第3話:王国の『責任転嫁』、お買い上げありがとうございます
アステリア王国の王立会議場は、重苦しく、それでいて刺々しい沈黙に包まれていた。
豪奢なシャンデリアが照らし出すのは、磨き抜かれた円卓を囲む、国の中枢を担う重鎮たちの姿である。
しかし、その表情は一様に醜かった。
互いの隙を窺い、誰がこの「失態」の責任を負うべきか、その擦り付け合いに全神経を集中させていたからだ。
「――ですから! 私は当初から、勇者アポロのマネジメントに問題があると具申していたのです!」
沈黙を破ったのは、軍務大臣の老貴族だった。
彼は顔を真っ赤にし、机を叩いて財務卿を指差す。
「聖女リアナの離脱により、国境付近の結界強度が三割も低下した!
これは国防の危機だ! 予算を削り、彼女の福利厚生を無視し続けた財務局の失策ではないか!」
「聞き捨てなりませんな、軍務大臣」
財務卿は冷ややかな笑みを浮かべ、書類を弄んだ。
「予算の配分は王令に基づいた正当なものです。
むしろ、彼女を二十四時間体制の過重労働に従事させたのは、現場の指揮権を持っていた教会と軍部の責任でしょう。
『聖女の献身は無償であるべきだ』と主張されていたのは、どこのどなたでしたかな?」
「それは……教義上の建前であって……」
「建前で人が動くとでも? 現場の不満を吸い上げず、勇者の『輝かしい戦果』ばかりを喧伝し、裏側の腐敗を隠蔽していた広報官や宰相閣下にも、当然相応の責任があるはずですな」
円卓の端で、若き国王は頭を抱えていた。
彼もまた、この「アステリア王国のシステム」という巨大な歯車の一部に過ぎない。
誰一人として、救い出された聖女の安否や、残された魔術師たちの精神状態を案じる者はいない。
ここにあるのは、保身と、予算と、権力の維持。それだけだ。
「ええい、静まれ! 誰の責任かは後でいい。
問題は、あの『アンバインド』と名乗る不届きな代行業者だ!」
国王が声を荒らげる。
「我が国の至宝である聖女を、勝手に連れ去りおって!
これは国家に対する反逆、略奪行為に等しい! 今すぐ兵を差し向け、連れ戻すのだ!」
「――それはお勧めしませんよ、国王陛下」
会議場の、厳重に閉ざされていたはずの扉。
そこに、いつの間にか一人の男が立っていた。
整えられた黒髪に、隙のない黒のロングコート。
衛兵たちの制止をすり抜け、あるいは無力化したのか、男は何の音もなく円卓のすぐ側まで歩み寄る。
「……貴様ッ! 何者だ! ここをどこだと思っている!」
「失礼しました。アジェンダへの事前予約はしておりませんが、緊急の『精算業務』が発生しましたので。
退職代行『アンバインド』、エージェントのゼノンです」
ゼノンは優雅に一礼したが、その瞳は氷のように冷淡だった。
彼は手にしたバインダーから、一枚の、ひどく長い書類を取り出し、国王の目の前に滑らせた。
「これは……なんだ?」
「今回の『聖女リアナ様、魔術師カイン様、戦士ゴードン様』の三名分の退職に伴う、最終精算書です」
国王が書類に目を落とした瞬間、その顔から血の気が引いた。
「……な、なんだ、この金額は!? 白金貨五千枚……!? 冗談だろう、一国の年間予算の半分に匹敵するではないか!」
「冗談でこのような場所へは参りません」
ゼノンは淡々と、しかし場を支配するような圧力を持って言葉を継いだ。
「内訳をご説明しましょう。
まず、過去三年にわたる未払い残業代、休日出勤手当、深夜労働手当。
彼女たちの実働時間は、公的な活動記録の四倍を超えていました。
ルナ、証拠の提示を」
『了解です。――王宮地下に隠蔽されていた「裏の活動日誌」を解析完了。
国王陛下、あなたが毎晩のように彼女たちに強いていた「結界維持の追加祈祷」の命令書、全三六五通の複写を魔法投影します』
会議場の空中に、膨大な数の書類が浮かび上がった。
そこには、国王の印章が鮮明に押されている。
「さらに」
ゼノンは容赦なく追撃する。
「精神的苦痛に対する慰謝料。これは勇者アポロによるハラスメントを黙認し、組織的に助長したことへの賠償です。
そして――これが一番大きい。
『国家安全保障を一個人の無償労働に依存させたことによる、リスク管理代行費用』です」
「な……リスク管理、だと……?」
「ええ。彼女たちがいつ倒れてもおかしくない状況を放置し、国が滅びるリスクを彼女たち個人に背負わせた。
当ギルドが介入し、彼女たちを『安全に離職』させなければ、今頃結界は暴走し、この王都は地図から消えていたでしょう。
我々はその大惨事を未然に防いだ。つまり、王国の存続を代行したのです」
「ふざけるなッ! 勝手に連れ出しておいて、救ってやったから金を払えだと!?
そんな理屈が通るか! 衛兵! この狂人を捕らえろ!」
軍務大臣の叫びに、ようやく我に返った衛兵たちが一斉に槍を構える。
だが、ゼノンは動かない。
ただ、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「……ルナ。王国資産の『アンバインド』、準備は?」
『いつでもいけますよ。王都の各拠点を結ぶ魔力ライン、および国庫の封印結界のアクセス権、すべてこちらの管理下に置きました』
「実行してください」
パリン、と。
王城全体を揺るがすような、奇妙な振動が走った。
会議場の豪華な照明がまたたき、消える。
城を覆っていた強固な防衛結界が、霧が晴れるように消失していく。
「なっ、何をした!? 城の結界が……消えた!?」
「お静かに。……契約とは、合意の上に成り立つものです」
ゼノンは、バタバタと騒ぎ出した大臣たちを冷ややかな視線で黙らせた。
「あなたがたは『聖女の力』というサービスを、適正な対価を払わずに利用し続けてきた。
その未払いが積もり積もって、システムの許容量を超えた。
……ですから、お支払いが完了するまで、この国の『安全』という機能は停止させていただきます。
いわば、サービスの差し止め(アンバインド)ですね」
「貴様……この国を、無防備にするつもりか!」
「お支払いをいただければ、すぐにでも代替の防衛スクロールを卸しましょう。
……もっとも、今のあなたがたにそれを買う信用があるかは別問題ですが」
ゼノンは一歩、国王に近づいた。
その瞬間、国王は、目の前にいるのがただの「代行業者」ではなく、自分などよりも遥かに高みに座る「死神」であるかのような錯覚に陥った。
「国王陛下。責任の擦り付け合いは、自分たちのお金でやってください。
他人の命を、あなたの政治のガソリンにするのは、今日限りで終了です」
ゼノンはバインダーを叩き、最後通牒を突きつけた。
「今すぐ、全額。……あるいは、あなたがたが『聖女』に強いてきたのと同等の、無償労働を国王自ら行っていただくか。どちらかを選んでください」
「……わ、わかった……払う……。払えばいいんだろう……!」
国王は崩れるように椅子に座り込み、財務卿に震える手で決裁を命じた。
数時間後。
アステリア王国の国庫からは、空前絶後の金額が『アンバインド』の口座へと転送された。
ゼノンは城門の前で、ルナの通信を受けながら、空に浮かぶ三日月を眺めていた。
『ゼノンさん、お見事です。白金貨五千枚、着金を確認しました。
これでリアナさんたちのセカンドライフのための基金と、彼女たちの両親への補償金、十分に賄えますね』
「ああ。……余った分は、魔王軍の『職場改善コンサル』の予算にでも回しておいてくれ。
あちらはあちらで、少し面白いことになりそうだからな」
『ふふ、あっちの魔王様、ゼノンさんのことえらく気に入っちゃったみたいですからね。
……あ、そういえば、帝国軍の方からも不穏な依頼が入っていますよ。
「二十四時間寝ないで戦える強化兵士」の退職代行、だそうです』
「……休みなし、か。最悪だな。
ルナ、次の現場の資料を。……『アンバインド』の夜は、まだ長い」
ゼノンは颯爽とコートをなびかせ、夜の闇へと消えていった。
後に残されたのは、予算を失い、システムを失い、
自らの身を守るために慣れない魔力労働を強いられることになった、泣き言ばかりの大臣たちだけだった。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




