんだ。ふわふわのクリーム色の髪は、サイドで柔らかく三つ編みにされていて、ピクピクと動く三角の耳がついていた。おっとりした顔立ちは親しみやすく、私たちはすぐに仲良くなった。
はじめてこの学校に来た時は、あまりの衝撃に校門前で腰を抜かしてしまった。でも、イオやいろんなお友だちができて、私は少しずつ慣れていった。今ではわりとこの学校生活を楽しんでいる。
「おはよ、イオちゃん」
私は元気いっぱいに彼女に挨拶をする。するとイオちゃんの視線が私の顔のある一カ所にとどまった。
「え、ちょっと、それ湿布? どうしてアゴに貼ってるの?」
ばれてしまったか。いや、隠すのは無理なんだけどさ。情けないことに、私のアゴに白い湿布が貼ってある。かなり恥ずかしいし、くさい。そして痛い。
「いやー、ええっと、なんていうか」
ごまかすように視線をあさっての方向に泳がせるが、かわいい猫耳の友人は追及の手をゆるめない。
「ケガしたの? 大丈夫? 」
その黒目がちな瞳はうるうるしていて子猫のようだ。すっごくかわいい。しかし悲しむように下がった眉が悲壮感をこのうえなく醸している。
「なんていうか、アクロバティックに……転びまして? 」
「なんで疑問系なのよっ」
玄関口前でわーわー押し問答していると、横からくっと手を引かれた。その強い力に思わず体がよろめき、私の体をぽふっと受け止めたのは背の高い顔見知りの男性だった。さり気なく腰に手が添えられた。
「……ショーコ、顔の怪我どうした? 」
日本人ではまず見たことがない、さきのとがった長い耳。ビー玉のように透き通るような青い瞳とさらさらの銀髪。均整のある顔まるでおとぎ話の王子さまだ。彼は心配そうに私の顔をのぞき込んだ。
「ロジーさん 」
体は密着していて、彼の匂いがふんわり鼻腔をくすぐった。妙に恥ずかしくて顔が熱くなっていく。
「だ、大丈夫ですから。 もう、離して下さい」
ロジーさんは少し残念そうな顔をしてから、私を解放した。いや、アゴはめっちゃ痛いんですけどね。割れてないか心配なくらい。
「無茶はするなよ。……心配だ」
「大丈夫ですよ! ほら、全然平気ですもん。ロジーさん相変わらず過保護ですね」
そう言うと、私はイオの手をとって駆け足で校舎へ向かった。
ロジーさんが去り際に「……鈍感」と聞こえて来たが、なんの事かよく分からなかった。
……はい、ウソです!
本当は分かってますよ!
いい男が発する熱い視線に、気付かない乙女なんていないわよ! あんな公衆の面前であんなことされて、意識しない方がおかしいわい!
アレでしょ、「優しくしてるのはお前にだけなんだゾっ」てことでしょ? もー、ロジーさんステキすぎー。それとも「早く俺の気持ちに気付けよ」かな。ええ、もちろんそこは全力で気づいてないない振りしますとも。そこはお約束ですもんね。お任せあれってのよ!
となりを歩いているイオが私の顔を覗き込んだ。
「ショーコ、なんだか楽しそう」
ふふっとはにかむイオが、また可愛らしくて私はだらしなくにへらと笑ってしまった。そりゃ朝からあんなラッキースケベがあったら顔もにやけますよお嬢さん。
「なんでもなーいっ 」
この見目麗しいファンタジーの住人が通う学校はハーギヤク学園といい、私の短期留学先でもある。かわいい制服に豪華な校舎、いろんな姿をした生徒と先生がいるけれど、授業もちゃんとしていて、やはりというか生徒会という組織もあった。さっきのロジーさんもその生徒会のメンバーだ。カッコいい。
そして、ロジーさんと仲がいい三人のイケメンもなぜか私にちょっかいを出してくる。
天使のような可愛らしさを持つ、ほのぼの系年下ドワーフのアンジュ。褐色の肌と長いまつげが最高にセクシーな、人間のエース。そして犬耳と犬尻尾のけしからんパーツを備えた、まさにおバカわんこ系男子のルイ。ルイくんはその尻尾モフらせておくれ。そしたら昨日のアレは帳消しにしてあげるよ。
彼らも生徒会だったりするのかな。
ああ、憧れの生徒会。私もいずれそこに呼ばれちゃったりするのだろうか。もし少女マンガだったらあるあるシチュエーションだよね。会長ってどんな人なんだろう。無口俺様系会長もいいし、爽やか体育会系会長もいいなぁ。
ああ、異世界留学、充実してる!
◇◇◇
放課後の生徒会室。
せまい部屋に長机とパイプ椅子がならんでいる。そこには数人の生徒がいた。ホワイトボードの前にひとり、机に座っているのが三人だ。司会進行しているのは、先ほど翔子と話をしていたロジーと呼ばれるエルフの少年だった。
「ではこれより、対ショーコ逆ハー執行本部・第三回作戦会議を始める」
すごく真面目な顔をして、なんという会議をしているのだろうか。机に座っているのは、左から、ドワーフ、人間、獣人だ。
「その前にしつもーん。毎度思うんだけど、生徒会じゃない人間がここに入っていいんですかー?」
ドワーフの男の子アンジュが挙手をして質問する。いかにも年上好きしそうな可愛いらしい雰囲気だ。ちなみにここにいるメンバーは、ロジー以外生徒会の人間ではない。サッカー部がふたりに美術部がひとりだ。
「大丈夫だ。特に今はやることもないし。」
するとワンコ獣人のルイが口をはさむ。毛量のある尻尾がふるふると揺れている。
「ていうか、喉かわいたよぉー。なんか飲みたい。ねえ、お茶とお菓子はー? 」
「お茶セットがここにある訳ないだろ。学校だぞ。家から持ってきたお茶でも飲んでろ。もしくは購買で買ってこい」
「じゃあ生徒会の特別権限で購買の商品安く買ってきてー」
「バカ、生徒会は生徒の代表ってだけだ。そんな権限あるわけないだろう」
ダルそうに机に寝そべっている褐色のお色気男子のエースがポツリと漏らした。
「あー、一瞬でいいから女子のパンツ見てぇ……」
冗談めいた口調だが目は真剣そのもの。その問い対してかわいらしいアンジュが答えた。
「D棟階段の踊り場。あそこいいですよ」
「マジか。行くわ」
青春である。
「ふざけてないでさっさと済ますぞ。あの方の命により、我々は彼女にアプローチをかけている。おおむね順調だと思うが、なにか気付いたことや問題はないか」
ロジーに聞かれて一様に考えてみるが、皆特に何もなさそうだ。アンジュが口を開く。
「順調ですね。彼女素直なんで、贈られた好意は乾いたスポンジの如く吸収していますよ」
エースがうんうんと頷く。
「そんな感じ。あの子ちょろいわぁ。でもちょろい子って良いよね。本命にはしないけど」
「ふむ。下地は恐らく固まってきただろう。それでは各々次のステップに進むことにする」
ロジーはホワイトボードにペンを走らせる。三つの項目がそこに書きだされた。
壁ドン・床ドン・アゴくい
「これらはベタだが、接近法としての効果はバツグンだ。我々はターゲットに各自これらを仕掛けていく。一応説明書しておこう。壁ドンは、壁など他に行き場のない場所まで追い込んだ後、手なり足なり使って奇襲をかける密着型接近法だ。これは世間から『ただしイケメンに限る』という制約がかけられているが、我々なら問題ないだろう。床ドンは、追い込む地形が床に変わるというだけだな。アゴくいは対象のアゴを指で軽く持ち上げることを指す。そうやって不意打ちで視線を奪う事が目的だ。状況に応じて接吻に持ち込んでもいいが、これはまだ時期尚早だろう」
ここでルイが勢いよく手を挙げた。尻尾がブンブンと振れていてその姿は妙に誇らしげだ。
「はいはーい! 俺、こないだショーコちゃんにやったよ。めっちゃビックリしてた」
「ほう、ちなみにどれだ?」
「アゴドン」
「……ん?」
「アゴドン」
聞き間違いだろうか。アゴくい、ではなくアゴドン。ロジーは恐る恐る尋ねた。
「……どうやったか聞いてもいいか?」
するとルイは耳をピクピクさせながら、その時の様子を語りだした。
「まずねー、学校の帰り道に声かけて、ショーコちゃんと一緒に帰ったの」
——ふたりで帰る、夕暮れの道。他愛ない会話は盛り上がり、あっという間に別れの時間となる。顔が赤く見えるのは夕日のせいなのだろうか。翔子を見つめるルイ。いつも元気でちょっと抜けているが、その真剣な眼差しを向けられてドキリとしない女子はいないだろう。ルイは翔子の顔にそっと左手を添えた。研ぎ澄まされる神経。力がこもる、右手。
「そっから、ショーコちゃんのアゴに掌底打ち。あごどーんっ!」
——あちゃー……
肩を揺らして笑いしだすエースとアンジュを横に、ロジーは頭を抱えた。大きなため息を吐く。
「……だから今朝アゴに湿布貼ってたのか」
その次の瞬間だった。
生徒会室のドアが勢いよく開いた。誰かがズカズカと部屋に入ってきたのだ。
彼らはその人物を見た瞬間、萎縮した。本能が、この人に恐れろ、従えと訴えるのだ。乱入者が口を開く。
「お前の仕業か……。何回躾けても行儀の悪い犬だこと」
パシーンっと鞭で床を打つような音が響く。彼らはビクッと身を震わせ、同時に言いようの無い高揚感が体に湧き上がった。彼女は静かに、服従せざるを得ない迫力で言った。
「おすわり」
するとルイと呼ばれた獣人だけでなく、ロジー、アンジュ、エースまでが直ぐさま床に膝をついた。従順な態度とは裏腹に、彼らの顔にはどこか甘くとろけている。恐怖で体がこわばる一方、緩みそうな口元をどうにか引き締めていた。
乱入してきた彼女はルイのそばに行くと、彼の顔を上に向かせた。細く、白い指先があごに添えられる。ルイは背筋がゾクゾクとするのを感じた。
——彼女の獰猛な瞳が、自分だけに向けられている。
ルイの直ぐ目の前に彼女がいる。本当に直ぐそば。たったそれだけでルイは体が熱くなる。
「駄犬は、何をしても駄犬ね」
こぼれた言葉は冷たく、そして蠱惑的だ。彼女の吐息を感じたルイは背徳感さえ覚える。
「役立たず」
彼女は苛立たしげに尾を床に打ち鳴らした。ルイに向ける視線はまるで汚物を見ているようだ。ルイは意を決して喋り出す。
「お、俺、頑張りました。あなたのご希望に添えるよう、一生懸命…… 」
バシンッ。
彼女の鞭のような尻尾が、ルイの顔を強く叩いた。強い衝撃でルイの体が揺らめく。頬はジンジンと痛み出し、じわりと赤く腫れていく。彼は必死に堪えた。自分の幸福感が表情に出るのを。
彼女は彼らに背を向け、部屋から出て行く。振り向きざまに妖艶な笑みを浮かべた。赤く、しっとり濡れた唇からは白い犬歯がちらと覗いた。
「次はしっかりおやりなさい」
残された四人はしばらく動くことができなかった。彼らはそれぞれに顔を真っ赤にし、熱気のこもった眼差しを、彼女が去って行った方へ向けていた。わずかに残る彼女の匂いがまだ頭をくらくらさせる。
誰かがポツリと漏らす。
「イオ様…… 」
熱い想いを秘めた声で。
無言の空間に、それは虚しく消えていった。
◇◇◇
翔子は、友人のイオのとを猫系獣人と言っていたがそれは正確な表現ではない。あえて言うならネコ科系獣人だ。
「あ、イオちゃんどこ行ってたの? 途中まで一緒に帰ろう 」
不意に話しかけられたイオは、さっきまで纏っていた雰囲気をかなぐり捨てた。振り向いたその表情はまるで花が咲いたように可憐だ。
イオはその圧倒的な存在感で、これまで友人というのがいなかった。女子、男子共に畏怖、敬慕、憧れを念を抱かれ、誰もが一線を引いている。翔子はこのハーギヤク学園にきてイオが最初の友人だというが、イオにとっては翔子が人生初めての友人だった。
翔子は気づいていない。イオの偽りのない笑顔は翔子にしか向けられていないことを。翔子にこの学園を少しでも楽しんでもらうべく、男子生徒数人にお姫様扱いをするよう命じていることを。
恐れ多くもあのイオに思慕を寄せる四人の少年をはじめ、この学校の生徒たちはそんな翔子の様子に歯がゆい思いを抱いている。翔子に手を握られたイオは、うぶな少女の様に顔を真っ赤にさせていた。それにも気づかない、あの鈍感ぶり。
それと同時に、翔子がいるからこそ見れるイオの表情が愛しくて眩しかった。笑った顔、照れた顔、すねた顔。これらを見る度に、彼らは顔に血が上り、体に熱を帯びていたのだった。
翔子がこの世界に滞在出来るのもあと少し。みずみずしい緑の並木道を翔子とイオがふたりで歩く。空は晴れ渡り、夕日が景色をオレンジ色に染めている。鳥がどこかでチチチと鳴いた。
孤高の女王が手に入れた、大切な友人。
果てして彼女はどうするつもりなのか。
それはまだ誰にも分からない。
◇◇◇
「イオ様のあのしなやかで麗しい尻尾で直接ぶたれるなんて……お前だけズルいぞ、ルイ 」
「あー、イオ様まじで最高……罵られたい……」
「僕も頑張ってるからご褒美欲しいです、イオさまぁ」
「……俺、しばらく顔洗わない……」
その頃、生徒会室では爽やかなハズのイケメン達が色々とこじらせていた。
【おわり】