第7話 忌部村の夜
金剛はポツポツと語り出した。
あの日、金剛は土門と一緒に一振りの刀を打っていた。この頃の土門と金剛にとって日々の鍛治は日常であった。それはそんな日常で突然に起こった。
「土門様!」
「こ、これは?金剛!」
二人は異様な霊力が付近に満ちるのを感じた。土門と金剛は作業を中止して急いで外へと走り出た。そこにはこの世の物とは思えない光景が広がっていた。黒く暗い物質が宙で渦巻き、瘴気ともいえる異形の霊力が漂っていた。
土門は急ぎ屋敷へ戻ると刀を携えて戻って来た。その刀は先代『精霊の王』が使った刀。
土門はその刀に精霊の力を宿すと瘴気へ向けて放った。その霊力は瘴気とぶつかり合い、瘴気を薙ぎ払った。その瘴気の力は絶大で土門の振るった刀は鍔元から折れていた。精霊の王の刀が…、である。土門は折れた刀を呆然と見やった。
そして付近はいつも通り、何事もなかったかのように日常を取り戻す。そこにある者を残して。
禍々しい瘴気が払われた跡に“赤子“がいたのだ。まだ立つ事もできない幼子。
「土門様。この赤子の霊力は…?」
土門も金剛も感じていた。この赤子が持つ霊力はこの世の物ではないことを。
「闇…。闇の霊力か…?」
土門の呟きに金剛は恐れをなした。
(闇?闇の霊力だと?そんな力が存在するのか?)
しかし、土門も金剛も赤子の顔を見てすぐに得体の知れない恐怖は霧散していた。
「ふふ、かわいい顔で笑うものだな。」
この闇を宿した赤子は金剛が育てることになった。土門の希望でもあったからだ。判ふ人として土門は【闇】を軽視できなかったのだ。
「判ふ人である俺の元に来たのは意味があるのであろう。金剛。この子を導いてやってほしい。」
耶咫と名付けられた赤子は金剛が引き取り、【土】の里から離れた忌部村で育てられる事となった。金剛は耶咫に刀術や霊力の使い方を教えた。しかし、金剛は【闇】の特性を知らない。耶咫に精霊を支配する方法は教えられなかった。そのため、耶咫の霊数は低い。
それでも金剛は耶咫が撰霊に選ばれる事は予期していた。なぜならこの世に【闇】を扱う精霊使いは耶咫しかいないのだから。撰霊は全ての属性の首から選ばれるのだから。
◇
「翡翠。儂は耶咫が優しさを持って育ってくれたと自負している。“優しさ“とは弱いものが自分を正当化するための言い訳だと儂は思っていた。だが、耶咫は強さを伴った優しさを持っている。」
そこで金剛は一息ついた。
「耶咫が精霊の王を目指すか?目指さないか?は耶咫が決めれば良い。だが翡翠。耶咫は撰霊としても今までと違う世を見せてくれるだろう。」
翡翠は真っ直ぐに金剛を見つめていた。その視線は揺るがない。金剛はふっと息を抜いた。
「という事だ、耶咫。お前は翡翠の言に従って土門様に会え。そして決めろ。」
耶咫は頷いた。耶咫は昔から精霊の声が聞こえた。精霊は色々な事を語りかけてくる。少し前に耶咫は翡翠に精霊の声は『何となく』聞こえる程度だと言ったがその実、かなり具体的に聞こえる。耶咫が翡翠の刀筋を避けられたのも精霊の声による。その精霊の声は昔から耶咫を『新たな王』と呼んでいた。我らに新しき世を示せと。
(そういう事だったのか…。)
耶咫はぼんやりと思っていた。撰霊になる事の意味について。
(今はわからない。でも昔から精霊が語りかけて来たのは僕に精霊の王になれという事なのかな?)
答えの出ない問い。それよりも。
(翡翠。僕の事を思ってくれている…。その思いには答えたい!)
「爺さん、わかったよ。翡翠。よろしくお願いします。」
耶咫はその時の翡翠の笑顔を生涯忘れる事はないだろうと思った。それほどに翡翠の笑顔は晴れやかで美しかった。
◇
「うわっはっはっは!翡翠は酒が強いんだな!」
「いえ、金剛様ほどじゃありません。しかし、お酒が美味しく飲めるのはここのお料理がとても美味しいからです。」
「そうじゃ!なぜにこんなに美味いのだ?」
白も隣で肉に食らいつきながら相槌を打っていた。
「それはな。」
「それは…?」
「耶咫が料理上手だからじゃ!」
金剛の答えにわざとらしく翡翠と白は驚く。
「えーー、耶咫って素敵!」
その様子を見ながら耶咫はやれやれというように肩をすくめた。
「何だよ、二人とも。僕が料理しているのをわかっているくせに…。」
今日の夜の料理は耶咫が翡翠と白のためにあれこれと準備したのだ。
鶏のモモ肉に生姜やニンニク、醤油を絡め、山椒や唐辛子で風味を付けて炭火で焼いた焼物。忌部村の近郊で取れた山菜の天ぷら。特に独活の芽、タラの芽、行者ニンニクは素晴らしい香りと味だった。そして芹を炊き込んだご飯。川魚の塩焼き。
「金剛殿、私は主に娶ってもらい、ここに住む事にする。」
「な、またあんたは!そんな事を言う!」
白は翡翠に向き合うと目を細めた。
「ほう、小娘。お前も主に嫁ぎたいと言うのか?」
「何だ、翡翠。それならそうと言えば良いのだぞ。儂の孫になれ。」
「ち、ちょっと金剛様。何を言うのですか!その私は良いけど…、耶咫の気持ちもあるし。それに私には侍人という役目があるから、すぐには難しいし…、ごにょごにょごにょごにょ…。」
「何じゃ、小娘。何言ってるかさっぱりわからん。なあ、主。小娘は放っておいて私を娶ってくれ。」
耶咫は白に迫られてタジタジしていた。そんな耶咫を翡翠は不満気に見た。
(ふん!煮え切らないんだから!)
翡翠は美味しいお酒と料理に酔っていたのだろう。耶咫の肩を掴むと自分の胸に抱え込んだ。
「白、耶咫はダメ!誰にも渡しません!」
この翡翠の行動に耶咫の顔がみるみる赤くなった。
「ちょっと翡翠…。」
金剛も面白がってけしかける。
「何じゃ翡翠。積極的だな。若いもんは良いなあ。」
翡翠は金剛の言葉に我に帰る。
「いや、違…。その、あの、えーと。そう!侍人として!耶咫の侍人として言ったの!」
翡翠の顔が赤かったのは酒の所為だけではあるまい。
「そうだよ。爺さんも白も。翡翠に悪いだろ。」
「いや、あの、全然悪くはな…い。」
小声で呟いた翡翠の言葉は耶咫には届かなかった。
「え?翡翠?何か言った?」
「いえ、何も…」
その様子を見て金剛はため息をついた。
(やれやれ、耶咫は朴念仁だな…。刀術よりも女子についてもっと教えるべきだったか…)
その雰囲気に耐えきれなくなった翡翠は側にあった酒の瓶を掴むと一気に煽った。
「ふう!耶咫!私はこれから大いに飲みます!金剛様も白も覚悟してください!」
翡翠に睨まれて金剛も白も大人しくせざるを得なかった。それほどに翡翠には迫力があった。
「は、はい。」
「耶咫!おつまみがたりません!」
その夜は遅くまで社には灯りがついていた。
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