第5話:魔王、コンサルティングを依頼する
魔王城の応接間。
そこは、本来であれば各国の王が震えながら許しを乞う場所である。
だが、今そこに流れているのは、血生臭い殺気ではなく、高級なコーヒーの香りと……
張り詰めたような、奇妙な「事務的緊張感」だった。
「――改めて、正式に要請したい」
魔王ゼクスは、机を挟んで座る男――ゼノンを真っ直ぐに見据えた。
魔王は、一切の飾りを捨てた一人の男として、頭を垂れる。
「我が軍の現状は、貴殿が指摘した通り腐敗しきっている。
このままでは、勇者に滅ぼされる前に、自らの不義によって内部崩壊するだろう。
……ゼノンよ。貴殿の知恵と力を、我が軍の『組織風土改善』のために貸してほしい」
ゼノンは無表情に、手元のコーヒーカップを置いた。
「……陛下。私は『退職代行』のエージェントです。
本来、労働者を組織から引き剥がすのが仕事であり、組織を直すのは門外漢ですが」
「謙遜はやめてくれ」
魔王は苦笑した。
「貴殿ほど、この世界の理不尽な『契約』の裏側に精通している者はいない。
それに……貴殿なら、私の顔色を伺わずに膿を出してくれると確信している」
ゼノンはしばし沈黙した後、鞄から一通の分厚い書類を取り出した。
それは、すでにルナと事前協議を済ませていた『魔王軍組織改革・特別コンサルティング契約書』だ。
「……いいでしょう。ただし、私のやり方は非常に過激です。
まずは、これに目を通してください。契約の条件、および報酬額です」
魔王が書類を手に取る。
数ページにわたる細かい条件を読み進めるうち、魔王の眉がわずかに跳ね上がった。
「……ほう。白金貨、一万枚。
さらに、改革期間中の全軍における人事権の完全委譲。
加えて、私がこの契約に異議を唱えた場合、違約金として我が領土の三割を譲渡、か」
後ろに控えていた宰相が、泡を食って叫び声を上げた。
「へ、陛下! 正気ですか!? このような無茶苦茶な条件……!
一介の代行業者に、我が軍の命運を渡すなど、あってはならないことです!」
ゼノンは宰相を一瞥すらしない。
「……陛下。変化には痛みが伴います。
高い報酬は、私の覚悟であると同時に、陛下の『本気度』を測る物差しです。
命を預ける兵士たちに対し、中途半端な覚悟で『変わる』などと言っても、誰も信じませんよ」
「……ふふ、はははは!」
魔王ゼクスは声を上げて笑った。
その笑いは、怒りではなく、むしろ清々しさに満ちていた。
「いいだろう。一万枚だろうが、領土の半分だろうが構わん。
泥を啜りながら戦う兵士たちの信頼に比べれば、金など石ころと同じだ。
――契約成立だ、ゼノン。いや、ゼノン先生とお呼びすべきかな?」
魔王は迷うことなく、自らの血をペンに含ませ、契約書に巨大な魔印を押した。
「いえ、ビジネスパートナーとして、『ゼノン』で結構です。
……では、さっそく業務を開始しましょう」
ゼノンが立ち上がると同時に、耳元の通信機が光った。
『ゼノンさん、準備完了です。――城内の全端末、および全兵士の魔導受信機をジャックしました。
いつでも「全軍同時配信」にいけますよ』
「頼む、ルナ」
ゼノンが指を鳴らす。
次の瞬間、魔王城のいたる所に、巨大な魔法映像が投影された。
そこには、会議室で震えている宰相や四天王たちの姿、
そして冷静に立つゼノンの姿が映し出されている。
「魔王軍全将兵に告ぐ。――本日より、当軍の人事および組織管理は、
退職代行『アンバインド』が一時的に代行する。
今この瞬間を以て、前時代的な精神論、および『名誉』という言葉を盾にしたサービス残業を、一切禁止とする」
城内が、そして各地の前線基地が、騒然となった。
「な、なんだこれは!? 何勝手なことを!」
「俺たちの軍規を否定する気か!」
各地の幹部たちが怒鳴り声を上げるが、ゼノンは淡々と続けた。
「納得いかない幹部諸君も多いだろう。
だが、これは魔王陛下との正式な契約に基づくものだ。
まずは手始めに……。宰相閣下。
あなたが過去十年にわたって、『予備費』の名目で着服していた兵士たちの福利厚生費。
その総額と流用先を、今ここでこの映像を通じて全軍に公開します」
「……え?」
宰相の顔が、一瞬で土気色になった。
『はい、こちらルナです。――宰相閣下の秘密金庫、ハッキング完了しました。
愛人へのプレゼント代、白金貨三〇〇枚。
私的な別荘の維持費、白金貨五〇〇枚。
……これ、全部兵士たちの「治療薬予算」から削ったものですね』
映像に、詳細な裏帳簿が次々と映し出される。
それを見た兵士たちから、地鳴りのような怒号が上がった。
「ふざけるな! 俺たちが泥を喰って戦っている間に、贅沢三昧かよ!」
「ポーションが届かなかったせいで、相棒は死んだんだぞッ!」
「ひ、ひいい……陛下! これは誤解です! 私は軍のために……!」
「――宰相。もういい」
魔王ゼクスの声が、冷たく響いた。
「貴様の『退職』は、今この場で確定した。
……ゼノン。あとのゴミ掃除は任せる」
「承知しました。……不当な着服および権力濫用につき、
あなたの資産はすべて没収。兵士たちの給与に充当します。
――これより、強制的な『解雇執行』を行います」
ゼノンが銀の杖を振ると、宰相の身に纏っていた豪華な魔導衣が弾け飛び、
彼はそのまま、衛兵たちによって引きずり出されていった。
玉座の間には、沈黙が戻った。
ゼノンは魔王に向き直り、静かに告げた。
「陛下。これが私の仕事です。
成果は必ずお見せします」
「……ああ。期待以上の幕開けだ」
魔王は椅子から立ち上がり、ゼノンに右手を差し出した。
それは、王が臣下に差し出すものではなく、
一人の男が、信頼できる相手に求める握手だった。
「感謝する、ゼノン。……おかげで、久しぶりに胸のつかえが取れたよ」
「……陛下。私は契約に応じた成果を見せているだけです。
感謝される筋合いはありませんよ」
ゼノンは素っ気なく答えたが、その手はしっかりと魔王の手を握り返していた。
「ふっ……。相変わらずだな。
……ゼノンよ。この件が終われば、貴殿を『友人』と呼んでもいいだろうか?」
魔王の少し照れくさそうな問いに、ゼノンはわずかに口角を上げた。
「……今はまだ、エージェントとクライアントの関係です。
ですが、仕事の時間外であれば、あなたのことは呼び捨てにさせてもらいますよ。
……ゼクス」
魔王はその言葉を聞き、嬉しそうに目を細めた。
「ああ。それでいい。……これからもよろしく頼むぞ、ゼノンよ」
こうして、魔王軍史上最大の「ホワイト化計画」が動き出した。
泥臭く、しかし誰よりも気高い「退職代行者」と「魔王」の、
世界を揺るがす改革は、まだ始まったばかりである。
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