5:熱
窓から見える空が陰った。
それに不安を覚えて、レイは窓から視線を逸らせた。
しかし、響いてきた声がそうはさせてくれなかった。
「無視するなんて随分だな、レイ…」
「…カイリ…!」
「これで…逃げ仰せたつもりか?」
バサリ、と羽ばたく音が響く。
白い羽根。
漆黒の髪が風を纏って揺れる。
絶望的な気持ちで、レイは空を見上げた。
「どう…して…?」
「羽根が残ってるからな…羽根からは天使の波動が発せられる…それを辿れば直ぐだったよ」
「…そん、な…」
愕然と膝をつくレイの顎をカイリの長い指が持ち上げる。
その表情を満足げに見つめた後、カイリは指を離した。
「捕らえにきたのか…?」
「いいや。そんなつもりは毛頭ないな。」「じゃあどうして…?」
掠れたレイの声が懇願するかのように響く。
カイリの手が翳されると、細長いレイピアが現れた。
「お前の羽根を狩りにきた…」
「な…」
「『堕ちる』とはそういう事だ。お前はもう天使に非ず…」
「カイリ…」
「命までは取らないから安心しろ」
レイの表情に僅かな安堵が混じる。
しかし、それを見てカイリは釘を刺すように冷たく言い放った。
「『堕ちる』という事はそんなに甘くない…」
「…」
「人間は汚いぞ…?俺たち以上にな。」
レイピアの刃がきらり、と光る。
やって来るだろう痛みに、レイはきつく目を閉じた。
「コーヒーでえぇか?」
「すんません…」
備え付けのコーヒーメーカーを立ち上げる。
暫くすると、コポコポという音と共に芳ばしい匂いが部屋に立ち込めた。
「で、どないしたん?鷹耶の事か?」
「え…」
「俺の妹も過呼吸にようなるねんけどな。なるんは大概何かしらショックな事があった時やねん。だからお前も、何かあったんかなって…」
堺の言葉に和樹は眼を伏せる。
まるでそれ以上聞かれる事を拒むかのような態度。
それに堺は妙な苛立ちを感じた。
「俺には言えんか…」
「堺さん…」
「お前は綺麗な顔しとるけど、人形みたいやな。もっと感情的になったらええねん。」
煙草を取り出し、火を灯す。
堺の動作を目で追いながら、和樹も同じように煙草を口にくわえた。
しかし、堺の長い指がそれを奪う。
「もうちょっと落ち着くまで、止めとけ」
「堺さんは、優しいっすね…」
「やろ?」
和樹は笑う堺を見上げた。
堺は和樹より背が高く体格も良い。
下がった目尻が人の良さを表していた。
白い歯を見せ笑うその姿は好青年そのものだ。
兄のような堺に、甘えてしまいたい気持ちに駆られる。
堺なら、この行き場の無い苦しみを救ってくれるような気がした。
思わず延ばした手が、堺の腕を掴む。
「和樹…?」
「俺…鷹耶の事殴ってもうて…俺は、鷹耶じゃないと…あかんのに…」
「……」
和樹の呼吸が徐々に早くなる。
それを感じ取った堺の腕が和樹を引き寄せた。
暖かい手が、背中をあやすように撫でる。
その暖かさが和樹の心を落ち着かせていった。
「…ゆっくりでええから…」
「鷹耶が…大切なだけやのに…全然、上手くいかん…」
「それが、辛いんやな?」
こくり、と和樹が頷く。
堺の目が優しく細められた。
「大丈夫…今は拗れてるかもしれんけど、きっと上手くいくって」
「堺さん…」
「それでも辛いなら、俺にしとき?」
堺が和樹の頬を撫でる。
誘われるかのように、和樹は顔を上げた。
堺の口角が笑みを形どった。
「そんな顔して…」
「え…?」
「めっちゃキスしたなるわ。」
悪戯っぽく笑う堺。
冗談と受け取った和樹は苦笑いを返す。
「俺、男っすよ?」
「…和樹は、綺麗やで…」
「冗談は…」
「冗談ちゃうよ。俺、和樹ならいけるし。」
顎を持ち上げられ、堺の顔が近づいてくる。
和樹はそれをまるで他人事のようにただ見つめていた。
あと数センチで唇が触れ合う距離。
堺が口を開いた。
「避けぇや…ほんまにしてまうで?」
「堺さんは…優しいから…」
「そんな事せぇへん…?」
堺が笑みを引っ込めた。
真剣な眼差しに胸が痛くなる。
「お前、俺を買い被りすぎちゃう?」
「堺、さん…?」
「好きな奴前にして我慢出来る程、俺は出来た人間ちゃうよ?」
顎を掴む手が離れる。
それと同時に堺の手が和樹の後頭部を押さえ、噛み付くように口付けられた。
「!?」
驚きに見開かれた目。
反射的に和樹は腕を突っぱねて、堺を押し退けた。
抗うわけでもなく、堺の手はするりと和樹から離れた。
「何で…」
「まだ言わすか?」
熱を持った目が和樹の動きを止める。
駄目押しのように繰り返され、その事実を認めざるを得なかった。




