9:過
「くっそ…開いてへんな…」
「居ないの?」
「あぁ。」
ガチャガチャとドアノブを捻ってみても開く気配はない。
鷹耶は諦めて手を下ろした。
「此処に居らんかったら…アイツの行きそうなとこなんて…」
言い掛けて、ふと鷹耶は思い出した。
『和樹、行くで』
そう言って、和樹の肩を抱いていた人物。
「堺さんか…!」
「堺さん?」
「俺らの事務所の先輩や。舞台終わってからアイツ様子おかしかった…」
ガラス玉のような和樹の瞳。
見下すような堺の視線。
手掛かりは他に思い当たらない。
鷹耶は携帯電話を取り出すと、アドレス帳の画面を開いた。
堺の名前を探し当て、通話ボタンを押す。
しかし、コール音がなるばかりで相手が出る気配はない。
「出ぇへん…」
「その人の家は?」
「知らん…けど、捜す!」
(勝手に俺から離れるなんて…絶対許さへんからな)
『カズ!何か鳴いた!』
夕焼けに染まる公園。
子犬を抱え上げて笑う鷹耶の姿。
『可愛いなぁ…』
『そうやね』
『カズも抱く?』
『俺はええよ』
たった一匹の子犬。
しかしその存在は和樹にとって脅威だった。
唯一の友人である鷹耶を奪いに来た悪魔のようにすら見えた。
(そうだ…だからあの日俺は…)
何時ものように鷹耶の家に遊びに行ったその日。
鷹耶の目を盗んで、子犬の首に繋がれた鎖を外した。
何処か遠くへ逃げてしまえば良い、そう思った。
『わんっ!』
なのに、その子犬は逃げなかった。
和樹の足元に近づき、警戒しながら匂いを嗅いでくる。
何とはなしに、その頭に手を伸ばし触れようとした時…
『った…!』
激しく唸りながら、子犬は和樹の手に噛み付いた。
牙が食い込み、血が流れる。
反射的に腕を振り上げると、小さな身体は容易く離れた。
『ヴゥ-』
そしてまた歯を剥き出し、和樹を威嚇する。
その姿に、和樹の脳内は血が引いたかの様に冷たくなった。
物置に立て掛けてあった箒。
それを握り、和樹は大きく振りかぶった。
其処からは余り覚えてない。
気がつけば、弱々しく鳴きながら蹲る『ソラ』が足元にいた。
後悔よりも、清々しさがあった。
鷹耶を勝ち取れたという事に、だ。
しかし、そんな清々しさも長くは続かなかった。
『カズ…』
『何…?』
『ソラが…』
『ソラが、どないしたん?』
大きな眼は見開かれ、驚きに揺れている。
手を伸ばせば、びくりとその肩は震えた。
『なんで…』
鷹耶の声は掠れ、唇も小さく震えている。
触れることすら許してくれない。
『だって…鷹耶が居らんくなりそうやったから…』
だから、ソラが消えれば。
また以前のように、鷹耶が自分を見てくれると和樹は思った。
だが、現実はどうだ。
怯え、恐れられ。
鷹耶との距離はますます離れるばかりだ。
『タカヤ…』
『寄るな…っ!お前なんか、絶交やっ!』
(ゼッコウ…?)
また、何かが頭の中に鳴り響く。
冷たく淀む意識が和樹を支配していく。
『俺は…好きやで…?鷹耶の事…』
『っ…!』
『大好きやねん…鷹耶の事…犬一匹に嫉妬するくらい…』
嫌がる鷹耶を抱き締める。
幼い頃から体格差があった為に、多少暴れた所でその腕から逃れる事は出来ない。
それでも鷹耶は和樹の腕から逃れようともがく。
『ぁ…』
不意に和樹の手が弛んだ。
後ろに倒れていく鷹耶の身体。
運悪く其処には、石段があった。
鈍い音が響く。
後頭部から血を流して意識を失う鷹耶。
『タカ、ヤ…』
呼吸が早くなっていく。
和樹の意識までもが、朦朧とし始めた。
『はっ…、はぁ…』
赤い。
苦しい。
痛い。
どうして。
和樹の意に反して、呼吸はどんどんと早くなっていく。
白み始めた視界の中で鷹耶の流す赤色だけが、はっきりと脳裏に焼き付いていた。
其処から先は覚えていない。
気が付いた時には、和樹は病院のベッドに居た。
親や医者に色々事情を聞かれたような記憶はある。
しかし、何も思い出せなかった。
それは鷹耶も同じだった様で。
思い出そうとすれば、和樹は過呼吸・鷹耶は頭痛を起こす。
だから自然とその事件については誰も触れることは無くなった。
何故、このタイミングで思い出したのかは解らない。
しかし一つはっきりしたのは。
(俺は、鷹耶の事が好きだった…?)
しかし今更それを自覚した所で、もう手遅れの様な気がした。
和樹は既に堺と関係を持ってしまったのだから。
例え鷹耶の事を好きだとしても、もうそれは言葉にすることは出来ない。
「…き、!」
「ぅ…」
「和樹!」
視界が急に明るくなる。
見えたのは、心配そうに眉を寄せた堺の顔。
「焦った…」
「すいません…」
「…俺のせいやな…」
堺の手が和樹の頬に添えられる。
その手は僅かに震えていた。
堺の言葉を否定も肯定もすることが出来ず、和樹はただ黙り込むしか無かった。




