第6話 【師の教え】開かれた扉、アンバインド(逆転)します
「死ね、死ね、死ねぇッ!! 俺の命を削ったこの『心中契約』からは、神だって逃げられやしないんだッ!!」
カインの咆哮と共に、深海プラントを包む魔力壁が赤黒く変色し、収縮を始める。
それは、空間そのものを圧殺し、中の人間を「存在しないもの」として処理する最悪の術式。
「ゼノンさん、無理です! この契約、論理的な『出口』が一つも設定されていません……っ!!」
ルナの悲鳴のような演算結果。
だが、ゼノンは濁流に足を取られながらも、所長から託された黒革のバインダーをそっと撫でた。
その感触が、修行時代の記憶を呼び覚ます。
***
八年前。アンバインドの本店、あの喫茶店のカウンター。
「……所長。なぜ、これほどまでに複雑な法務知識を私に教えるのですか。
……剣を持てば、組織など一瞬で壊せます」
若き日のゼノンが、分厚い六法全書を前に問いかけた。
オーウェンは、ゆっくりとコーヒーを淹れながら、いつになく真面目な顔で教え子を見つめた。
「ゼノン。……暴力で壊したものは、また別の暴力で作り直されるだけだ。
だが、書類で壊したものは、二度と元には戻らない。……それが『理』というものだ」
「理……ですか」
「いいか。法や契約ってのは、権力者が弱者を縛るための鎖に見えるだろう?
だがな、実は逆だ。
――法とは、追い詰められた弱者が最後に逃げ込むための『扉』なんだよ。
どんなに鉄壁に見える契約にも、必ず一行、『慈悲の隙間』がある。
……それを見つけるのが、我々アンバインドの仕事だ」
オーウェンは、空のカップをゼノンの前に置き、ニヤリと笑った。
「例えばだ。……『死ぬまで働け』という不当な契約があるとする。
一見逃げ場はないが、事務的に考えれば、
『死んだ瞬間に契約は満了する』という意味でもある。……だろ?」
「…………。……それは、救いになっていません」
「ははは! 硬いねぇ!
まあ、詰まったらギャグでも言ってみろ。
思考を『停止』させて、『提示』される真実もあるからな!」
***
(――そうか。……『扉』は、常に目の前にあった)
現在。
迫りくる赤黒い壁を前に、ゼノンはバインダーから、所長が「使い切れなかった」と言った特殊解約書を抜き取った。
「……カイン。……あなたの契約、あまりに『自分勝手』で、『未完』ですね」
「……あ!? 何を……」
「貴様は『俺の命と連動してプラントを自爆させる』と言った。
……ですが、このプラントの『所有権』は、先ほど魔王軍へと譲渡されています。
他人の財産を勝手に自爆の担保にするのは、規約違反……。
――即ち、この契約は『承認待ち』の状態でフリーズしています」
ゼノンの指先が、空中に展開された赤黒い術式の一行を、鋭く書き換える。
「ルナ! カナデ様の演算領域を借用し、全魔力を『契約の強制終了』に回してください!!」
『――了解! カナデさん、手を貸して!
今、この理不尽な心中を、強制退職させます!!』
「……はい!! ――お願い、止まってぇぇぇッ!!」
カナデが放った純白の魔力が、ゼノンの修正した術式へと流れ込む。
「バ、バカなッ!? 俺の命が、契約から切り離される……!?
待て! 俺が死ななきゃ、この術式は完成しないはずだッ!!」
「――いいえ。……所長が言っていました。
『死ななければ終わらない契約』なら、
――『一瞬だけ死んだことにすればいい』」
ゼノンが、砕けたゴーレムの電撃ロッドを、カインの胸元へと突き立てた。
バチィィィィィィィィィッ!!
「ガ、ハッ…………!!」
カインの心臓が、強力な電撃によって一瞬だけ停止する。
【――対象:カイン。生命活動の停止を確認。
心中契約、条件達成により……満了・解除します】
システムが無機質な音を立て、プラントを包んでいた絶望の壁が、硝子が砕けるように霧散した。
直後、ゼノンはカインの胸を力一杯叩き、蘇生措置を施した。
「……カハッ! げほっ、ごほっ!! ……はぁ、はぁ……。
……い、生きてる……? 俺……助かったのか……?」
「……残念ながら。……死ぬことさえ許されないのが、
……我々のような『ブラックな事務屋』の宿命ですよ」
ゼノンは再び眼鏡を掛け直し、腰まで浸かった海水の中で、びしょ濡れのバインダーを閉じた。
「カイン。……貴様の負けです。
……法という扉は、貴様を殺すためではなく、
……貴様の『過ち』を終わらせるために、そこにありました」
崩壊の止まった静寂のプラント。
カナデは、力尽きて座り込んだゼノンの背中に、そっと手を添えて泣いていた。
「……ありがとう。……ゼノンさん。……私、生きてていいんだね……」
「……ええ。……これからは、残業代をしっかり請求して生きてください」
ゼノンが仰いだ天井の隙間から、海洋都市の人工の光が、希望のように差し込んでいた。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




