第9話:魔王の食卓、アンバインド(解放)します
魔王軍の食事は、長らく「苦行」の一部であった。
前線の砦で配給されるのは、岩のように硬いパンと、血の滴る生肉。
「魔族たるもの、野性を忘れるな! 飢えこそが闘争心の源だッ!!」
そんな前時代のスローガンを掲げるのは、兵站局の料理長、暴食のザボ。
彼は自ら肥え太りながら、兵士たちには最低限の「餌」しか与えていなかった。
「――ひどいものですね。これでは家畜の方がまだマシな食事をしていますよ」
厨房の入り口に、黒い影が落ちた。
ゼノンが鼻を抑えながら、腐敗臭の漂う食材置場に足を踏み入れる。
「あぁ!? また貴様か、代行屋ッ!!
俺の料理に文句をつける気か!? 魔族に美食など不要だッ!!」
「美食ではありません。『栄養学』と『衛生管理』の話をしているのです」
ゼノンは手袋をはめた手で、黒ずんだ肉を指差した。
「ルナ。この『餌』を摂取し続けた際の、兵士の筋力維持率と精神衛生状態の相関を」
『了解。――劣悪な食事による消化不良、および慢性的なビタミン不足により、
兵士の3割が戦闘不能寸前。残り7割もイライラによる内紛のリスクが限界値です。
料理長。あなたの「野性」という言葉は、単なる「手抜き」の別名ですね?』
「う、うるさいッ!! 俺が作ったものを黙って食えばいいんだッ!!」
「いいえ。今日から、この厨房は『アンバインド』が管理します」
ゼノンが銀の杖を振り上げた。
「――アンバインド・キッチン」
キィィィィィィィン!!
薄暗く不衛生だった厨房が、一瞬にして眩いばかりの最新鋭調理場へと変貌した。
「な、なんだこの光り輝く設備は!? 俺の愛した『泥の鍋』が消えただと!?」
「不衛生な過去とはお別れです。……ザボ。あなたには、今日から『皿洗い』の基礎から学び直してもらいますよ」
ゼノンは絶望する料理長を無視し、通信機へ告げた。
「ルナ。魔王城の1階広場を開放しろ。
そこを、全軍共通の『中央食堂』へと改装する」
『了解! ――突貫工事、魔法ドローンにて開始します!』
数時間後。
魔王城に激震が走った。
城の1階に、広大で清潔な、香ばしい匂いの漂う巨大な食堂が完成したのだ。
その名は――『魔王軍・共同福利厚生食堂:絆』。
「おい……なんだ、この匂いは……?」
「温かいスープ……? 肉が、柔らかい……!?」
恐る恐る入ってきた一般兵士たちは、テーブルに並べられた料理を見て絶句した。
そこには、栄養バランスを考え抜かれた、湯気の立つ温かい食事が並んでいた。
さらに、兵士たちが驚愕したのはその「席順」だった。
「……陛下!? 四天王の皆様まで!?」
食堂の中央。
そこには、魔王ゼクスが一般兵士と同じ椅子に座り、同じトレイを持って座っていた。
「――皆、どうした。突っ立っていないで、座って食べたまえ」
ゼクスが優しく声をかける。
「今日からは、この食堂では階級は関係ない。
同じ軍に身を置く同志として、同じ飯を食おうではないか」
兵士たちは震える手でスプーンを取り、一口運んだ。
「……美味い。……本当に、美味いよ……」
「俺、魔王様と同じテーブルで飯を食ってる……夢じゃねえよな……」
食堂のあちこちで、すすり泣く声と、それ以上に明るい笑い声が上がり始めた。
魔王ゼクスの隣に、ゼノンが静かに座った。
「――陛下。お味はいかがですか?」
「……素晴らしいな、ゼノン。
ただの食事だと思っていたが、こうして部下たちの顔を見ながら食べると、
これほどまで心まで満たされるものだとは知らなかった」
ゼクスは、隣に座る若いゴブリン兵に「おかわりはどうだ?」と気さくに話しかけている。
その光景を見た四天王たちも、最初は戸惑っていたが、
やがて部下たちと「あの戦場はきつかったな」と昔話に花を咲かせ始めた。
「見てください、陛下。
これが、私が目指した『組織の血流』です」
ゼノンは眼鏡を直し、食堂全体を見渡した。
「同じものを食べ、同じ喜びを共有する。
それだけで、士気は恐怖による強制を遥かに凌駕します」
「ああ。その通りだな」
ゼクスはワイン(ジュースに見えるが高級な葡萄水)を一口飲み、ゼノンを見つめた。
「ゼノン。君が来てから、私の軍は……いや、私の『家族』は、
本当の意味で一つになれた気がするよ」
「……陛下。私はただ、不当な空腹をアンバインド(解放)しただけですよ」
「ははは。相変わらずだな。
だが、この『温かさ』だけは、どんな強力な魔法でも生み出せなかったものだ」
その夜。
魔王城からは、かつてないほど力強く、そして穏やかな歌声が響いていた。
兵士たちの胃袋は満たされ、その心には「魔王様のために」という、
強要されない、本物の忠誠心が芽生えていた。
だが。
組織がホワイト化し、最強へと近づく一方で、
まだまだ古い体制の影が長く伸びている。
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