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0,Untitled Report

作者: 一色紫雨

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives.

It is the one that is the most adaptable to change.


レポート1/3


 始まりは、ほんの小さな事故だった。たいていの物語は、そんなことから始まるだろう。この物語だってそうだ。ありきたりなようで、現実に起こってみるとそれは面白い話でもなんでもなくて、ただ、悲劇の始まり。救いようのない筋書き。唯一希望があるとすれば、これを読んでくれる人がいるかもしれないということ。だから、私ははこれを文章にしようと思う。今は独り言でも、いつか誰かに伝わることを祈って。



 昔、ある山奥に、とても小さな研究所があった。ひっそりと奥地にたたずんでいて、一般人が立ち入ることは絶対にないような場所だった。この時点でお分かりになる人もいるかもしれないが、その研究所は人目に付いてはいけないものの研究をしている。それは、あるとき宇宙から飛来してきたウィルス。感染すると、感染者はたちまち生命エネルギーを失い、約一時間後には死んでしまう。そのウィルスを対処するのはとても困難であった。

 もともと、当然ながらそのウィルスは地球上にはなかった。宇宙から隕石に乗って、とある農村に降り注いだ。その隕石が落ちた丘には直径十メートルものクレーターが生まれた。その村の住人はたちまちぐったりと倒れこみ、然る後、息をする者はいなくなったという。最初に異変に気が付いたのは、その土地を訪れた観光者だった。生命活動を停止した屍をいくつも発見してしまい、気が狂うのを抑え、何とか近所の病院までたどり着き、事情を説明した。

 後に病院から派遣された者たちがその村を調べ、ウィルスを発見することとなる。そこに至るまでの過程で犠牲となったものの数は計り知れない。

 ちなみに、その病院とはとある村と村の中間あたりに位置し、近所にその病院以外に頼るものがない村人たちにとって、そこが唯一の救いの場所だった。しかし、そこは国が正式に認定したものではなく、ある企業が、金儲けのためだけに作ったものだった。その企業のことについて、詳しく解説しても興味のない方々に飽きられてしまうので深く掘り下げはしないが、裏社会で暗躍する大企業と説明をすればなんとなく想像はつくのではないだろうか。それが、そのウィルスに目をつけてしまう。そして、その村の近くにある山の奥地に研究所を作り、今に至るというわけだ。



 そろそろ本題に入ろう。あまり長くだらだらしていてもきりがない。


 その日は、豪雨が雷とともに暴れていた。洪水は各地で起こり、雷が鳴り響く。徐々に山に近づいてきた暗雲は雷を木々に落とし、そして……とうとう山火事が発生した。日は研究所の裏手までまわり、ついにすべてを焼き尽くしてしまった。研究書類もろとも、人間もろとも、そう……ウィルス保管庫ともに。ウィルスは水を得た魚のように空気中へ飛び上がり、散って行った。もしそれが、ただの山火事であったなら、それは恐るるに足るものではなかったかもしれない。二つ県を跨いだ先の辺境の地で起きた山火事なんて、いちいち気にする者がどれだけいようか。空気中に舞い上がったウィルスは、各地へ散らばり、そこから無数に飛び散っていった。



 世界は死んだ。人々は魂を抜かれたように倒れていく。地獄絵図のような光景。

 ただ、いついかなるときにも、例外というものは存在する。彼はその例外のうちの一人だった。神楽木能亜(かぐらぎのあ)。彼は救世主と呼べる存在だったかもしれない。


*2001/06/12 東京-某駅 08:13


 俺には昔から妄想癖があった。たとえば、授業中に突然教室にテロリスト集団がなだれ込んできて、そんな中俺が懐から拳銃を取出し、みんなを助けて一躍ヒーローに……だとか、流行り病の特効薬を誰よりもいち早く見つけて、ノーベル賞を取ってその賞金で一生遊んで暮らしたりだとか、世の中の人がみんないなくなって、自分だけが優雅に過ごしたりだとか。誰かに聞かれたりしたら赤面物の妄想だけど、自分の中ではとても楽しいもの。そんなことを、常日頃から妄想していて、

「こぉら!! 能亜! ぼうっと突っ立ってないでさっさとここまで走ってこい!」

と怒鳴られたりするわけだ。ちなみに今のは妄想ではない。仕方ないので走ることにする。

 今俺は、野球の試合会場へ行くため、電車に乗りこもうとしているところだ。正直言って、なんで俺が野球部に入ってしまったのかと、ずっと後悔している。だから、この試合が終わってキリのいい時にさっさと退部しようかなんて思ってた。だが……残念ながらその時は訪れなかった。


それは突然始まった。目的の駅に着き、改札を出たところで、一人の生徒が突然倒れこんだ。手で自分をかばおうともせず、顔から地面に突っ込んでいく。

「大丈夫か!?」

 あわてて駆け寄る仲間達。そんな様子を、俺はぼーっと見ていた。なんだか、それに近づいてはいけないような気がして。

 好奇の目を向けてくるやじ馬達。数分後、同じくして彼らは示し合わせたように、突然倒れ始めた。

「……え……えっ、な……」

 自分でも、明らかに動揺しているのが分かった。こてん、こてんと、まるで神がチェスの駒を倒しているかのように倒れていく人々。それなりに駅が混んでいたこともあって、どんどんドミノ倒しとなっていく。訳が分からなかった。また自分の妄想でも見ているのかと思った。でも違った。自分自身もドミノ倒しに巻き込まれて何度も倒れてしまう。まるでそこは悪夢だった。脱力仕切った人間は口を開き、白目を剥き、まるで凍ったように固くなっていく。その光景はあまりにもシュールで、受け入れがたいものだった。訳が分からなかった。

「なんだよ、なんなんだよ……なんなんだよこれ……!」

 嗚咽交じりの悲鳴。

 神経ガスによるテロだろう。

 俺は、ここに来たことを後悔した。


12:54


 何時間経ったのだろうか。わからないが、取り合えずかなりの時間がたったらしい。俺の周りには、生きている人間は誰一人としていないようだった。死んだ者は皆、何かを求めるようにして上を向いていた。それが、妙に気持ち悪かった。

 ここで、俺はようやくおかしなことに気付いた”なんで俺は生きているのだろうか?”最初は、神経ガスの類のテロか何かだと思った。でも、違うようだった。その証拠に、俺は死んでいない。

 もう、このことを考えることは不毛だと思った俺は、とりあえず誰か生きている人間はいないか、できるだけ駅から離れるようにして探してみた。俺はこの時、どうして携帯を持っていなかったのだろうと少し後悔した。まぁ、持っていたとしてもかける相手はいないのだが。だが、誰かと、生きた誰かと話がしたかった。

 そんなことを考えながら歩いていたら、隣町まで着いてしまったようだ。やはり見かけるのは死人だけ。気が狂いそうだ。

 五十個目の死体を見つけた。五十一個目の死体を見つけた。五十二個目の死体を見つけた。

 もう、数え上げるのも面倒になっていたそのとき――――

 

 俺は、ようやく、人を見つけた。


 彼女は白いネグリジェのようなものを着ていた。

「ねぇ」

 夜空のような黒い長髪、透き通るよな白い肌。 

「あなたは」

 まっすぐな瞳。

「誰?」

 

 レポート2/3


 いち早く危険を察知した”金持ちども”は、政府が余った税金で作った地下避難所に逃げ込んだ。その数およそ、一万人ほど。

そのことはすぐさま報道で流された。だが、地下のスペースにも限りがある。各地で暴動がおこったらしい。らしいというのも、かく言う私自身、いち早く地下に逃げ込んだ一人であるからだ。上のことを完璧に把握できたわけではない。ただ、お偉い様方からすると上のことなどどうでもよかったらしい。確かに、どんな暴動がおこったところでウィルスによって浄化されるからだ。

 上の者どもがかわいそうだとは思わない。なぜなら、この世界が浄化されるには必要な鍵だからだ。

 それに、すべて死滅したわけではない。種は蒔いてからここに来た。あいつらならやってくれると信じていた。

 私は正しかったのだ。



  *2001/06/13 東京-? 12:20


「お腹空いた。何か食べるものがほしい」

「何もないんだ、我慢してくれ」

「……お腹空いた。何もないならあなたの腕をいただきます」

「……わかった、探してくるから待ってろよ……」

 彼女はずっとこんな感じだった。あの時逢ったのは偶然だったのか、必然だったのか。運命だとか神だとか、そんなものは全く信じない性質であるが、もしも誰かに逢うとしても神にはもっと良い人選をすることができなかったのだろうか……。とにかく、彼女はいわゆる食いしん坊だった。初めて遭遇したとき、俺の名前を聞くなりその場に倒れこんでしまった。また死体が増えたのかと意気消沈していたが、息をしていたし、明らかに彼女のお腹が「ぐー」と言っていたので、とりあえず昼に食べる予定だった弁当を食わしてみたところ、一瞬で気力が回復したようだ。だが、その一時間後には空腹になったようで、また俺に食い物をすがった。おそらく、俺に会ってからもう十回は食事をしているのではないだろうか? ちなみに、彼女の名は烏丸 愛良というらしい。かわいらしい名前ではある。

 

「持ってきたよ」

 今は無人のこの町では、食糧が取り放題だった。なんとなく、道徳に欠ける気がするが、仕方ない。

「待ちくたびれましたよ。私を餓死させる気ですか?」

「いや、そんな気はないけどさ……」

「次にこのようなことがあったなら、今度はあなたの脇腹に噛みつきます」

「やめいっ」

「あ、そうだ」

そういって彼女はポケットから紙を取り出した。

「さっきそこを通りかかったおじさんが『お前の相方に渡せ』って」

「お前の頭の思考回路は怪しげなおじさんよりも食べ物優先なのか」

俺はその紙に書かれたものを読んでみた。

「さしのおえつえなかのくのまはもが」

「意味が分からないよねー」

 いや、俺にはこの暗号が一瞬で分かった。子供のころ、親父に教えられたものだった。懐かしい……。

 親父は、ある意味天才だった。人にはない感性を持ち続けていた人だった。俺の尊敬できる人の一人であり、そのずぼらな性格の部分は反面教師にしていた。

「この暗号は、おそらく渦巻に読めば解けるんじゃないかな」

「うーん……あ、おお! そういうことか! さすがIQ150の天才は違うなぁ」

 満腹の彼女はご機嫌のようだ。それにしても、なんでこの暗号が? まだ生きている人間がいるのだろうか?

「っていうか、机の中ってなんだ?」

「それはもう、あなたの勉強机の中にしかないと思わない? それよりも、探し物って何? 将来の夢ですか?」

「将来の夢が机の中に入ってたらもう全力で飛んで帰りますよ」

 でも、本当に何が入っているのだろうか。それだけが気がかりだった。ここから家までは歩いて二時間強……電車使えないしな……。

 

  *2001/06/12 東京-自宅 16:33


 途中、何度も休憩を挟みながら、やっと自宅にたどり着くことができた。やはり、この辺りもやられてしまっっているらしい。途中家電量販店のテレビで得た情報がある。それは、世界はあと数日で滅びようとしていること。一部の金持ちは地下避難所に逃げ込んで生活していること。それに怒った一般層は暴動を起こして大混乱なこと。そして、東京はすでに全滅していること……。

この世のすべてがおかしい。まぁ、こんなおかしな世界も夢だと思えばすべてのつじつまが合う。

 玄関のドアを開き、素早く階段を上り二階へ。自室に駆け込み机の引き出しを片っ端から探す。

 それらしきものが見つかった。真っ黒なノート。

「それ何? 名前書いたら人殺せるやつ?」

「んなわけあるか」

 ぱらぱらとページをめくってみる。そこには、恐ろしいものが書かれていた。


”殺人ウィルスとその対処法について”

”ワクチン製造の手順”

そして……

”ウィルスの軍事利用研究”


「なんでこんなものが……」

 愕然とした。視界が殴られたようにぐらつく。

 なんで人が死ぬんだ。なんで誰もいないんだ。なんでこんなものがここに入ってるんだ。誰がここに入ったんだ。どうしてここにこんなものを入れたんだ。どうして俺は生きているんだ。なんで? どうして? わからない……


 気が付くと、俺は布団に寝かされていた。

「あれ?」彼女がいない。ただ、おおよその見当はついている。

 一階に下り、キッチンへ行くとやはり彼女はいた。

「おいおい、人の料理場を勝手に漁るなよ」

「このチーズ意外とおいしいね!」

「もう何も言えない……」

 少女を横目に、俺はさっきのノートを詳しく読んでみることにする。


 『殺人ウィルス』

 正式名称「活力融和ウィルス(F-375)」

 

 感染者の細胞に侵入後、ミトコンドリアの活動を活性化、生み出されたエネルギーを吸収し繁殖。

 詳しい活動は、現時点では不明。

 ウィルス適合者だけは、進行が遅れる。


 『準特効薬』

 

 未完成。現時点では、症状を抑えることのみ。適合者は症状を完全に抑えることができるが、適合割合は10000人に1人と予想。適合者でないものは、症状を抑えることは可能だがエネルギーの消費割合が格段に速くなる。


 『特効薬(完全)製造方法』


 準特効薬適合者の血液(準特効薬がよくなじんだもの)を採取し、特殊培養液を使用することによって作成可能。注意:この特効薬の効果はあくまでも予測に過ぎない。どんな副作用が出るか不明。

 詳しい製造法を、この次ページより解説する。



 その次のページからはよくわからない専門用語だらけになっていた。とりあえずノートを閉じることにする。

 これで、この少女の謎は解けた。そして、このノートの作成者が誰なのか、なぜ俺だけは生きていられるのかも。

 この少女はおそらく、『準特効薬』を摂取している。そして、この俺も。最近打ったインフルエンザの予防注射の中身がそれだったのだろう。どうりでいつもと違う病院に連れていかれたわけだ。

 そして……、考えたくないが、このノートの作成者は親父だ。最近、出張が多かった。何の仕事をしているのかはっきり聞いたことはなかったが、科学的なものの仕事をしていることはわかっていた。……この騒動ですっかり忘れていたが、親父は今どこにいるのだろうか……。母親は、小さいころに無くしていた。別に、それについて悲しいと思ったことは一度もなかった。ただの一度も。

 さて、くよくよしている場合じゃない。するべきことは見つかった。

「急に立ち上がって、どこへ行く気?」口にものを大量に含んだままこちらを向く彼女。

「少しばかり、気になることがあってね、それの調査にさ。お前も当然来るよな?」


 


  *2001/06/13 神楽木第一研究所 21:01


「いまどき、研究所にカードロックがないのなんて、ここくらいのものだぜ……」

 家の中を探してみると、案の定親父の名刺が見つかり、そこに書かれた住所に来てみると、そこは小さな研究所だった。頑丈そうな門だったので出直そうと思ったが、開けてみるとすんなり扉が開いてしまったので、とりあえず入ってみることにした。

 

 中は小ざっぱりとした、いかにもな研究室だった。学校の理科室とかを想像していただくとわかりやすいだろう。ビーカーがいくつも置いてあり、さっきまで実験をしていたかのような光景だった。

「さすがに、夜にこういうところに来るのはなかなか怖いな……」

「怖がりな男性がモテる時代は終わったのですよ? 」

「うるさい黙れ」

「ところでこの、おいしそうな生肉は加熱すれば食べられる?」

「それたぶん実験で使ったネズミの死骸」

「うわぁっ!!」

 意外とかわいいやつだな。そんなことをしながら机を探っていると、案の定あの黒いノートが見つかった。中を見てみると、最初のページに


「能亜へ」


と書いてあった。さらに読み進める。


「もしもお前がまだ生きているのであれば、やってほしいことが一つある。それは、特効薬を完成させること。もうお前に渡したノートは目を通したか? まだなら早く見ておけ。それが現実だ。逃れることは不可能だ。私はこの研究所の地下を進んだ先にある地下都市にいる。お前が答えを見つけたなら、私のところまで来い。

世界を救え

人間の進化を止めるな」


 それ以降のページはすべて白紙だった。

「全く……また変な無理難題押し付けやがって……」急すぎて、意味が分からない。

でもやるしかない。

「愛良、手伝ってくれないか」

「いやだ。というか、名前で呼ぶな」

「後でピザ食わせてやるから」

「さて、何から手伝えばいいのだ?」

 さすがに食べ物で釣るのは良心が痛むが仕方ない。


 俺には、化学のことなんてさっぱりわからなかった。やはり、こんな時のためにももっと理科を勉強するべきであったと、今とても後悔している。だが、彼女は意外とそういう方面に明るいらしく、すらすらとノートに書かれた実験を再現していく。やはり、この少女は天才なのかと、認識を改めなおした。

「この実験で発生した食塩水飲んでもいいか?」

 やっぱりバカだ。


 *2001/06/15 〃 03:20


「やっと終わった……!!! 」

 今、俺の目の前には完成した特効薬が鎮座している。

「完成したぁぁ!」そういいながらピザにかぶりつく彼女。

 そういえば、俺はまだ彼女に聞いていないことが一つあった。今更ながら、聞くことにする。

「なぁ、烏丸」

「苗字で呼ぶな」

「じゃあなんて呼べばいいんだよ」

「もう名前で呼んでいいよ…………面倒だから」

「面倒だからかよ。とにかく、聞きたいことがある」

「何?」

「お前はなんで準特効薬を打たれたんだ?」

「……ごめん……それは……言えない……っ、ぐっ」

「大丈夫か!?」

 突然倒れる彼女。すんでのところで受け止めた。

「しっかりしろ!」

「もう限界が来てるんだよ……」

「待ってろ、特効薬を注射すれば……」

 ここで、俺はノートの注意書きを思い出す。「この特効薬の効果はあくまでも予測に過ぎない。どんな副作用が出るか不明」

「くっ……、でも、このままじゃ……」

 もう彼女は死にかけだった。一か八か……

 

 やるしかない――本当にいいのか?

 迷ってる暇はない――もう後悔しないんだな?

 やらないで後悔するなら、俺はやって後悔する方を選ぶ。だから、俺は……


 *2001/06/15 地下都市 08:20


 「完成した」

 「まさか本当に来るとは思わなかったよ、わが息子よ」

 「その言い回しやめろよ、気持ち悪いな」

 「それがお前の意思なんだな?」

 「ああ」

 「わかった。今からこれをここにいるすべての避難民に打つ。それでいいな?」

 「くどいな」

 「わかったわかった。……じゃあな」

 「ああ」


 レポート3/3

 

 私は、息子から受け取った注射器を手に、地下都市のもっとも広い地点に人々を集めた。私がワクチンが完成したと宣言すると、皆口々に賞賛の声を上げた。彼らは列に並ぶということを知らないのか、波となって押し寄せてくる。

 馬鹿な奴らだ。俺は一人ひとり丁寧に注射していく。三十分かけて、すべて。

 そして俺はいま、研究所の地下都市にもっとも近いところにいる。そこに、壁一枚を隔てて罵声が聞こえてきたが、その声も一時間しないうちに聞こえなくなっていた。

 そう、それこそが彼の答えだったようだ。『世界を浄化する』この世に、人の存在は果たして必要だったのだろうか。私は、この疑問を誰かに投げかけてみたかった。だから、このレポートをここに保管しておくことにする。もしかしたら、いつか誰かが手に取ることがあるかもしれないから。


 *


 運命ほど残酷なものはない、と彼は言った。

 でも、運命ほどやさしいものはない、と彼女は言った。

 本当にこれでよかったの? と彼女は付け足す。

 もう後悔はしたくない。と彼は言い切った。



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