第6話:地獄の朝礼、アンバインド(解放)します
午前四時。
まだ夜の帳が降りている、魔王軍・第2軍団の練兵場。
そこには、眠気でふらつきながら整列する、数千人の魔物たちの姿があった。
「――声が小さいッ! やる気があるのかッ!!」
鼓膜を突き破らんばかりの怒号を上げたのは、四天王の一角に近い実力を持つとされる猛将、ブラッド・オーガ将軍だった。
彼は三メートルを超える巨体を揺らし、部下たちの前で太い鞭を地面に叩きつける。
「魔王様への忠誠とは、即ち気合だ!
眠いだと? 疲れただと?
そんな軟弱な精神だから、勇者に一歩を許すのだ!
いいか、今日から朝礼は一時間前倒しだ!
寝る暇があるなら、素振り一万回、そして魔王賛歌を千回斉唱せよッ!!」
最前列に並んでいた小柄なインプが、過労と栄養不足で膝をついた。
「……た、隊長……もう、三日も寝て……ぐはっ!?」
容赦のない鞭がインプの背中を打つ。
「立てッ! 根性が足りんから倒れるのだ!
痛みを忘れるまで叫べ! それが魔王軍の伝統だッ!!」
魔物たちの瞳には、絶望と諦めが泥のように沈んでいた。
彼らにとって、戦場よりもこの朝礼の方が地獄だった。
だが、その地獄の空気を切り裂くように、場違いな靴音が響き渡った。
コツン、コツン。
一定のリズムで刻まれる、冷徹なまでの足音。
「――将軍。その『教育』、非効率極まりないですね」
闇の中から現れたのは、黒いロングコートを纏った男。
退職代行『アンバインド』、エージェントのゼノンだった。
「あぁ!? 貴様……例の『代行屋』か!
陛下から外部顧問として招かれたと聞いたが、俺のやり方に口を出すなッ!
戦場は気合だ! 眠気など根性で吹き飛ばすのが、俺の組織運営だッ!!」
ゼノンはブラッド・オーガの目の前まで歩み寄り、眼鏡のブリッジを静かに押し上げた。
「根性、ですか。
ルナ。第2軍団の直近一週間の、誤操作による自爆・誤射率のデータを」
耳元の通信機から、ルナの冷静な声が練兵場に響き渡る。
その声は、ゼノンの魔法によって拡声され、全兵士の耳に届いた。
『了解です。――第2軍団のミス発生率は、他の軍団の約4倍。
その原因の98%が「睡眠不足による集中力の欠如」と判明しています。
将軍。あなたが「気合」を強要すればするほど、魔王軍の戦力はゴミのように捨てられている計算になりますね』
「な、なんだと!? データだと? そんな数字で戦争ができるかッ!!」
「数字は嘘を吐きませんが、無能な指揮官は自分に嘘を吐きます」
ゼノンは手元のバインダーを開き、冷徹に言葉を紡ぐ。
「将軍。あなたが自慢するその『地獄の朝礼』。
これにより、兵士たちの魔力回復効率は平時の15%まで低下しています。
つまり、あなたは味方を弱体化させる『呪い』を毎朝バラ撒いているに等しい。
これは軍事における『利敵行為』、すなわち反逆罪に相当しますが……お気づきでしたか?」
「貴様ぁぁッ!! 俺を愚弄するかッ!!」
ブラッド・オーガが巨大な棍棒を振り上げる。
その一撃は、大地を割るほどの威力を持っていた。
「死ねッ! 理屈を並べる口ごと、粉砕してやるわッ!!」
「……物理的介入を承認します」
ゼノンは避けない。
ただ、手にした銀の杖を軽く横に振った。
「――アンバインド・スリープ」
キィィィィィィィン……!!
棍棒がゼノンの脳端を叩き潰す寸前、ブラッド・オーガの巨体が静止した。
「……が、は……? 体が……急に……重……」
将軍の瞳が、急激に混濁していく。
「将軍。あなたは部下に『寝るな』と言いながら、自分も三日間寝ていないでしょう。
あなたの脳は、今この瞬間も絶叫を上げて休息を求めている。
その『脳の悲鳴』を、無理やり解放して差し上げました」
「ま、まて……俺は……まだ……戦……」
ドォォォォンッ!!
三メートルを超える巨体が、地響きを立てて倒れ伏した。
ただの気絶ではない。
ゼノンの魔力によって「強制的な深い睡眠」に叩き落とされたのだ。
静まり返る練兵場。
ゼノンは倒れた将軍を一瞥もせず、呆然と立ち尽くす数千の魔物たちに向き直った。
「第2軍団の諸君。
これより、本日の予定をすべて変更する。
――全員、今すぐ宿舎に戻り、最低でも八時間の睡眠を取れ。
これは魔王陛下直属の外部顧問としての、絶対命令だ」
兵士たちの中に、戸惑いの色が広がる。
「で、でも……訓練はどうするんですか?
魔王賛歌の唱和をしないと、また罰せられるんじゃ……」
「訓練は中止だ。
魔王陛下が求めているのは、合唱団ではなく、最強の軍隊だ。
フラフラの状態で槍を振るより、泥のように眠り、魔力を満たした状態で戦場に立つこと。
それが陛下に対する、最大の忠誠だ」
ゼノンがそう言い切った瞬間。
一人の若いオークが、ポロポロと涙を流し始めた。
「……いいのか? 本当に、寝てもいいのか……?」
「ああ。存分に眠れ。
誰にも邪魔はさせない」
兵士たちが一人、また一人と、重い足取りで、しかし希望を抱いて宿舎へと引き返していく。
それを見届けたゼノンは、通信機に指を添えた。
「……ルナ。宿舎の寝具の質を調査しろ。
安眠を妨げるような粗悪な毛布は、すべて予算を組んで買い替えさせる」
『了解です。――あ、ゼノンさん。
さっきの将軍の「強制睡眠」、ちょっと強すぎませんでした?
たぶん三日は起きませんよ、あれ』
「構わん。彼には、自分が否定し続けた『休息の重み』を、身をもって知ってもらう必要がある」
数時間後。
静まり返った魔王城の一室で、魔王ゼクスは報告を聞き、苦笑していた。
「……そうか。第2軍団が、全員で高いびきをかいているか」
「陛下。申し訳ありません、あのような独断を」
「いや、いい。むしろ清々しい。
今まで軍の中にあった、あの『重苦しい空気』が消えつつあるのを感じるよ。
……ゼノン。君は、魔物たちに『眠る喜び』を教えた最初の人間だな」
ゼノンは表情を変えず、新しい報告書を魔王の机に置いた。
「喜びを教えるのが私の仕事ではありません。
当たり前の権利を、アンバインド(解放)しただけです」
「ははは。相変わらずだな。
……だが、これで兵士たちの目は覚めるだろう。
本当の『忠誠』とは、恐怖ではなく、信頼から生まれるものだということに」
窓の外。
昇り始めた朝日が、初めて「静かな眠り」に包まれた魔王軍の砦を、優しく照らしていた。
だが、改革はまだ始まったばかり。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




