第2話:その『聖域』、やりがい搾取につき
眩いばかりの後光が、大聖堂の奥に差し込んでいた。
香炉からは心を落ち着かせる清廉な香りが漂い、壁面を飾る金細工は神々しく輝いている。
だが、その中心に座る少女――聖女リアナの瞳に、光はなかった。
「……リアナ、今日も最高の『貢献』をありがとう。君の祈りのおかげで、この街の結界は保たれているんだ。まさに、君は僕たちの『太陽』だよ」
そう言って爽やかな笑みを向けるのは、勇者アポロ。
金髪をなびかせ、一点の曇りもない白銀の鎧を纏った彼は、まさに絵に描いたような英雄だった。
リアナは、震える唇を無理やり吊り上げた。
「……はい、アポロ様。皆さんの、お役に立てているなら……」
彼女の指先は、絶え間ない祈祷の魔力循環によって感覚を失い、白く変色している。
最後に横になって眠ったのは、もう四日前だ。
食事は「聖女の純潔を保つため」という名目の、栄養価の薄い聖水とわずかな果実のみ。
「素晴らしいマインドセットだね! 僕たちはチームだ。世界を救うという大きな『ビジョン』に向かって、一丸となって走っている。……ねえ、そう思わないかい?」
アポロが振り返った先。
パーティメンバーの魔術師カインと戦士ゴードンがいた。
二人は高級なソファーに深く腰掛け、リアナが維持する結界の中で、高級なワインを煽っている。
だが、その瞳はリアナと同じく、死んだ魚のように濁っていた。
彼らもまた、「勇者と共に歩む栄誉」という呪縛に絡め取られ、過労と自己犠牲を「美徳」として刷り込まれた犠牲者だった。
「……ああ、最高だ。世界を救うのは、最高に……ワクワクするな」
魔術師カインが、虚空を見つめたまま力なく呟く。
「ああ。俺たちの『市場価値』も爆上がりだぜ……。……なあ、俺、いつになったら実家に帰れるんだっけか」
戦士ゴードンが、震える手で杯を口に運ぶ。
「何を言っているんだい、ゴードン。僕たちの冒険はまだ始まったばかりだよ!
今は『自己投資』の時期だ。プライベートを犠牲にしてでも、世界のために尽くす。
それが、選ばれし僕たちの『特権』じゃないか」
アポロの言葉は、どこまでも前向きで、どこまでも残酷だった。
彼は暴力を振るわない。
ただ、「夢」と「善意」を人質にして、仲間の命を少しずつ削り取っていく。
リアナの脳裏に、故郷で待つ老いた両親の顔が浮かぶ。
『リアナ、お前は村の誇りだ。勇者様と一緒に、立派に役目を果たすんだよ』
その期待が、今の彼女を縛る一番重い鎖だった。
(……もう、限界。……でも、私が辞めたら、みんなをガッカリさせてしまう。
世界が、滅びてしまう……)
リアナが意識を失いかけた、その時だった。
「――失礼します。少々、アジェンダに割り込ませていただきますよ」
聖域の静寂を破り、場違いな靴音が響いた。
大聖堂の重厚な扉を開け、悠然と歩いてくる男が一人。
黒いロングコート。手には銀の杖と、一冊のバインダー。
アポロが怪訝そうに眉をひそめた。
「……誰だい、君は? 今はチームの『ミーティング』中だよ。
部外者は、僕たちのワクワクを邪魔しないでほしいな」
「お疲れ様です。退職代行『アンバインド』、エージェントのゼノンです」
ゼノンは事務的な一礼をすると、リアナの前に立った。
彼女の顔を覗き込み、静かに、しかし断定的に告げる。
「リアナ様。……重度の魔力欠乏、睡眠不足による認識障害。
および、心理的搾取による重度のマインドコントロールを確認しました。
……もう、頑張らなくて結構ですよ」
『ゼノンさん、聞こえますか? ルナです。
リアナさんのご両親から、正式な『救出依頼』を受理しました。
「娘を返してほしい。世界なんて救わなくていいから、あの子を笑わせてやってほしい」……とのことです』
通信機から流れるルナの声に、リアナの目から大粒の涙が溢れ出した。
「……え? あ、父様たちが……?」
「ちょっと待ってくれよ!」
アポロが、笑顔のまま割って入る。
「退職? リアナが? そんなのありえないよ。
彼女は自分から『やりたい』って言ったんだ。
僕たちは彼女の『自主性』を尊重している。無理やり働かせてるわけじゃない」
「『自主性』、ですか」
ゼノンは手元の資料を捲り、冷徹な視線を勇者に向けた。
「アポロ様。こちらの『冒険者パーティ運営指針』第15条に基づき、聖女には最低でも一週間に二日の完全休養、および一日の最大 प्रार्थना(祈祷)時間は8時間までと定められています。
対して、彼女の直近一ヶ月の稼働時間は……月平均700時間を超えていますね。
これは『自主性』ではなく、『安全配慮義務違反』、さらに言えば『組織的洗脳』です」
「ははは! 法律? ルール? 君、何を言っているんだい」
アポロは肩をすくめて笑った。
「僕たちは世界を救うヒーローなんだよ。法律なんて、僕たちの『情熱』の前には無意味だ。
リアナだって、世界が滅びるのと、自分が少し疲れるの、どっちが大切か分かっているはずだよ。ねえ、リアナ?」
アポロの瞳が、リアナを射抜く。
「君が辞めたら、今日、この街を守っている結界が消える。
何万人もの人が死ぬ。……君は、その人たちの命を見捨てるような、薄情な人間なのかな?」
「……あ、う……。それは……」
リアナが再び、恐怖に身をすくめる。
だが、ゼノンはその恐怖を断ち切るように、彼女の肩を叩いた。
「アポロ様。一つ、大きな勘違いをされていますね。
……リアナ様が辞めて世界が滅びるのだとしたら、それは彼女の責任ではない。
一人の聖女に依存しなければ維持できない、この『システム』と、それを放置してきた『リーダー』の責任です」
ゼノンはバインダーを閉じ、銀の杖を軽く振った。
「世界を救うという『やりがい』を餌に、個人の人生を食い潰す。
……その傲慢、当ギルドが受理させていただきます」
「……ふん。口先の理屈はもういいよ。
リアナを連れて行くと言うなら、僕たち『勇者パーティ』と戦うことになるけど……いいのかい?
僕たちのレベルは、君みたいな事務屋とは次元が違うんだ」
アポロが聖剣を引き抜く。
カインとゴードンも、死んだ魚の目のまま、操り人形のように武器を構えた。
「レベル、ですか。……ルナ、解析を」
『完了しています。――彼らの強さは、周囲から吸い上げた『善意の魔力』に基づいています。
契約の糸を遮断すれば、ただの『自己陶酔した男』に成り下がりますよ』
「了解した」
ゼノンが指を弾いた。
「――解放・ロジック」
パリンッ!!
大聖堂を包んでいた「神聖なオーラ」が、一瞬で色褪せた。
アポロの聖剣が放っていた光が消え、ただの装飾過多ななまくら刀へと変わる。
「な……!? 僕の力が、僕の『情熱』が消えていく……!?」
「情熱ではありません。それは仲間に押し付けていた『過剰な負担』を、自分たちの力だと思い込んでいただけの、まやかしです」
ゼノンは、激昂して飛びかかってきたアポロの攻撃を、最小限の動きで回避した。
そのまま、アポロの喉元に手を添え、床に叩き伏せる。
「がはっ……!? 離せ……! 僕を誰だと思っている! 世界の救世主だぞ!」
「救世主にしては、部下の離職率を気になさらないようですね」
ゼノンは冷たい瞳で勇者を見下ろし、リアナに向けた。
「リアナ様。今、あなたを縛っていた『罪悪感』の術式を解除しました。
……世界は、あなたが寝ている間も、勝手に回ります。
もし滅びるとしても、それはあなたのせいではありません」
リアナは、自分の胸元がすっと軽くなるのを感じた。
ずっと背負わされていた「世界の重み」という幻想が、ゼノンの力によって霧散していた。
「……私、辞めます。……お父さんと、お母さんのところに、帰ります!」
リアナの叫びに、魔術師カインと戦士ゴードンも、ハッとしたように顔を上げた。
彼らの瞳に、わずかながら「生気」が戻る。
「……おい、リアナが辞めるなら……俺も、いいか?」
「……ああ。俺も、もう『ワクワク』するのは疲れたよ……」
「ま、待て! 君たち! 僕を見捨てるのか! 僕たちはチームだろ!?」
アポロの惨めな叫びを無視し、ゼノンはリアナたちを促した。
「後の清算は、当ギルドの『代表』が王国政府と交渉します。
未払い賃金の請求書は、アポロ様の邸宅に届くように手配済みです」
数時間後。
夕焼けの草原を、馬車が走っていた。
その中には、泥のように眠るリアナと、久しぶりに穏やかな表情を見せるカイン、ゴードンの姿があった。
ゼノンは馬車の御者台で、ルナの報告を聞いている。
『ゼノンさん、お疲れ様です。勇者アポロは「仲間割れした卑怯者」として、ギルドから厳重注意を受けたみたいですよ。……まあ、自業自得ですね』
「『やりがい』という薬物は、時に暴力よりも人を壊す。……厄介な案件だった」
『でも、リアナさんのご両親、泣いて喜んでいましたよ。
「娘が帰ってきたら、一番好きなアップルパイを焼くんだ」って』
「……そうか。それは、私の好物でもある」
ゼノンは、懐から取り出した「退職完了」のスタンプを、書類に力強く押した。
世界を救う勇者も、魔王も、いればいい。
だが、そのために誰かの人生が「アンバインド」される必要はないのだ。
ゼノンは沈みゆく太陽を見つめながら、次の「ブラックな現場」へと馬車を走らせた。
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