第九章 真実
四十二
塩野谷松子の葬儀は滞りなく終わった。新人は一度アパートに戻り、着替えを済ませてから出社した。午後の電車内は余裕で座れるほど空いていたので、腰掛けると車窓の景色を眺めていた。
高村は一体どういう決断をするのだろうか? 父親だと名乗り出るのだろうか? しかし、新人は首を振った。これ以上の口出しは無用だ。本人の意思を尊重することに決めたのだから。
職場に着くと、新人は気持ちを入れ替えた。
「よしっ」
しかし、扉を開けようとしたが、なぜか施錠されていてた。
「あれ?」
ノックをしたが、返事はなく静まり返ったままだ。
「今日って休日だっけ?」
「そんな訳ないでしょ? みんな出ているだけよ」
後ろから声がしたので振り向くと、いちるが立っていた。たった今、出先から戻ってきたらしい。だが、どこか雰囲気が変わったようにも思えた。
「ああ、すみません。遅くなりました」
「ふふ、謝り癖ね。今日は塩野谷さんのお葬式だからって、事前に連絡していたじゃない。いつのも寝坊とは違うのだから、謝る事じゃないわよ」
「ですよね~」
鍵を開け中に入った新人は、何気にホワイトボードのスケジュール表を見た。相変わらず自分以外はスケジュールが詰まっている。
ため息交じりで席に着き、パソコンを起動した。そして画面中央にOSのロゴが現れたとき、スターウォーズのテーマ曲が流れた。
新人は鞄からスマホを取り出し着信画面を見た。八王子の日野さんからだった。ちょうど塩野谷家の騒動も片付き、いつアルバムを返しに行けばいいのか、電話で聞くつもりだった。
「もしもし周防です」
『もしもし、日野です』
「日野さん、アルバムありがとうございました。無事に目的が果たせましたので、今週中にはお返しに伺えますが、いつ頃がよろしいでしょうか?」
『わしは何時でも構いませんよ。今日はその件とは別に、よく妻が言っていた事を一つ思い出しまして、その事で電話をしました』
「え? 何か思い出されたのですか?」
もう全て解決したので必要ないとは思ったが、些細な事でも誰かと話がしたいのだろう。先日訪れた時も、話し相手がいると嬉しいという態度が明かだった。それに借りた立場でもある。
『たしか同級生や先生もよく間違えたけれど、その都度自分で名乗っていた、と言うことは前にもお話ししましたよね?』
「ええ、たしかに」
『実はそれ以外に〝もう一組の双子は、姉妹で足の指の長さに違いがあるから、見せてもらった事があったのよ〟って、妻が言っていた事を思い出しまして……』
新人は不意討ちをくらったような衝撃を受けた。
「え? も、もう一組?」
『そうなんですよ。妻のクラスにはそっくりな双子が二組いたんです。名前はえーと、ほれ、あんたに貸したアルバムを見て下さい。そっくりな双子がもう一組、写っていると思いますから』
アルバムは鞄の中に入れたままだった。電話を切ると、いちるが心配そうに聞いてきた。
「何かあったの?」
「ええ、ちょっと」
新人は鞄からアルバムを取りだし、卒業生の顔写真を順に見て行った。そして塩野谷姉妹の写真から、更に二列隣に視線が移ったところで、思わず声が出た。
「え? これって……何で?」
いちるもアルバムを覗き込んだ。
「あれ? この人たちって……」
間違いなく双子がもう一組いた。名前は三池朝子と三池夕子。塩野谷姉妹のクラスには、双子がもう一組いたのだ。
結愛ちゃんに良く似た、もう一組の双子が……。
四十三
「これって一体、どういうことなの?」
いちるの言葉に、新人は答えが見つからなかった。
アルバムの写真にあったもう一組の双子、三池姉妹。こっちも実にそっくりな双子だった。しかも、結愛ちゃんによく似ている。
「僕が会ったあのお婆ちゃんは……」
いちるはアルバムを受け取ると、三池姉妹の文集欄を探した。
「ここ見て」
いちるの指した頁には、三池朝子の書いた文があった。そこには、
『――なので、妹の夕子は私と違って、右足の人差し指が親指よりも長いのです』と書かれていた。
新人は龍一に呼ばれた、あの日の事を思い出した。
結愛ちゃんのDNA鑑定の結果について、源次郎と共に相談を受けたあの日。不意に大婆ちゃんが部屋に入ってきた。そして帰り際に何と言ったか?
――あらやだ、靴下から芽が出ちゃって――
確かにそう言って、自分の右足を見ていた。
「確かにあの時〝靴下から芽が出た〟って言ってました。そして右足の人差し指が靴下から出ているのを、僕も見ました……」
さらに新人にはもう一つ、これまで引っ掛かっていた事があった。塩野谷姉妹を知る人たちに、聞き込みをしていたときだった。
戦前から姉妹を知る人は『華がある姉妹』とか『活発な姉妹』と言っていたが、一方で戦後に知り合った人からは『コツコツと努力をする姉妹』とか『真面目な姉妹』だと言っていた。
戦争を挟んでまったく異なる人物評価。戦争で人生観が変わったと言われればそれまでだが、その事もいちるに話した。
いちるは少し考え込んでから、考えを口にした。
「信じられないけれど、戦時中に成り代わったとしか考えられないわ。でも、どうしてそんな事を……」
「でも、足の指の長さが特徴的な人って結構いるみたです。それに戦争を経験したことで、人生観が変わったと言えばそれまでですよ」
「確かにね。でも、このアルバムが全てを物語っているわ。結愛ちゃんて、三池姉妹にそっくりじゃない」
「確かに。でも、どうして成り代わりなんかを……」
新人はもう一度、二組の双子の写真を見比べた。現在の高画質画像に慣れた目には、粗い粒子が目立つ写真ではあるが、塩野谷姉妹の面立ちには、幸一と啓一の面影があった。
しかし一方で三池姉妹は、明らかに結愛ちゃんとよく似ていた。
不意に、朱里の言葉が思い出された。
――大婆ちゃんの嘘には、塩野谷家に関わるとても大切な秘密が隠されている気がするの。勝手に開いてはいけない大切な何かが。そうでなかったら、自分の最期にこんな事しないでしょ――
新人は出かける準備をした。
「ちょ、ちょっと。どこへ行くのよ?」
「すみません。ちょっと行って来ます」
「行くって、何処へよ?」
「松戸です。行ってきます」そう言って慌ただしく新人は出ていった。
喫茶店『憩いのひととき』のドアが開けられた。店内には四、五人程度がまばらにいる。
「いらっしゃいませ。お好きな席に――あれ? 先日の記者さん?」
「こんにちは。突然ですみません。お爺さん、いますか?」
「ええ、二階に。今呼んできましょうか?」
そう言って二階に上がったと思ったら、すぐに降りてきた。
「どうぞ上がって下さい。上で待ってますから」
「そうですか。わざわざすみません」
新人は、はやる気持ちを我慢して階段を上がったが、部屋に入ると抑えられずに、いきなり訊ねた。
「し、失礼します。植木さん。こないだの件、塩野谷姉妹の件ですが、一つ確認をさせて下さい」
いきなりの質問に少々面喰らった植木だったが、声の方に顔を向け背筋を伸ばした。
「はあ、一体何でしょうか?」
「塩野谷姉妹とよく一緒に来ていたという、学友の方についてです。確かそういう学友がいたと話してくれましたよね?」
「ええ、確かにそう言いました」
「もしかして、その人達も〝双子〟だったのではないでしょうか?」
植木は、新人の言っている意味がすぐには理解できなかったのか、しばらく間をおいてから答えた。
「あれ? 話しませんでしたか? ええ、そうですよ。そっくりな双子が二組、明るく活発な塩野谷姉妹と、地味だけれど芯のしっかりした……ええと……」
「三池朝子さんと夕子さん」
「そうそう、思い出しました。三池姉妹ですよ。その四人がうちの常連だったんです。あれ? どうしてあなたが三池さんの名前を知っているのですか?」
もう疑う余地はない。二組の双子が結びついた。
「ありがとうございました」
新人は植木の質問には答えずに、喫茶店を出た。そして源次郎を呼び出すと、これまでの経緯を話した。源次郎はそれについて何も答えなかったが、その代り、新鎌ヶ谷駅で待っていろと、それだけ言うと一方的に電話を切った。
四十四
新鎌ヶ谷駅で源次郎と合流した新人は、タクシーで塩野谷家へと向かった。車中の源次郎はいつもの源次郎ではなく、かと言って弁護士の源次郎でもない、終始無言で目を閉じ、何かを熟孝している様子だった。
塩野谷家に到着し呼び鈴を押すと、朱里が顔を出した。
あら? お二人とも、どうかしましたか?
数時間前に会っていたのだから、当然そんな言葉が出てくるかと思っていた。しかし朱里は二人の顔を見た途端、明らかに緊張した表情を見せた。そんな朱里を見て、新人は尋ねる言葉を失ってしまった。
「塩野谷菊子様はご在宅ですか?」
弁護士・周防源次郎が事務的な口調で尋ねると、朱里はさらに表情を強張らせた。
「今はちょっと……」
「お出掛けですか?」
明らかに様子がおかしい。
「お体の具合でも悪いのですか?」
重ねて質問する源次郎に対して、口ごもる朱里がいた。
「そう言う訳では……」
「いないのですか?」
これまでに見せたことのない朱里の動揺ぶりに、新人はますます言葉が出なかった。
「私ならここにいますよ」
そのとき、廊下の奥から声がした。そして姿を現した塩野谷菊子に対して、朱里は慌てて言った。
「菊子大婆ちゃん、こ、ここは丈夫です。私が用件を聞いておきますから、奥で休んでいて下さい。お葬式で疲れてますでしょ?」
「いいえ。私に用事があるのでしょ? 朱里さんはお茶の用意をお願いします。さあ、どうぞ、お入りください」
困惑しながら朱里は、奥へと消えて行った。
「こちらです」
通されたのは母屋のリビングではなく、玄関脇にある六畳ほどの応接室だった。
三人掛けソファが、テーブルを挟んで2脚置いてあるだけのシンプルな部屋。奥のソファに源次郎と新人が腰掛けると、手前のソファには菊子が腰掛けた。
すぐに朱里がお茶を持ってくると、菊子の横に腰掛けた。どこか警戒しているような、威嚇しているような、そんな雰囲気を彼女は纏っていた。
次はお前の仕事だ、といわんばかりの目で源次郎は新人を促したので、新人は頷くと率直に聞いてみた。
「あなたは……誰ですか?」
菊子は何の反応も示さない。代わりに朱里が答えた。
「周防さん、いきなり何を言うのですか?」
あきれた口調だが、その表情は強張ったままだ。
「塩野谷菊子さんですよね?」
新人は質問を変えた。
「はい、そうですよ」塩野谷菊子がようやく答えた。
「では、三池夕子さんとは、一体どなたでしょうか?」
菊子は目を見開き、じっと新人を見た。そしてまた朱里が割り込んできた。
「な、何をおっしゃているのか、さっぱり分りませんね。菊子大婆ちゃんは葬儀で疲れているのですよ。早く休ませてあげたいので、もうこれで――」
ところが新人は、朱里の言葉を遮り、さらに訊ねた。
「ご存じありませんか?」
「いい加減にして下さい」
朱里が怒りの感情を表したので、静まり返った。隣で菊子は、一度目を瞑ってから深呼吸をして、ゆっくりと目を開け、そして語り出した。
「よく存じておりますよ。私が三池夕子、本人ですから」
「菊子大婆ちゃん――」
朱里の言葉を片手を上げて制止すると、動揺する朱里に優しく微笑んでから、新人を見据えた。
「おっしゃる通りです。わたしの名前は三池夕子です。そして先日亡くなったのは私の双子の姉、三池朝子です」
「それは一体?」
「ここから先の事を話すには、皆を呼ばないといけませんね。申し訳ありませんが、リビングの方へご足労いただけますか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。もう塩野谷家の問題は片付いたのですよ。もういいんじゃないですか?」
「朱里さんも気が付いていたのでしょ? 私たち双子が別人だって事に」
「それは……」
俯いてしまった朱里の肩に、三池夕子はそっと手をおいた。
「もう大丈夫ですよ。今まで本当にありがとう」
覚悟を決めからであろう。新人にはこれまでの菊子大婆ちゃんとはまるで別人のように思えた。
「なんだよ菊子大婆ちゃん、大事な話って? しかも弁護士先生と記者さん、それに会長まで揃って」
塩野谷家の面々が続々とリビングに集まりだした。遠藤会長も呼び出されたようだ。新人はそっと朱里を見た。彼女の傍らでは結愛が何かを感じ取ったのか、不安そうな表情で朱里の手を握っていた。
そんな中で、三池夕子は語り始めた。
「今までみなさんに隠していた事があります。黙っていて申し訳ないと思っていました。私は、塩野谷菊子ではございません」
幸一達は耳を疑った。暫しの沈黙の後で、幸一が尋ねた。
「い、今なんて?」
「私は塩野谷菊子ではございません、と言ったのです」
「それじゃあ、や、やっぱり、お、お袋だったのか?」
「違います。私の本当の名前は、三池夕子です。塩野谷松子さんと菊子さんとは、学生時代の同級生でした。そして先日亡くなったのは私の双子の姉、三池朝子です」
皆が唖然としている中で、今度は啓一が言った。
「今度は何の冗談だ?」
「冗談でこんな事は言えません」
一同は困惑した。
「一体何の事? 三池なんていう名前、今まで聞いたこともないよ。わかりやす説明してくれよ」
龍一の問いに、三池夕子は大きく頷いた。
「はい。勿論そのつもりで集まって頂きました。少し長い話になるかと思いますが、聞いてやって下さい」
そう言って腰を下ろした夕子は背筋を伸ばすと、皆を見据えた。
四十五
「いつになったらこの秘密を打ち明けようかと、大変悩んでおりました。しかし今日、このお二人が私達姉妹の秘密を見抜いていらっしゃいました。お二人には感謝いたします。ようやくこの荷物を下ろせるのですから」
その言葉通り、三池夕子はこれまでにない穏やかな表情だった。
「さっきも言った通り、塩野谷姉妹とは東京女子高等師範学校時代の同級生でした。双子は珍しいと言えば珍しいし、珍しくないと言われればそれまでなのですが、同じクラスに二組の双子というのは、さすがに珍しいと言えたでしょう」
当時を思い出しているのか、微笑みを浮かべた。
「双子同士ゆえに、私達はすぐに意気投合いたしました。しかも当時、同じ浅草に住んでおりましたので、近所の喫茶店で子供の教育と未来について、よく話し合ったものでした。そして、師範学校を卒業してそれぞれ違う小学校で教員となってからも、度々集まっては近況報告や、世の中の情勢について話し合っていたものです。戦争も長引き、誰もがこの国の行く末を気に掛けていた頃ですから……。そしてあの日を迎えました。忘れもしない1945年の3月10日。この日は未明から、いつにも増して熾烈な空襲があった日でした」
静まり返ったリビングで、時計の秒針だけがリズムを刻んでいる。
「あの日の前の晩。私は勤めていた小学校で宿直をしていました。普通は男性教員がするのですが、どうしても急用があり、他に代われる人がいなかったからです。しかし実際に引き受けると、やはり夜の学校に一人は怖いものですから、姉をこっそりと呼びました。すると姉から話を聞いた塩野谷姉妹も、是非とも行ってみたいという話になったらしく、一緒に連れてやって来たのです。私たちは夜の学校で、誰に憚ることもなく深夜まで盛り上がっていました。しかしそんな深夜を過ぎた頃でした。突然空襲警報が鳴り、爆発音があちこちから聞こえてきたのです」
三池夕子の表情が暗くなった。
「慌てて外に出て見ると、既に四方八方から火の手が上がっていたのです。とりあえず近くの防空壕へと急ぎましたが、それほど大きい防空壕ではなく、既に満員で入れてもらえませんでした。仕方なく近くの茂みに皆で体を寄せ合い、家族の無事を祈りながら、爆撃が止むのをひたすら待ちました」
思い出したくもない過去なのだろう。俯き声が震えていた。
「運が悪かったとしか言えませんでした。私たちが身を潜めていた近くに焼夷弾が落ちて、爆発と共に飛び散った可燃性の粘着物質が、私達に降りかかったのです。慌てて火を消そうにもなかなか消えず、大火傷を負いながらも着ていた服を全部脱いで、辛うじて一命は取り止めました。しかし松子さんと菊子さんは助かりませんでした。炎を吸い込んで肺を焼かれてしまったらしく、呼吸が上手く出来ずに、口をパクパクとしていました……。それでもようやく聞き取れた最後の言葉は〝子供達に明るい未来を〟だったのです」
驚愕の真実と壮絶な過去を聞き、誰もが愕然としたまま声を出せずにいた。
三池夕子も目を強く瞑り、ゆっくりと呼吸を整えてから、再び語り始めた。
「私たちも、決して軽い火傷ではありませんでした。その後数日は高熱が出て意識が混沌としていましたから……。それでも私達姉妹は助かりました。でも、家があった辺りは一面の焼野原で、当時生まれたばかりの朝子の娘の輝子以外は、みんな焼死体となって発見されました。輝子は体が小さかったので、形も残らずに灰になって消えてしまったのだろうと、その時は思いました」
無念の思いがこみ上げてくるような、そんな苦痛の表情になった。
「何で私達だけが生残ってしまったのだろうと嘆きました。私たちも一緒に連れていってくれればいいのにと、そう思いました。そして私たちは、お互いの手を紐で縛り川に身を投げようとしたのです」
三池夕子の頬を涙が伝い落ちた。
「でも、そのときです。松子さんと菊子さんの声が聞こえたのです。空耳なんかじゃなかったと思います。二人とも聞きましたから。それで思い止まりました。死んではいけない、私達は生きている、いえ、松子さんと菊子さんに生かされたのだと。その後に塩野谷姉妹の家族は、幼い子供二人を残して全員が亡くなったということを知りました。これはきっと、二人の子供を私達に託したのではないのか? 私たちはそう考えて決心しました。二人の赤子を引き取り、塩野谷姉妹として志を受け継ごうと。彼女らが描こうとしていた子供達の明るい未来を、微力ながらも築き上げようと。そして終戦後、すぐに童話を通して子供たちの未来を明るくするために〝太陽の会〟を発足させたのです」
また暫くの沈黙があった。そんな中で、新人は疑問に思ったことを口にした。
「志を受け継ぐだけなら、三池姓でもよかったのではないでしょうか?」
「確かにそうですよね。でも私たち姉妹にとって、塩野谷姉妹とは救いであり、憧れでもあったのです」
「救いで……憧れ?」
「はい。二人は恵まれた家庭に育ち、運動も学業も常に優秀でした。そればかりか、明るく社交的で美しく、周囲の人達からも慕われていたのです。そんな二人を同じ双子ということで、いつも比べられながらの学校生活は、決して楽しいものではありませんでした。そうです。私たちは嫉妬していたのです」
自嘲気味に言い、また俯いた。
「でも、そんな私達の些細な嫉妬心などは、あの空襲の日に焼き払われたのです。塩野谷姉妹は息を引き取る直前……自らが死ぬその瞬間まで、子供たちの未来を気に掛けながら亡くなりました。それはまさに、神々しいまでに尊く美しい志でした。私達はそんな彼女らに憧れ、すがりたかったのです」
深いため息を一つ、ついた。
「月日が流れ、太陽の会が主催する童話作品コンクールで、ある女性の作品が入賞しました。新田洋子さんです。そして会報に載せる受賞者のコメントで、私達は気になる一文を目にしました。それは彼女の母親が、つい最近他界されたという内容のコメントでした。その母親というのは戦争中に生まれ、当時住んでいた家が空襲に遭い、燃え盛る炎の中で泣いていたところを、近所の人に助け出されたそうなのです。そして身寄り全てが亡くなったと思われたため、そのままそのご家庭に引き取られたという内容でした。まさかと思い彼女の素性を調べて驚きました」
三池夕子は顔を上げ、目を見開いた。
「助け出して頂いた方の名は、新田さんと言います。確かに当時、ご近所に住んでおりました。そして助け出された赤ん坊は、朝子の娘の照子だったのです」
声のトーンが優しくなった。
「洋子さんは生まれつき体が弱く、年老いた輝子の世話をしながら定職にも就けずに、アルバイトで生活を繋ぎながら童話を作っていました。だから彼女には、すぐに太陽の会の職員として働いてもらうことにしました。そしてさらに龍一さんとの結婚話も持ち出したのです。洋子さんには当時、付き合っていた男性がいることは知っていましたが、その相手は売れない作家だというので、龍一さんと結婚させて少しでも楽な暮らしをしてもらいたく、勝手に話を進めてしまったのです」
表情も穏やかに戻った。
「そこから先はもうお分かりでしょう。結愛はその男性との子です。気付いた時にはもう遅く、私らはとんでもない過ちを犯してしまったと悔やみました。だから、この命尽きるときは結愛のために使おうと、朝子と二人で決めたのです。ちょうどその頃の塩野谷家は色々あって、みんなばらばらでしたから」
リビング全体を覆うように、重く圧し掛かった沈黙を、最初に破ったのは幸一だった。
「七十年近くも偽っていたのか?」
「そうです。私達姉妹は塩野谷松子と菊子として、ずっとあなた方を騙してきました。本当に申し訳ございませんでした」
「い、いや、別に責めるつもりで言った訳じゃない。二人がどれだけ苦労をしてきたのか、俺たちは良く知っている。ただ誰も気付けなかったなんて……」
「いいえ。朱里さんは薄々気付かれていたようです」
一同の視線が朱里に集まった。朱里は一度目を伏せてから静かに語った。
「大婆ちゃん達の過去に何があったのか、までは分りませんでしたが、入れ違いについて、私が知ったのは今日です。今回の相続でお二人は、ばらばらになっていた塩野谷家を一つにしようとしていたのは分かりました。でもそれ以上に、結愛を守ろうとしているのも分かりました。大切なひ孫なのだから当然でしょうけれど、それ以上の何かを感じずにはいられませんでした。そして周防さんから、卒業アルバムを見させてもらって、それで分ったのです……」
三池夕子は朱里を優しい目で見つめた。
「そうでしたか。私達は以前、朱里さんと龍一との結婚に反対をしました。でも、嫁いでからの朱里さんの振る舞いは、それは立派なものでした。靴下から私達双子の違いにも気付いていまし、なにより結愛に対する愛情は、洋子さんに勝るとも劣らない本当の愛情だと思います。だから朱里さんにだけは秘密を打ち明けて、塩野谷家を一つにする事に協力してもらいましょうかと、よく朝子と話していたのですよ」
「そんな、私はそんなんじゃありません……」
朱里を愛しむ眼差しで見ていた三池夕子は、ふと思い出したかのように言った。
「そう言えば、まだ手まり唄の意味を話していませんでしたね」
今度は一同に向かった。
「あの手まり唄を作ったきっかけは、洋子さんが絵本を通して、結愛の本当の父親と文通のようなやり取りをしてる事を知ったからです。しかも洋子さんの本当の想いを理解出来なかった私達は、愚かにもこんな手まり唄を作ってしまったのです」
そう言ってから、皆の前でまりをつき始めた。
「うさぎの角は、すいとうと――」
歌い終わると、まりを大事に抱えて皆を見渡した。
「歌い出しの〝うさぎの角は、すいとうと、こちらにこんこん、このこにと〟の意味ですが、これは〝好きな人がいようが兎に角、孫のお嫁に来なさい〟という意味です。当時の洋子さんと付き合っていた人は、今でこそ有名な作家先生ですが、当時はまだ売れてない人でした。だから龍一さんと結婚して、少しでも楽な暮らしをしてもらいたかったのです。とんだ思い上がりですよね」
抱えたまりを、いとおしく撫でながら続けた。
「次の〝赤い子鬼の子文交わし〟の意味ですが、これは〝産まれた赤ん坊は赤の他人で、しかもその父親と文通していた〟という意味です。鬼の子などという表現にしたのは、洋子さんに裏切られたと、当時は思い込んでしまったからです。本当に身勝手な思い込みです。だから〝ようようかんがえ〟という表現で〝自分たちの過ちをよく反省して〟としました。そのあとは前にもお話したとおり、それぞれ松子さんと菊子さんの隠し名を入れておいたのです。最後の〝したとさ〟には〝残った方が、今回の相続をやり通すと決めた〟という決意を表しています」
そして姿勢を正し、ハッキリと全員に聞こえるように言った。
「これが私達双子が隠していた事実の全てです。他に隠している事は、何もありません」
話を聞いていた幸一と啓一、そして正夫は眉間にしわを寄せ、俯き考え込んでいだ。龍一は呆然とした表情で天井を仰ぎ、朱里は下を向き、結愛は朱里に寄り添い顔を埋めている。時子と鈴子は涙を浮かべていた。
「どうして……どうして、もっと早く言ってくれなかったんだよ」
龍一が沈黙を破った。
「結愛がこの先どうなるのか、それが気掛かりだったのです。もし血のつながりがないことが分ったら、この家を追い出されてしまうのではないか? そんな不安がどうしても拭いきれませんでした」
「結愛が僕の子じゃないと知って、正直ショックだったよ。でも今はもう違う。これまでずっと親子をやってきたんだ。だからこれからも、結愛は僕と朱里の娘だよ。でもね、僕が言いたかったのは、大婆ちゃんに対してだよ……もっと早くに言ってくれれば、二人にちゃんと言えたじゃないか。ありがとうって。……大婆ちゃん達がいなかったら、今ここにいる皆もいなかったんだよ……。そんな苦労を、そんな重荷を二人だけに背負わせて、今まで何も知らずにいただなんて……。お礼の一つぐらい、ちゃんと言わせてくれても、よかったじゃないか……」
涙ぐむ龍一に幸一が続いた。
「龍一の言う通りだ。しかも、塩野谷家をバラバラにしてた責任は俺にある。だからそんな余計な苦労をかけさせたことも謝る。そして俺もちゃんとお礼が言いたい。ありがとう」
幸一は立ち上がり、夕子に深々と頭を下げた。続くように時子や啓一夫妻も立ち上がると次々と礼を述べ頭を下げた。
そんな様子を、感慨深く見つめていた遠藤が立ち上がった。
「私はこれまでどおり、太陽の会の会長として、童謡や童話といった文化を普及・継承していきたいと思います」
遠藤もそう言って頭を下げた。
「結愛、童話作家になる」
結愛のその言葉に、朱里や夕子は泣きながら笑った。
新人は今この瞬間こそが、塩野谷家の本当の再スタートなのだと確信した。
四十六
「いやぁ、色々あったけれど、落ち着くところに落ち着いたって感じだな」
「そうね。もっと早くこんな風に、お互い面と向かって話し合う事が出来ていれば良かったですわ」
幸一夫妻はアルコールが入り、すっかり上機嫌になっていた。
塩野谷家のリビングでは、源次郎、新人、翼、いちるが、塩野谷家の夕食会に招待されていた。
「そうそう。これも全て大婆ちゃんに感謝しないと」
「結局大婆ちゃんは、こんな感じで家族がまとまる事が望みだったんだよな」
啓一夫妻も負けじ劣らじ、上機嫌だ。
「そうですわね。はっきり言ってこれまでは皆バラバラだったから」
「ああ、確かにそうだった。昔はいつもこんな感じだったのにな……」
そこそこだった梨園の経営が急に伸び、収入が大幅に増えた。だからこの母屋を建て直し、増築した。そしてその頃から家族間がギクシャクし始めたのだ。
ふと、龍一が言った。
「結愛にも感謝しないとね」
一緒に朱里も微笑んだ。
「そうよね、結愛のおかげだわ」
急に自分の名前が話題に上がったので、結愛は食事をしていた手め、一堂の視線に耐えきれずに赤くなって下を向いた。
笑い声がリビングに広がると、結愛も顔をあげて満面の笑顔になった。
「周防さん達も、本当にありがとうございました」
改めて龍一が源次郎達に頭を下げた。
「いやいや、とんでもない。私はただ弁護士としての職務を行っただけですから」
「そうです。僕達も微力ながらお手伝いが出来て良かったです」
塩野谷姉妹と三池姉妹の成り代わりについて、塩野谷家の全員は三池夕子に対して、これまで通り〝菊子大婆ちゃん〟でいることを望んだ。源次郎も、本人の告白はあるが、それを裏付ける証拠はどこにもなく、塩野谷家の決めたことを尊重すると言い、この件は片付いた。
塩野谷家は一つになった。もうこの家族は大丈夫だろう。そう呟いた源次郎に新人も素直に頷けた。
そしてさらにもう一つ、うれしい出来事があった。結愛が朱里のことを〝お母さん〟と呼んだのだ。朱里はずっとその一言を待っていた。笑顔の頬を一筋の涙が伝い落ちた事が、それを物語っていた。
高村は結局、今は名乗り出ないと決めたようだ。ただ結愛が二十歳になったら名乗り出る事にしたらしい。それは高村と龍一、朱里が話し合って決めたようだ。そして結愛も、成人を迎えたら全てを話すということで納得した。
「ところで爺ちゃんは、どこまで知っていたの?」
新人はこっそりと源次郎に訊いた。
「何がだ?」
「とぼけるなよ。塩野谷姉妹が成り代わっていた事だよ」
「今日だ」
「本当に?」
「本当だ。だが、違和感はあった。具体的にどうこうではなく、勘だけどな。まあ年の功ってやつだ」
「朱里さんも薄々感ずいていたみたいだったね」
「朱里さんは人の気持ちが理解できる人だからな」
「そうだね。何となくわかる気がする」
「ほう、彼女の外見に惑わされていた訳じゃないのか?」
「ち、違うよ。何言ってんだよ」
「誰に惑わされていたって?」
翼が会話に参戦してきた。
「な、何でもないよ」
「何でもないようには聞こえなかったわよ」
背後からも声がした。いちるも参戦するらしい。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。本当に真面目な話をしてたんだよ。な? 爺ちゃん」
「さて? 何の話かな?」
「そんな……」
そのとき、スターウォーズのテーマが流れた。新人は救われた思いでスマホを取り出した。
「目覚ましも着信も同じって、どんだけマニアなの?」
アルコールが入り上機嫌な翼から突っ込みが入った。
「こんだけマニアなの。……もしもし周防です。あっ、編集長。出張から戻られたのですね。お疲れ様です」
『おい周防、お前ら一体何をやっているんだ?』
「何って……色々ありまして。ああ、ちょっとした人助けをしました。それで今、三上先輩と一緒に、夕食会に招かれていまして」
『ほう、人助けをしたお礼に夕食会か? それは優雅でいいな。是非とも俺も助けてもらいたいよ』
「えっ? 編集長、ど、どうかしたんですか?」
翼の隣にいたいちるも、新人を心配そうに見た。
『お前らすっかり忘れてないか? 県内で昔から伝わる〝童謡や童話〟について、記事にするって話を』
「……あっ!」
一堂が新人を見た。
『〝あっ〟じゃねえだろ。いいか、締め切りは明日の朝だ。今日中に仕上げろ。それが出来なかったら、二人とも来月から給料半分だ。いいなっ』
そう言って橘は乱暴に電話を切った。
賑わっていた食卓が静まり返った。皆が会話と動作を止めて、新人を注目している。
「あー君、どうかした?」翼が心配そうに尋ねてきた。
「新人君、編集長何だって?」いちるも心配そうに見た。
目を泳がせた新人は時計を確認した。午後八時。日付が変わるまであと四時間。いちるに視線を向けた。
「せ、先輩大変です。緊急事態ですっ!」
了
双子の話と見せかけた入れ替えです。また、今後の小説で考えている小説の中に小説(と絵本)を入れる〝作中作〟を試みました。
最期まで読んでいただいた方、ありがとうございました。