目が覚めたら全員スティーブ・ジョブズだった件
iPhone18pro、残高二十二万円。なけなしの金で買ったスマホ。これで俺も。
「これで俺も?」
目が覚めると、全員がスティーブ・ジョブズだった。
意味がわからないと思うがマジだ。全員がスティーブ・ジョブズだ。
黒いタートルネック、ブルージーンズ、スニーカー、丸い眼鏡。
俺以外、全員スティーブ・ジョブズだった。
「な、何で?てか、俺のiPhone18pro……」
慌ててリュックに手を突っ込む。ない。俺のiPhone18pro。色はバーガンディ。なけなしの金で買ったのに。電車でドヤ顔で使うために、透明のケースまで買っておいたのに。終わった。終わりすぎている。
目の前を通るスティーブ・ジョブズたち。
「あ、あの……」
一人のスティーブ・ジョブズに話しかける。
「Huh?」
ヤバい、英語がわからない。
「Sorry!」
思わず謝ると怪訝な顔で去っていくスティーブ・ジョブズ。全員英語か?いや、全員英語だろ。耳を澄ます。英語だけじゃない。色々な言語が聞こえてくる。
これ、もしかしたらどこかに日本語が話せるスティーブ・ジョブズがいるかもしれない。そのスティーブ・ジョブズに聞けば、ここがどこなのかわかるかもしれない。
もしかしたら、俺のiPhone18proがどこにあるかも教えてくれるかもしれない。拾った人間が警察署とかに届けているかもしれない。警察署がここにあるかどうかもわからないけど。
耳を澄ましてひたすら歩いた。こんなに耳を澄ましたのはいつぶりだろう。いつだってイヤホンをしていた。AirPodsだ。電車の音すらもしばらく聴いていない。
「そう考えると恐ろしいな」
気が付くとそんなことを呟いていた。
「何が恐ろしい?」
俺は飛び上がった。突然話しかけられたからだ。相手は、当たり前のようにスティーブ・ジョブズだ。
「日本語が話せるんですか?」
「何が恐ろしいか聞いている」
「えっ、いや、世界は音で溢れているのに、俺はノイズキャンセリングしていた……」
「なぜノイズキャンセリングをしていた?」
「世界に溢れていた音がうるさかったから」
「今はうるさくないのか?お前の耳にAirPodsは付いていない」
「今は探していたから。日本語を話すスティーブ・ジョブズを」
「なぜ探していた?」
「ここがどこか聞きたかった」
「なぜここがどこだか聞きたい?」
面倒くさくなってきた。こいつ、永遠にこれな気がする。
「だってわからないでしょう!目が覚めたらここにいた。iPhone18proを買って!なけなしの金で」
「なぜなけなしの金でiPhone18proを買った?」
思った通りだ。永遠に聞かれるやつだ。
「変わりたかった」
「なぜ変わりたい?」
面倒くせぇ。マジで面倒くさい。
「成功している人たちはみんな新しいiPhoneを持ってるからだよ!」
「つまり、成功したいから新しいiPhoneを買ったのか?」
「そう。そうだよ」
「それで?その新しいiPhoneでお前は何をする?」
「何を……」
SNSで見た色々を思い出す。AIを使って、noteで百円の記事を売りまくる?AIを使って、アダルトコンテンツを売りまくる?
「AIを使って色々?」
「なるほど」
そう言ってスティーブ・ジョブズは歩き出す。
「あ、ちょっと!ちょっと待って!」
見失った。どれが日本語を話すスティーブ・ジョブズかもうわからない。
「クソ。iPhone18proがあればどんな言語でも翻訳してくれたのに」
また耳を澄まして日本語を話すスティーブ・ジョブズを探す。
ひたすらスティーブ・ジョブズとすれ違う。
ゲシュタルト崩壊というのだろうか。頭がおかしくなりそうだ。
この世界を上から覗く人間がいるなら、俺はウォーリー的な存在なんだろうか。赤と白の縞々の。
というか、なぜこいつらは俺を認識しない?もしかして、自分をスティーブ・ジョブズだと認識してないのか?いや逆に、俺は自分を自分と認識して生きているか?
五、六人のスティーブ・ジョブズが円になって議論している。その横で耳を澄ます。全員言語が違う。
「あれやで?」
突然聞き覚えのある日本語が聞こえ、振り返る。
「関西弁?」
「言うてるやろ」
関西弁だ。その声の主を探す。ここから見えるすべてがスティーブ・ジョブズだ。どれがそのスティーブ・ジョブズかわからない。
「なんでやねん!それやで!あかんて!」
知っている限りの関西弁を叫ぶ。
「君、関西の人間ちゃうやろ」
関西弁を話すスティーブ・ジョブズが話しかけてきた。
「いた……いた……」
「どこが痛いん?」
「いや、違くて……」
関西弁を話すスティーブ・ジョブズをジッと見る。これ、方言とか含めるなら相当な数の言語があるのでは?いや、そんなことはいい。とにかくこのスティーブ・ジョブズから何かを聞き出そう。
「あの、ここってどこですか?」
「どこやと思う?」
またこれかよ。また。質問に質問で返すなよ。
「どこですかね?」
「どこなんやろね」
クソ……。
「警察署とかってあるんですか?」
「何や兄ちゃん、犯罪でも犯したんか」
クソがぁ。クソ。ボケとかいいんじゃ。
「iPhone18proを失くしちゃって」
「えらい高いもんを失くしたんやなぁ」
「え!?iPhone18proがいくらかご存知なんですか?」
いや知っていて当たり前か。さっきのスティーブ・ジョブズもAirPodsのこと知ってたし。
「ワシを誰やと思ってんねん。スティーブ・ジョブズやぞ」
認識している。こいつは自分をスティーブ・ジョブズだと認識している。
「じゃあ俺は?」
「俺?そんなの知らんよ」
「どうして!俺はスティーブ・ジョブズじゃないでしょ!」
「知らんて」
「俺はスティーブ・ジョブズじゃない!なら何だよ!」
「えらい大きな声やね。あっちの警察署まで聞こえたんとちゃうん?」
「あっちに警察署があるんですか!?」
「あっちってどっちや」
「今、あっちって言ったじゃないですか!」
「そうやったかなぁ。ほなまた」
また見失った。すぐわからなくなる。
そういえば、リュックにマステがあったような。あったあった。次に日本語を話すスティーブ・ジョブズを見つけたらこっそり背中にこれを貼ろう。
しかし、歩いても歩いてもそこにいるのはスティーブ・ジョブズだ。
ここがどこなのかもわからない。異世界?
そういえば、昨日友達から借りた本がリュックにあった。
『異世界に転生した童貞の俺、目が覚めたら褐色爆乳騎士に惚れられていた件』
これだ。これっぽいぞ。ただここにいるのはスティーブ・ジョブズだ。
異世界転生ものなら、こういう世界に飛ばされたかった。せめて、せめてさぁ、小さい妖精が出てきて俺を導いてくれてもいいじゃん。もう小さくて羽根が生えたスティーブ・ジョブズでもいい。何でもいい。誰でもいいから俺を導いてくれ。
ポツ、ポツ。
「――雨?」
この世界でも雨は降るらしい。
蜘蛛の子を散らすようにスティーブ・ジョブズたちが走り出す。
雨宿りしたいのか?こいつらに付いて行けば何か建物を見つけられるかもしれない。
雨の中を走るスティーブ・ジョブズをひたすら追いかける。
途中、日本語を話すスティーブ・ジョブズを見かける。小さく「クソ」と呟くのが聞こえた。慌てて追いかけ、マステを背中に貼る。
「どこに行くんですか?」
「……」
「雨が苦手なんですか?」
「……」
クソ。寡黙なタイプだ。
とりあえずいい。一人見つけてマステを貼れた。それで十分だろ。
突然、スティーブ・ジョブズたちが立ち止まる。雨が止んでいた。
「はぁ、はぁ……どこにもたどり着けなかった。あれ?あそこに何か建物が……」
建物に近づく。警察署だ!警察署っぽい!
扉を開けて中に入る。
誰もいない。
受付の小さな窓に話しかける。
「すみません」
「はい」
日本語だ。
「あの、ここは警察署ですか?」
「はい、こちらは警察署です」
「よかった……」
「ご用件は何でしょうか?」
AIか?自動で応答しているっぽい。
「あの、iPhone18proを失くしてしまって」
「お調べいたします」
もう何時間待っただろうか。疲れて床に座った。気づいたら眠っていた。床が硬くて身体が痛い。というか、夢じゃなかった。やっぱり異世界に飛ばされていた。
「あの、すみません。寝てしまって。もう呼ばれていますか?」
「いえ」
「まだ調べ中ですか?」
「はい」
「あとどれくらいかかるかわかりますか?」
「申し訳ありません。現在混み合っておりまして」
「混み合ってる?」
「はい」
仕方ない。混み合ってるなら。そうだよな。だってスティーブ・ジョブズしかいない。どれがどのスティーブ・ジョブズの落とし物かわからない。というか、あいつら落とし物とかするんだ。
そんなことを考えながらトボトボと警察署を出る。明日から朝晩、届いているか確認しに来よう。今できるのはそれくらいだ。
とりあえず、どこか泊まれるところを探そう。まずは日本語が話せるスティーブ・ジョブズを探す。
耳を澄まし、スティーブ・ジョブズの間を歩く。
聞いたことがある英単語が時々聞こえる。しかし、他言語を話すスティーブ・ジョブズに話しかける気にはなれなかった。怖いし、恥ずかしい。
でも、とりあえず英語を話すスティーブ・ジョブズの背中には「英語」と書いたマステを貼っておくことにした。英語ならギリ単語でいけるかもしれない。
大学で中国語もやったけど、話せるのは自分の名前と餃子が好きという何の役にも立たなそうな言葉だけだ。でも一応中国語を話すスティーブ・ジョブズにもマステを貼っておこう。
耳を澄まし、ただひたすら歩く。
もし次、日本語を話すスティーブ・ジョブズに会ったら何を聞こう。警察署でiPhone18proを探してもらう手続きはしたし、あと知りたいことと言えば、ここがどこかということくらいか。
スティーブ・ジョブズたちもそれを知らないことってあるのか?いや、さすがに自分が暮らすこの世界がどこかくらいは知ってるだろ。俺だって地球に住んでるとか、アジアに住んでるとか、日本に住んでるとか、そういうざっくりしたのはわかる。でも、異世界かどうかはわからない。
昔の人間はどうしてたんだろうな。まだ地図とかない時代。マイクラとか地図がないとマジでキツいしな。一本一本松明を置いて。
でもスティーブ・ジョブズたちはiPhoneを知っている。AirPodsも知っている。デジタルな時代だろ。いや、作ったヤツなんだから知ってるに決まってんだろ。
でも、誰もiPhoneを持っていない。誰一人AirPodsを付けていない。ただひたすら議論している。一人で。二人で。大人数で。言語も違う。それすらも関係ないみたいだ。
昔、高校生の時。年寄りの教師が言っていたな。
「君たちは議論することを恥ずかしいと思っている」
恥ずかしいだろ。自分の意見を言うって。言語が違うなら尚更だ。発音がおかしかったら?それを笑われたら?
そもそも自分の意見がない。スティーブ・ジョブズに何かを問われても、きっと答えられない。
ため息をつき、地面に座り込む。
友人に借りた本を開き、何となく声に出して読む。
「異世界に転生した童貞の俺、目が覚めたら褐色爆乳騎士に惚れられていた件。目が覚めると、そこはダンジョンだった。目の前に立つ爆乳騎士。溢れんばかりの乳房が柔らかく揺れる。褐色の肌。目はいつか見た空のように深く青い。突然、目の前が褐色に染まる。顔面が柔らかい何かに包まれる。おっぱいだ。おっぱいである。俺は今、褐色の爆乳に包まれている」
ふと顔を上げると、目の前にはスティーブ・ジョブズたちがいた。俺の周りに座り込み、話を聞いている。多分、日本語を話すスティーブ・ジョブズはここにいない。俺の言葉の意味をわかっていない。それでも、俺をジッと見て耳をこちらに傾けている。
聞いている。聞かれている。ここにいるスティーブ・ジョブズたちは俺の話を聞いている。それがすごく嬉しかった。次のページを開く。俺はスティーブ・ジョブズたちに夢中で読み聞かせた。
「とうとう、俺と褐色の爆乳騎士は魔王を倒した。平和が戻り、俺たちは村に帰った。しかしそこに待ち受けていたのは!」
終わりだ。最後のページだ。続きはない。本を閉じる。
スティーブ・ジョブズたちは立ち上がり、どこかに消えていく。
寂しい。もっと聞いてほしい。
そんな気持ちを抱えながら俺も立ち上がった。
次の日も俺は同じ場所に座り、同じ本を声に出して読んだ。昨日とは別のスティーブ・ジョブズが来るかもしれない。しかし、誰も集まってこない。
「話を聞いてほしい。俺の話を……」
俺の話ではないけど。でも、聞いてほしかった。
仕方ない。書くしかない。俺にはスティーブ・ジョブズたちと議論できるような話題がない。だから。爆乳騎士の異世界の物語の続きを書くしかない。
ただ書いた。ただ、ただ書いた。かなり短いが続きが書けた。
読み返す。面白くない。あり得ないくらいつまらない。
自信はなかったが、書き終えた物語をいつもの場所に座り、ボソボソと話す。
「村に帰った俺が見たのは、爆乳騎士の義母だった。俺たちの結婚を邪魔しにきたのだ。義母は爆乳騎士が嫌いだった。なぜかはわからない。ただ憎い。多分、おっぱいがデカいからだ」
声を張れない。自信がない。クソみたいな話だ。
俺の周りに座りかけたジョブズが、ボソボソと話す声を聞いてやれやれというようなジェスチャーをして去っていく。何とか最後まで話し切ったが、誰も、誰も聞いていない。誰もそこにはいない。涙が込み上げる。
「うぅ、うぅ……うわぁああ」
ポツリポツリと雨が降ってきて、スティーブ・ジョブズたちが走り回る音が聞こえる。その靴音よりもずっと大きな声で俺は泣いた。
それでも誰も立ち止まらない。誰も俺の背中を撫でることもない。クソつまらない爆乳騎士の異世界物語と俺。声が枯れるまで俺は泣いた。
涙と声が枯れた頃、俺は立ち上がった。
次こそ、次こそ書いてやる。スティーブ・ジョブズが耳を傾け聞く話を。
「爆乳騎士が俺のことを好きなことは知っていた。爆乳に埋もれたあの日から気づいていた。しかし、しかしだ。俺は貧乳好きだった。性癖は一日にしてならずとはよく言ったものだ。いや、ローマか(笑)」
最後、思わず声が小さくなってしまった。「ローマか(笑)」って何だよ。もっとあるだろ。案の定、スティーブ・ジョブズたちは首を傾げて去っていった。
俺が、俺が納得できるものを書きたい。書ける。俺なら。
「爆乳騎士との結婚前夜、俺たち二人は爆乳騎士の亡き母の墓に向かった。村に帰り、愕然とした。何も、何もなかった。村は焼き尽くされていた。村人たちも。その日のことは今でも憶えている。爆乳騎士が悪魔になったその日を、俺は忘れることができなかった……」
話し終えた。たった一人、座って聞いていたスティーブ・ジョブズが話しかけてきた。日本語ではない。何を話しているかさっぱりわからない。かろうじて聞き取れた単語を書き留めているうちに、話しかけてきたスティーブ・ジョブズは姿を消した。
俺は立ち上がり、耳を澄まし歩いた。さっきのスティーブ・ジョブズと同じ言語を話すスティーブ・ジョブズを探して。ようやく見つけた時、足は限界を迎えていた。
書き留めた単語の意味を身振り手振りで問う。怪訝な顔をしながらも、身振り手振りで何かを伝えようとするスティーブ・ジョブズ。
俺は、単語の意味を理解できるまで何時間もスティーブ・ジョブズと話した。そんなことを繰り返していると、何がどの言語かわかるようになってきた。気づけば、何人ものスティーブ・ジョブズとディスカッションしていた。
しかし、身振り手振りでディスカッションできても、物語を他言語に訳すことは難しかった。
いつも通り地面に座り、自分が書いた爆乳騎士の物語をひたすら日本語で話した。
いつの間にか、たくさんのスティーブ・ジョブズが俺を囲み、耳を傾けていた。
「悪魔になった爆乳騎士の爆乳に、俺は剣を突き立てた。しかし、俺にはもう生きる理由がなかった。『殺せるか?俺を』そう、爆乳騎士に問うた。小さく頷く爆乳騎士。柔らかな乳房が頷きと共に揺れた。ダンジョンの真ん中、あの日花を供えた墓石の隣に二人横たわる。伸びる二つの影。異世界に転生した童貞の俺、目が覚めたら褐色爆乳騎士に惚れられていた件」
スティーブ・ジョブズたちの静かなため息を聞き、立ち上がる。
その足でいつも通り警察署に向かった。
「ありましたか?」
「ありました」
「えっ?」
受付の小さな窓から出てくる、iPhone18proの箱。256GB、色はバーガンディ。
それを手に取った瞬間、光に包まれる。
目が覚めると俺はApple Storeの前に寝転がっていた。ぐるりと見回す。
「戻った?戻った!スティーブ・ジョブズじゃない!」
勢いよく起き上がり、知らない人間の手を取る。その人間の手に、見たことない何かが握られていた。
「何ですかこれは」
「iPhone21proですけど」




