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  作者: ありしょう
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   第四章 暗雲

      十五


「おはようございます。検温の時間ですよ」

 ドアをノックして翼が病室に入ってきた。

「おお、翼ちゃん。今日も相変わらず可愛いね。どう? おじさんの彼女にならない?」

 右足を骨折して入院している大野は、すっかり寂しくなった頭頂部をペシンと叩きながら言った。

「ははは、大野さんに私なんて勿体ないですよ」

 にこやかに交す翼に、向かいのベッドからも声がした。

「お前は古女房で我慢しろ。それに翼ちゃんには、将来を誓った伴侶がいるんだよ」

 大野と同い年で、左腕を複雑骨折した幸田に言われて、翼は手元の体温計を落としそうになった。

「な、何言ってるんですか、もう」

「そうだ。遠くの何とかより近くの何とかって言うだろ? 俺も若くてかわいい彼女が欲しいんだよ。そうすればこっちも若返る」

 そう言って、また頭をペシンっと叩いた。

「そうですよ。いつまでも若々しくいて下さいね」

「それなら尚更、翼ちゃんの協力が必要だ」

「ははは、素敵な彼女が見つかるといいですね」

 手際よく二人の検温を終えたところで、さらに別の声がした。

「まあ、それだけ元気なら大丈夫でしょ」

 翼は声がした方を見た。入り口に一人の若い医師が立っている。この病院の心臓外科医、駿河拓斗だ。三十五歳で独身の駿河は、モデルのようなスタイルに甘いマスクのため、女性看護師や病院スタッフのみならず、女性患者からも非常に人気がある。

「あっ、駿河先生。おはようございます」

「おはよう、吉岡君」

「おっ、駿河先生じゃないですか。我らがアイドル翼ちゃんにモーションかけてるって噂があるけど、本当なんですか?」

「ちょ、ちょっと幸田さん、おかしなこと言わないでよ」

 翼は慌てて言葉を遮ってから、駿河に向かって言った。

「すみません、何か変な噂話が患者さんの間で広まっちゃっているみたいで……」

「あっ、いや、いいさ。それより今日は七〇八号室の川原さん、オペだよね? そろそろ準備しておいて」

「はい、分かりました」

「じゃあ、また」

「はい」

 爽やかに去って行った駿河を見て、大野と幸田は互いに顔を見合わせた。そして大野は駿河の真似をして、顔を渋く決めた。

「じゃあ、また」

 幸田も翼の真似で応じた。

「はい……って、なんか翼ちゃんもまんざらじゃないって感じじゃないか?」

 変なところで息がぴったり合う二人だ。そんな二人のやり取りに翼は、頬を膨らませ両手を腰に当てた。

「ちょっと、二人ともいい加減にしないと怒りますよ、もう」

「あっはっは、冗談だよ。冗談」

 翼が病室から出て行くと、二人はどちらともなく「やっぱ顔か……」とため息混じりにつぶやいた。

 ナースステーションに戻った翼は、オペの準備に取り掛かった。


      十六


「おはようございます」

 今日の新人は遅刻することなく出社できたが、それでも一番最後の出勤となった。みんな既に、各々の仕事に取り組んでいる。

「周防先輩。おはようございます」

 今年入社したばかりの木下だけが、丁寧に挨拶を返してきた。

「お、今日は遅刻せずに来たな」

 橘の一言で、笑いが起きた。すっかり遅刻常習犯のキャラが定着してしまった。席に着くと、いちるが声をかけてきた。

「おはよう新人君。そう言えば原稿の方はどう? 出来上がった?」

「ええ、何とか仕上がりましたので、よろしくお願いします」

 新人はデータの入ったUSBメモリーを手渡しながら、いちるのファッションを何気なくチェックした。パンツスーツだったのが残念だったが、そんな不埒な心が表れないように、仕事に執りかかるふりをした。

 いちるは自分のパソコンにUSBメモリーを差込むと、データをコピーした。

「そう言えば、あの後大丈夫だった? 待ち合わせの時間を大分過ぎちゃったんでしょ?」

「え? ええ、そっちの方は問題ありませんでした」

「そっちの方は?」

「ええ。時間は大丈夫でした。それとは別に頼まれ事がありまして、それが偶然にも今回取材した〝太陽の会〟の関係者が絡んだ案件だったんですよ」

 新人は昨日の出来事を語った。源次郎には記事にするなよと言われたが、誰にも話すなとは言われなかったし、いちると秘密を共有したかったのだ。周りは騒然としているし、パーティションがあるので二人の会話は聞こえていないが、それでも一応内緒ですよ、と前置はした。

「ふうん。たしかに随分と変わった相続ね。でもそれ以上に、今まで一緒に住んでいて誰も即答できなかったってところが、ちょっと驚きというか、寂しい話よね」

「ええ、そうなんですよ。僕も驚きました」

「それでまた立ち会うの?」

「ええ、そう言う遺言でしたので、祖父に協力したいと考えてます」

「まあ、それは構わないけれど、仕事に影響しないようにお願いね」

「はい、頑張ります」


      十七


「はい、お父さん。お代わり」

 結愛はご飯を山盛りで龍一に手渡した。龍一と朱里、結愛の三人は、いつも朝食は洋館のダイニングでとり、夕飯は母屋で幸一達と一緒にとるのが習慣になっていた。だから朝食の時間は、朱里にとっても気兼ねする必要がない一時でもあった。

「……、ありがとう。でも随分と盛ったね。ちょっと多いかも」

「残さずちゃんと食べなきゃ駄目でしょ」

「はい」娘に言われて、うれしそうにうなずく龍一を見て、朱里も笑みがこぼれた。

「何か楽しそうだな? いいことでもあったのか?」

「え? ううん。別に何でもないよ」結愛は少し照れていた。

「あなたが珍しくお休みだから、こうして一緒に朝食を食べれるのが嬉しいのよ」

「そうか。こういう日もないとな」

「そ、そんなんじゃないもん。ご、ご馳走様でした。学校行って来る」

 図星だったようで、顔を赤くした結愛は自分の食器を台所に置くと、学校に行く支度をするため、自分の部屋に走っていった。

「ふふっ、素直じゃないわね」

朱里はくすりと微笑んだ。

「結愛も随分と君に慣れてきたな」

「そうね……」しかし朱里は少し表情を曇らせた。

「まだ〝お母さん〟って呼ばれてない?」

「うん」

「そうか……苦労かけるな」

「いいえ、いいのよ。慌てるつもりはないから」

 朱里は寂しそうにおどけた顔をした。そんな朱里の肩に龍一はやさしく手を置いた。

「ところで、今日は離れの片付け手伝うの?」

「ああ、親父がやたらと張り切ってる」

「そう、昨日の遺言の発表以来、すっかり騒がしくなっちゃったわね」

「親父のやつが古い友人の保証人になったばかりに、その人の借金を背負い込むことになったからな。どうあっても遺産が必要なんだろ」

「山田さんでしょ? 代々続いた自宅兼用の紡績工場まで手放したのに、借金を返せなかったのよね?」

「親父も山田さんとは子供の頃からの付き合いだったから、何一つ責めること無く借金を引き受けたんだ」

「大変よね。よくそれで友人との関係が壊れないわよね?」

「まあ変なところで律儀なんだよな」

「あっ、やだ、もうこんな時間。私行かないと。食器の後片付けもお願いね」

「ああ、任せとけ。気を付けてね」

「うん、ありがとう。行ってきます」


 この日の塩野谷家は、朝から騒がしかった。亡くなったのが松子大婆ちゃんなのか、菊子大婆ちゃんなのか? その手がかりを探すため、離れの片付けをする事になったのだが、開始前から幸一夫妻と啓一夫妻の言い争いが起きていた。

「昨日も言っただろ。俺が家長だ。だから俺が代表だ」

「親父、もういいからそんなに興奮するなよ」

 やや呆れた口調で龍一が割って入った。

「なんだ龍一。お前はどっちの味方なんだ?」

「だから昨日も言っただろ。敵とか味方とか言ってる場合じゃないんだよ。今は皆で協力しないと駄目だろって言ってるんだよ」

「そうだ。だから俺が代表となって、陣頭指揮を取ろうと言ってるんだ」

 間髪入れずに啓一の横槍が入る。

「何が陣頭指揮だよ。遺産は自分が管理するって、結局独り占めする気だろ?」

「誰かが管理しないといかんだろ。だから代表の俺がやるって言ってるんだよ。それに亡くなったのは俺のお袋だ。だから俺が相続人だ」

「何を言ってるんだよ。亡くなったのは俺のお袋だぞ。だから相続人は俺だと、昨日も言っただろ」

「なんだと」

「二人とも落ち着いて。とにかく今日は手分けして、二人を見分ける手がかりを探そう」

「仕方ねえ。じゃあ始めるか。まずはアルバムの類だな。写真や名前が載ってるだろから」

 結愛は小学校へ、朱里も外出している。大婆ちゃんは母屋で一人待機させられ、幸一夫婦と龍一、啓一夫婦と正夫の六人全員が離れに集まり、作業が始まった。


 この離れは、和室が三部屋並んでいて、松子と菊子がそれぞれ端の一部屋をプライベートな部屋として使い、残った中央の一室は、童話や絵本を作成する作業用の部屋として共同で使っていた。お互いの部屋は襖で仕切られていて、その他にリビングとキッチン、バスにトイレがあり、離れとしては上出来の部類だ。

 各部屋の本棚や箪笥が片っ端から調べられた。一目で小説と分かるような本はそのままで、カバーが付いている本は一冊づつ取り出され確認していった。

 しかし、幸一と啓一が事ある毎に衝突し、その都度龍一が間に入り場を納めるという事の繰り返しだったため、作業は全く捗らない。正夫は相変わらず無関心なのか、一人で黙々と箪笥の中を確認している。

 龍一は正夫と一緒に、姉妹が作業部屋として使っていた部屋を調べていたが、そこにもアルバムの類は見付からなかった。

「正夫君、そう言えば以前大婆ちゃん達は、東京の家は空襲で全焼したと言ってなかったかな?」

「ああ、そう言えばそんな話を聞いた事あったかも……」

 その会話を別々の部屋で聞いていた幸一と啓一は、同時に作業の手を止めた。

「だ、誰だよ。先ずはアルバムを探せなんて偉そうに言ったのは?」

「ああ? 何か文句があるのか?」

「偉そうに命令しといて、詫びの一言もないのかって言ってるんだよ」

「二人とも落ち着いて。俺も小さいときにそんな話を聞いたような気がしただけで、実際のところは分からないからさ」ため息交じりに二人をなだめた。

 本当は龍一自身が、一番落ち着かせてもらいた気分だった。先日届いたDNAの鑑定結果が頭から離れないでいるからだ。

 あれはきっと、何かの間違いだ。サンプルに汚れが付着していれば、正確な鑑定は出来ないと、何かの雑誌で読んだ記憶がある。自分にそう言い聞かせることで、ようやく心の平静を保つことが出来るようになったが、それでも不安は過る。だから今はせめて、片付けに没頭したいと考えていた。何か作業をしていないと落ち着かない気分だったのだ。

 龍一はふと、時子と鈴子の姿が無いことに気付いた。

「あれ? お袋と叔母さんがいないな……まったく」

 この二人がいないことの理由はすぐに分かった。きっと母屋だろう。ここにいられても火に油を注ぐだけだ。放っておくしかない。

 龍一の予想通り、時子と鈴子は母屋にいた。時子が、大婆ちゃんから本人の名前を直接聞き出そうと、離れをこっそりと抜け出したのを鈴子が目敏く見つけ、二人の間に強引に加わったことで、母屋でも小さな紛争が起きていた。

「あら嫌だわ、大婆ちゃん。そのセーター、左肩のところが解れてますわよ。もうそんなよれよれのセーターなんか、捨てればいいのに」

 鈴子に言われて、大婆ちゃんはゆっくりと自分の左肩を見た。

「あら本当だわ。また朱里さんに縫って頂きますよ。昔はねぇ、そうやって物を大事にしていたのですよ」

 鈴子は短い舌打ちをしたが、すぐに作り笑顔を浮かべた。

「まあまあ、それでしたら私が直してあげますわよ」

「あら、鈴子さん。あなた、お裁縫なんてやったことあるのかしら? お婆ちゃん、そういうことでしたら家長の嫁の私がやって差し上げますわ」

「あら、時子さんこそ、何時も朱里さんに押し付けているくせに。手が血だらけになってしまいますわよ」

「ふん、何を言っているのかしら? さあ大婆ちゃん、いつまでも一緒にいる私がお世話いたしますからね。これからも健康で長生きして下さいね」

「まぁ白々しい。今度は私たち夫婦がお世話しますからね」

「ちょっと、何勝手な事を言ってるのよ」

「勝手な事を言ってるのはそっちでしょ」

 二人に挟まれて困惑している大婆ちゃんを他所に、言い争いはヒートアップしていった。

 龍一は引き続き作業場の本棚を調べていた。隣の部屋からは相変わらず幸一と啓一が言い争っている声が聞こえるが、暫く放っておくことにした。

 壁一面に備え付けられた棚には、一般の文芸誌や小説から、これまで太陽の会がこれまで出版してきた童話等、相当数の書籍が収まっていた。

 そんな本がぎっしりと並べられた中に、太陽の会の『会報』が第一号から先月発行した最新号まで並べてあるのを見付けた。龍一はその中から第一号会報を手にした。

 何十年という時間が経過したこの第一号は、市販されるような製本版ではなく、手作り感のある冊子で、おそらく当時の会員のみに手渡されただけのようだ。表紙も中身も相当黄ばんでいる。

 表紙をめくると、その一ページ目には発足当時の有志達の集合写真があった。しかし、この会報が出来上がった時代、写真といえば白黒写真で画質も悪く、よく見ても松子や菊子の姿すら見付けることが困難なほどだった。

 龍一は目を凝らして、ようやくそっくりな二人を見付ける事が出来たが、当然二人を区別するヒントなどわかる筈もなかった。


      十八


 北総線と新京成線、更に東武野田線の三つの鉄道が乗り継いでいる新鎌ヶ谷駅。全国展開している大型ショッピングモールが隣接しており、駅からそのショッピングモールを挟んだ反対側には鎌ヶ谷市役所がある。

 その市役所から、A4サイズで市役所のロゴが入った封筒を抱えた朱里が出てきた。

白地に花柄のワンピースを着た彼女は、そのまま隣接するショッピングモールに向かい、中のレストランに入った。

 ウェイトレスには喫煙する旨を伝え、喫煙エリアに座りコーヒーを注文した。そして手に持っていた封筒から、二枚の書類を取り出した。

 それはいずれも戸籍謄本で、テーブルに並べて記載事項を確認をした。

氏名、塩野谷松子。生年月日は大正六年八月十日。旧鎌ヶ谷村産まれ。父親は虎治、母親はヨネ。

 その後一家は、東京市浅草千束町に移り住んでいる。昭和十七年に結婚して分籍しているが、苗字が塩野谷のまま変わっていない。

「婿養子をとったのね……」

 昭和十八年に松子は幸一を出産。しかしそのわずか二年後の三月十日。虎治とヨネは同じ日に死亡している。

「この日は確か東京大空襲のあった日ね……。以前、浅草界隈は焼け野原になって、家と両親を失ったと言ってたわね。それで被害が少なかった鎌ヶ谷の梨園に戻ったのね」

 そう呟くと、隣に並べた菊子の記載事項にも視線を移した。やはり同じ年月日で婿養子を取り、松子より一年遅れて啓一を出産。松子と一緒に鎌ヶ谷に戻ってきていた。

「子供がまだ小さいのに、大変な目に遭ってしまったのね……」

 朱里はタバコに火を付けて一息吸うと、再び松子と菊子の戸籍謄本を見比べた。

 松子の結婚相手は田中宗二。菊子は鈴木雄三とあった。名前からすると二人とも長男ではないようだ。

「わざと長男を避けたのね。時代からすると、赤紙の召集が来て急遽親同士が話を進めた可能性が高いわね。しかも二人同時に……」

 松子も菊子も一子のみの出産のようだ。時代が時代だっただけに、おそらく意にそぐわない婚姻だったに違いないが、それでも子を産み育てた――。この時代にはいくらでもあった話なのだろうと朱里は考えた。

 ちょうどそのタイミングで、注文したコーヒーが来たので書類を封筒にしまうと、コーヒーを飲みながら、しばし考えに浸った。しかし、どこか解せないという表情で呟いた。

「それにしても、大婆ちゃん達の本当の狙いは何かしら?」

 朱里はレストランを出て駅に向かった。


 新人は雑然とした職場で、締め切りに追われていた。今日の夕刊に載せる記事を見直していたところだった。するとドアが開き、一人の女性が入って来るのを視野に捉えた。

 新人は視線を向け、その女性を見て手が止まった。

 白地に花柄のワンピースを着た一見すると派手な服装だが、決して派手好きという格好ではない。アクセサリ類は落ち着いた感じで、ワンピースとの組み合わせもよく、派手さの中にも筋の通った芯があり、格上のオーラを纏っていた。

 当然新人はこの女性を知っていた。つい先日祖父と共に訪れた塩野谷朱里だった。

「こんにちは、周防さん、ちょっといいかしら?」

「こ、こんにちは。塩野谷さん。何か?」

「朱里でいいわよ。ちょっとお話ししたいことがあるの。いいかな?」

 突然の朱里の来訪に、社会部にいた全員の視線が二人に向いた。いちるは二人の顔を代わる代わる見て新人に訊いた。

「し、新人君の知り合いの方?」

「ええ、いえ。知り合いという程でも……」

 そんなやり取りを聞いた朱里は、いちるを意識したようにちょっと悪戯っぽい目をした。

「あら、寂しいこと言わないでよ。それよりちょっと二人きりでお話がしたいの。あまり時間は取らせないからいいでしょ?」

 源次郎には連絡があったらすぐに知らせろと言われていたが、まさか直接会いに来るとは想定していなかった。とりあえず場所を変えて手短に済ませようと、応じた。

「ええ、いいですよ」と朱里に言うと、いちるには、

「すみません。ちょっと出ていきます」と言った。

 一同は唖然としたまま、言葉が出なかった。

「え?ちょ、ちょっと、待ちなさ――」

 いちるが呼び止めようとしたが、新人は朱里の後に続いて出て行ってしまっていた。


      十九


 塩野谷家離れの縁側では結愛と大婆ちゃんが、おやつを食べながらお喋りをしていた。中からは時折、幸一と啓一の言争う声が聞こえ、母屋からは時子と鈴子の小競り合いの声もした。

「まだやってるね」

「全く困った人達だこと」

「もっと仲良くすればいいのにね」

「本当だよ。結愛の言う通りだね」

 結愛は首をすくめると、膝の上のまりをさわりながら話を続けた。

「それでね、結愛が由香ちゃんに手まり唄を教えて、一緒に遊んだんだよ」

 結愛が誇らしげに言うと、大婆ちゃんは顔をくしゃくしゃにした笑顔になった。

「それはよかったね。楽しかったかい?」

「うん。和美ちゃんも手まり唄を知らないって言ってたから、今度は和美ちゃんにも教えてあげるの」

「今の子供は、手まりなんてやらないからねぇ。昔はみんな知っていたのにね」

 遠い空を見るように寂しい顔になった大婆ちゃんに、結愛は励ますように言った。

「大丈夫だよ。知らない子には結愛が教えるもん」

「そうかい。それは頼もしい限りだわ。しっかりと継承しておくれよ」

「……けいしょう?」

「みんなに教えるってことさ」

「うん。わかった。結愛〝けいしょう〟するね」

 結愛は立ち上がると、大婆ちゃんの前で手まりをつきはじめた。その動きに合わせて大婆ちゃんは小さく手拍子をした。


『あんたがったどっこさ、ひごさ――』


 結愛が手まりをつきを終えると、今度が大婆ちゃんがゆっくりと立ち上がり、結愛からまりを受け取った。


『うさぎの角は、すいとうと。こちらにこんこん、この子にと。赤い子鬼の子、文交わし。ようよう考え、話を聞くよに、したとさ』


 手まりを終えた大婆ちゃんは、結愛をじっと見つめ小さく頷き、まりを結愛の手に持たせた。

「結愛はまだここにいるかい?」

「うん、もう少しここにいて、パパを待ってる」

「そうかい。私は戻って横になっていますね」

 そんな様子を物陰から見ていた鈴子は、一人になった結愛に近付いた。

「随分変わった手まり唄ね。ちょっと私にも貸してもらえる」

「あっ」

 鈴子は結愛の返事を待たず、無理やりまりを奪い取ると、結愛を睨んだ。

「この手まり、あの婆さんからもらったのでしょ? あんたさぁ、本当はわかっているんじゃないの? 死んだのがどっちかって?」

 結愛は鈴子の気迫に飲まれ、全身が硬直したようだ。

「言いなさい。死んだのはどっちなの?」

 髪を乱暴に掴まれ大きな声で言われたので、結愛は声を押し殺したまま泣き出してしまった。

 その態度に余計に腹を立てた鈴子は、結愛の顔にまりを投げた。

「今ならこれくらいで勘弁してやるから、早く言いなさい」

「あら、叔母さん。うちの結愛が何を勘弁してもらえるのですか?」

 不意に背後から言われ、鈴子は慌てて結愛から手を離し振り向いた。そこには鈴子を鋭い目付きで睨む朱里がいた。

「な、何でも無いわよ。結愛ちゃんが転んで泣いてたから、なだめてただけよ。そうよねぇ、結愛ちゃん」

 不自然に繕った鈴子を朱里は押し退け、やさしく結愛の髪を手で整えながら言った。

「そうなの? 変な言いがかりでも付けられたんじゃないかと、心配しちゃったわ」

「な、何よその言い草。どうせあんただって、血がつながっていないこの子から、何かを聞き出そうとしてる口でしょ?」

「何の事を言っているのか、さっぱりわかりませんわ」

「とぼけちゃって。今にその化けの皮を剥がしてやるから、覚えてなさいよ」

 そう言って鈴子は立ち去っていった。

 朱里は結愛を優しく抱きしめた。鈴子が去ったことで、結愛も落ち着いてきたようだ。

「大丈夫? 遅くなってごめんね」

 結愛は朱里に、震える声で訊いた。

「……結愛、何か悪いことしたの?」

 朱里は結愛の顔をしっかりと見て答えた。

「結愛は何も悪くないわ。でも、もう少し辛抱してね。結愛にはまだ分からないだろうけど、お金が絡むとね、見たくないものまで見えちゃうの」

「見たくないもの? お化け?」

「お化けじゃないけど……いや、お化けより怖いか……」

「怖いの嫌い」

 結愛は本気で恐がりしがみついてきた。

「ごめん、ごめん。大丈夫よ。何が起きたってお父さんも私も結愛の味方だからね。その事だけは覚えておいて」

 そう言うと朱里は微笑んで結愛の頭を撫でた。

「さあ、おやつを食べましょう」

「さっき食べたよ」

「あら、そう。せっかくハーゲンダッツを買ってきたけど、いらない?」

 ちょっと悪戯っぽい言い方をすると、結愛は急に笑顔になった。

「食べる、食べる。はーげんだっつ。おやつにしよう」

「ふふふ」

 朱里と結愛は手をとり、洋館へと歩いて行った。


      二十


「翼、お疲れー」

 ナースステーションで書類の整理をしていた翼は、声をかけられ振り向いた。そこには三人の看護師がいた。

「お疲れー」

 ショートヘアーで快活な感じの池田恭子は、翼と高校時代からの親友で、同じ看護学校に進み今もこうして同じ職場にいる。趣味や考え方ばかりか外見も似てるので、よく姉妹と間違えられることもある。

 一方、ロングヘアを束ねて、控え目な感じのする長沼さつきとは、看護学校時代に知り合った。見た目同様に大人しい性格の彼女だが、幼少期に弟を病気で亡くした経験があり、小児看護に関しては取り分け熱心に取り組んでいる。

 そして長沼同様に看護学校時代に知り合った篠田純子は、長沼とは正反対の性格だ。仕事が終わり私服に着替えると、そのまま夜の街に溶け込めそうな雰囲気を身に纏っている。

 しかし、この正反対の二人は何故か息が合い、いいコンビとして周囲からも認識されている。この三人が翼と同期で、よく一緒に遊ぶ友人だ。


「ねえ翼。モントレーゼの新作スウィーツ食べに行かない?」

「あー、行く行く。あそこは外れがないからいいよね」

「じゃあこれからみんなで繰り出そう」

「すぐ支度するね」

「じゃあロビーで」

「オッケー」

 新作スウィーツが食べれると考えただけで、これまでの疲れはどこかへ吹っ飛んだ。翼は雑務を片付けると急いで更衣室で着替え、鼻唄まじりで病院出口のロビーへと向かうところで、不意に後ろから呼び止められた。

「吉岡さん」

「はい」翼が振り向くと、そこには駿河がいた。

「す、駿河先生、お疲れ様です」

「ああ、お疲れ。ごめんね、急いでいるときに。ちょっといいかな」

「はい……」

 翼の顔が赤くなり、挙動がぎこちなくなった。

「今度の土曜日、一緒に映画にでも行かないか?」

「土曜日ですか……」

「何か予定ある?」

 翼は戸惑いながらも冷静さを繕った。

「友達とショッピングに行く約束が」

「そうか、じゃあ日曜は?」

「日曜は遅番勤務なので、ちょっと……」

「そうか、残念。じゃあまた今度誘ってもいいかな?」

 翼に彼氏がいるという事は、駿河も知っている。元気がないときなどは「彼氏と喧嘩でもしたの?」とさりげなく聞いてくるからだ。

 それでも誘ってくる駿河に、翼は今までにない感情を抱き始めていた。

「ええ、べ、別に大丈夫だとは思いますが……」

 これほど強い思いを向けられたことがなかった翼は、困惑していた。

 そしてそんな翼の視線の先にあるロビーの柱の影から、同僚の恭子とさつき、純子がニヤケ顔をしてこっちの様子を覗き見していた。


      二十一


 夕方まで離れを調べた幸一達だったが、疲れきって離れのリビングに座り込んでいた。

「くそっ。一体どこに二人を見分けるヒントがあるんだ」

 ぼやく幸一の横に龍一も座り込んだ。成果がなく疲労感が一気に押し寄せてきたのだ。

「昔の写真は何枚かあったけど、二人の違いなんてさっぱりだ。病院に通院してたとか、手術をした事があるとかって、親父は聞いたことない?」

「無いな。記憶にない」

 龍一はため息をついた。これ以上探しても、二人を見分けるヒントは見付かりそうにない。幸一は手にした本を投げ捨て、母屋へと帰っていった。

 一人になった龍一は、DNA鑑定結果の事が頭に浮かんできた。何かに没頭してれば考えずに済んだが、じっとしてると否応なしに考えてしまう。

 頭を横に振って立ち上がり、帰ろうとしたそのとき、幸一がいなくなったのを見計らった結愛が、ひょっこりと廊下から顔を覗かせ、龍一に駆け寄ってきた。

「パパ。お疲れー」

 いつもの龍一ならしゃがんで両手を広げ、飛び込んでくる結愛を抱き締めるのだが、今の龍一にはそれが出来なかった。

 いつもと違う父親の態度に、結愛は龍一の顔をまじまじと見つめた。

「どうかしたの? パパ」

「あっ、いや、な、何でもない。パパはちょっと疲れてるんだ」

 心が現実から逃げだそうとしていた。


      二十二


「それじゃあ、私たちの日々の労働に、かんぱーい」

「かんぱーい」

 篠田純子の音頭で、四人がグラスを合わせた。

「ぷはーっ。この一杯で生き返るわ」

 中ジョッキを半分ほど飲み干した池田恭子に翼も頷いた。

「うんうん、これがあるから頑張れるのよねぇ」

「私、次はチューハイいきまーす」

「お? 恭子はハイペースだね」純子の目が、恭子に話題を望む。

「そうよ。今日はガンガン行くからね~」恭子が正面から応じる姿勢を見せた。

「何? 彼氏と喧嘩?」もちろん翼も参戦した。


 モントレーゼで新作スイーツを楽しんだ四人は、恭子が居酒屋に行きたいと提案したのに全員が賛成し、いつもの居酒屋『浜の家』に繰り出していた。

「そうなのよ。ちょっと聞いてよ」

 恭子によると現在同棲三年目の彼は、これから洗濯する物と済んだ物とを一緒にしてしまうのだそうだ。今朝もそのことで口喧嘩になったという。

「何で一緒にするかなぁ。洗濯の意味ないじゃん」

 翼が同調し、他の二人も頷いた。

「でしょ? いっつもそれで喧嘩になるのよねぇ。だから私は今日、飲みますっ!」

「おお、行け行け!」

 純子が面白がって煽ると突然、話題の矛先を変えてきた。

「それはそうと、翼はどうなの? 彼氏と先生の二股は良くないなぁ~」

 翼は飲みかけたビールを吹き出しそうになった。

「は? 何? 何言ってんのよ。変なこと言わないでよ」

「そうそう、それは私も興味津々」

 恭子が加勢した。二人の間にたった今同盟が結ばれた。いや、さつきも頷きながら目を輝かせて翼を見ている。

「駿河先生は彼氏持ちの翼に、ぞっこんなんだってさ~」

「じゅ、純子、それ誰情報よ?」翼が純子に問い返した。

「研修医の勝浦君」

 今年翼たちの病院に配属された研修医の勝浦洋介は、駿河に次いでのイケメンと評判だ。

「ほう、純子はもう研修医を手懐けたの?」翼はちょっと悪戯っぽく言った。

「そう、結構あたしのタイプなのよ、彼って」

 そこへ恭子も乗ってきた。

「そんな感じよね~。それに出世するわよ、彼」

「そう思うでしょ? だから今のうちに手を付けといたのよ」

「えー。本当にもう手を付けたの? やるねー」

 さつきも含めて三人が驚くと、純子はご機嫌にVサインを出し、それを更に皆が囃し立てた。

 純子は自分から恋愛話を持ち出すタイプで、一度話し出すと軽く一時間は語る。そこを見越して純子に話を振った翼は、思惑通りの話の矛先がそれたので、ほっとして純子の話に相槌を打った。

 しかしその矢先、まさかの恭子が裏切った。

「さすが純子。で、話がそれてほっとしているときに申し訳ないけれど、駿河先生とはどうなのよ?」

「ど・ど、どうって?」

「私もお似合いだと思いますよ」

 普段口数の少ないさつきまで、さっきより目の輝きが増してる。その様子に純子は、さらなる追撃の手を加えた。

「翼もまんざらじゃないのよね~『二人の男に揺れる私。どうしたらいいのかしら?』みたいな?」

「もう。何よそれっ! 怒るよ」

 悪友たちの追撃を逃れようと試みたが、無理と悟った瞬間に、今夜の肴は翼に決まった。

 しかし翼は、自分の気持ちが揺らいでいる事に少なからず動揺していた。それをアルコールの力で何とか悟られずに乗り切った。


 ようやく酒の肴から開放され自宅アパートに帰った翼は、シャワーを浴びテレビを見ながら寛いでいた。そこにチャイムが鳴った。

「おじゃま~」

「あー君、遅かったのね」

「え? ああ、原稿がなかなか書けなくてね。翼はどっかで飲んでた?」

「〝モントレーゼ〟からの〝浜の家〟コース。いつもの面子だけどね」

「そうなんだ。楽しめた?」

「まあ、それなりに」

 新人は翼の交友関係なら大抵は知っていて『いつのも面子』と聞けばあの三人かと、すぐにわかった。

 しかし今の新人は、翼が誰と飲んでいたのかというよりも、昼間の出来事が気になっていた。


――今日の昼過ぎ。塩野谷朱里が突然、新人の職場にやって来た。あまり時間は取らせないと言うので、二人は近くのファミレスに入った。

 そして彼女は、今回のおかしな相続について、新人が何か知っているのではないか? という質問をしてきた。

「いえ、僕は何も知らないんですよ。本当です」

 そして今でも何も知らされていないと付け加えると、彼女はしばらく考え込んでから語り出した。

「問題は遺産相続なんかじゃないわ」

「え? どういう意味ですか?」 

「具体的には私にもわからないの。ただ間違いなく、大婆ちゃんは嘘をついているわ」

「嘘?」

「大婆ちゃんは自分が誰なのか、ちゃんと分かっている。それでも分からないと嘘をついている」

「ど、どうして嘘なんか?」

「理由は大体想像がつくわ。でも、そんな事じゃないのよ。大婆ちゃんの嘘には、塩野谷家に関わる、とても大切な秘密が隠されている気がするの。勝手に開いてはいけない大切な何かが。そうでなかったら、自分の最期にこんな事はしないでしょう。だからそれを見極めないといけないの。お願い。お婆ちゃん達の過去を調べてくれない?」

「そ、それは構いませんが、でもどうして僕なんかに?」

「家族じゃない方がいいし、だからと言って誰にでも頼める内容じゃないわ。それに私みたいな素人には調べ方も分からないし。記者さんなら普段から取材とかで、その辺は得意でしょ? だめかな?」

「まあ、そういう事でしたら……でも何から調べようかな」

「昔から二人を知っている人を探したり、学生時代の卒業アルバムとかがあれば、何かヒントが得られないかもしれないわ」

「なるほど。それなら塩野谷姉妹に関する取材として、出来そうですね」

 こうして新人は、朱里からの依頼を引き受けたのだった――


 しかし新人は、朱里と会っていた事を源次郎には黙っていた。理由は特にないが、なんとなくそうした。もしかしたら彼女と秘密の共有がしたかったのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、翼に渡すものがあったことを思い出した。

 ソファで寛いでいた翼の隣に腰を下ろすと、リュックを開けて中から一冊の文庫本を取り出し、翼に渡した。

「はい、これ」

「あっ、高村さんの小説? 早いじゃないの。やったー、すぐに読んじゃおっと」

 翼は新人の手から本を奪い取ると、無理にでも読もうと頁をめくった。

 新人を意識しながら、駿河のことも意識している。そんな自分を認めたくないために、読書に集中したかったのだ。

 そんな事情を知らない新人は、やれやれといった表情で立ち上がった。

 普段の翼は一度読書を始めると、その世界に没頭するタイプだ。だから新人は、その間にシャワーを済ませて、冷蔵庫にキープしていた缶ビールを飲みながら、自分も翼から借りていた小説を読んで時間を潰した。


 そして深夜の一時を過ぎた頃、翼は小説を読み終えた。

「面白かった? 最終回」

「んー、いやあ、この展開は読めなかったわ」

 二人とも読書に没頭出来て、気分も落ち着いたようだ。

「あー君は何巻まで読んだの?」

「八巻終わったところ」

「お、早いじゃない。一昨日貸したばっかりなのに」

「結構ハマった」

「でしょ?」

「特に六巻の話。反抗期の女子中学生とヒロインが、二人で協力して銀行強盗犯を捕まえるって話。あれはスリリングで面白かったよ。なんか三巻目あたりから、恋愛の要素が占める割合が増えてきて、少し話の展開が変わっていたからさ。その後も確かヒロインが、もし別の選択をしていたら? みたいな内容だったしね。久々にサスペンスタッチでよかったよ」

「まあ、いろんな要素があるから、いろんな人から支持されているよね。四巻だってそう。誰もが〝もしあの時、違う選択をしていたら?〟と思う事があるでしょ? そんな読者の気持ちを上手く組み入れた作品に仕上がっていると思うわ」

「ふーん。翼もあるの? もしあの時って思う時」

「え?……」

 一瞬の焦りが翼の表情に出たが、すぐに持ち直した。

「な、無くはないでしょ? 普通……。あー君は?」

「まあ、確かにね。人生なんて色んな選択の連続だからね」

「……だよね」

「そうそう、七巻目は急に話の展開が変わったよね」

「え? そ、そうね。それについては読者の中でも意見が色々あるのよ」

 翼は高村のファンサイトの会員だ。

「第七巻で急にヒロインの結婚前後のエピソードを持って来たもんね。まあ、最後は小さな幸せを一つずつ見付け、それを積み重ねていくという〝幸せの形〟もあるって所に落ち着きはしたけれど」

「そうね。一部ではネタ切れじゃないかとか、作者は現在の生活に不満があるのでは? なんて書きたい放題だったわよ」

「でもまた八巻になると、シージャック犯を追うヒロインの話に戻ったもんね。タクトの存在に心が揺れるヒロインと、そんなヒロインを心配する周囲の友人知人達との些細なトラブルを含んだ内容だったけれど」

 心が揺れる……。その言葉に、翼はまた動揺した。

「お、おそらく、渾身の九巻目に向けた、伏線だったのよ」

「まだ読んでないけど、その九巻で日本のミステリー作家2015大賞を受賞したんでしょ?」

「そうよ、この十巻と一緒に貸してあげるから」

 翼は九巻と一緒に読み終えたばかりの十巻を手渡した。

「サンキュー」

 新人が二冊の文庫本をリュックに入れたと同に、スターウォーズのテーマ曲が流れ出した。新人は一度閉めたリュックを開き、スマホの着信欄を見て鼓動が早くなった。

 相手は三上いちるだった。

「は、はい、周防です」

 隣の翼が不審に思わぬように、平静を装った。

『もしもし、三上だけど……。ごめんね新人君。こんな時間に』

「ああ、先輩。どうかしました?」

『別に大した用事じゃないけれども……ほら、今朝受け取った記事のデータ、私なりの意見を付け加えたから、さっそく明日にでも内容の打合せしようかなあと思って』

「ああ、わざわざすみません。お手柔らかにお願いします。何とか形になるように頑張りますので」

『ところで、昼間の女の人はお爺さんの関係者なのよね? 何かあったの?』

「いえ、ただ祖父と連絡がつかなくて、それで僕の会社の近くに用事があったから、ついでに寄ってみただけみたいです」

『……そうなんだ。あまり根を詰め過ぎないのよ。体調の管理もしっかりとね』

「大丈夫ですよ。昨日今日社会人になったって言う訳じゃないですから」

『そう言う台詞は、遅刻をしないようになってから言うのね。じゃあお休み』

「お休みなさい」

 ふう、とため息をついた新人の目の前に、横から翼が顔を近づけて言った。

「今の誰? 女の人の声が聞こえたけど?」

「え、あ、ああ。職場の三上いちる先輩。仕事の進捗状況の確認だよ」

「へえ~。こんな時間に? そんなもん明日でもいいのにね」

「そ、そうだよね。まったくだ。プライベートな時間ぐらい仕事なんか離れたいのにね」

「ふーん」

 新人の顔をまじまじと見た翼は言った。

「あー君、さっきから少しテンション高めだけれど、その先輩と何かいいことあったの?」

「え? な、ないよ、ないない。なんでそんなこと……ん? もしかして、ヤキモチ?」

「ばーか」

 翼は頬を膨らませて横を向き、立ち上がった。

「私、先に寝るね。お休み」

「ああ、お休み」





   続く

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