1:堕
背中が灼けるように痛い。
皮膚に爛れた烙印。
手首には鈍く光る銀色。
見上げた空が、蒼く澄んでいて余計に虚無感を覚えた。
『では、これから第1903番天使レイの処分を行う。』
せめて、もっと空が暗く淀んでいてくれたなら。
そしたら気持ちが少しは楽になるのに。
『言いたい事は?』
『…黒は…許されない事ですか…?』
『存在そのものが悪。』
納得がいったわけではない。
寧ろ、疑心は益々強くなっていく。
両脇に立つ天使はレイの翼を両側から引いた。
そして振りかざされる剣が太陽の光を反射してきらりと光った。
『切れ!』
その時、剣を振り上げた反動で右側の天使が羽を掴む握力が僅かに緩んだ。
ほんの一瞬。
しかしまたとない好機。
レイは漆黒の羽を大きく羽ばたかせた。
左側の天使はそれに構わずレイの羽を切り落としたが、右側はするりと拘束が解けた。
激痛が走る。
しかしそのまま残った羽を大きく動かして飛び立った。
雲の最果てを目指して。
(俺の運命は既に決まっていた…?)
白い雲の切れ目が見える。
(まだ…足掻きたい…!)
追っ手の天使が迫ってくる。
五月雨の様に降り注ぐ矢がレイの翼を、身体を貫く。
残った翼を打ち抜かれバランスが大きく崩れた。
『堕ちるぞ!』
『間に合わん…!』
急に浮遊感が襲う。
白い雲に飲み込まれ、レイの意識は其処で途絶えた。
「おい、鷹耶!」
「なんやねん…」
「なんやねんちゃうわ…昨日何で先帰ってん!」
「俺が帰んのに一々お前の許可取らなあかんのか?」
「そんなんやなくて…急に居らんくなったら心配するやろが。」
金髪の鷹耶と呼ばれた青年が振り返る。
咥えた煙草を靴の裏で揉み消してから、追いかけてきた長身を睨み付けた。
10センチ以上、上にある視線はそれだけで鷹耶を苛立たせる。
「俺、もう23やぞ?何で同い年のお前にそんな事言われなあかんねん!」
「…鷹耶…」
「っ!…もうええやろ!付いてくんなや!?」
「ちょ…!」
バタン、と大きな音を鳴らしてドアが閉まる。
長身の男は追いかけようと伸ばした手を静かに下ろした。
「あーあー、また喧嘩してんのかいな。」
「すんません…」
「もう解散したら?和樹かて鷹耶の御守りはしんどいやろ?」
「……」
和樹、と呼ばれた男はその言葉に目を伏せた。
長い睫が揺れて、目元に影を落とす。
整った顔立ちの彼はそれだけで絵になるのだ。
「すんません…俺らの問題なんで…」
「ぁ…おい!」
一礼すると、和樹は後を追うように楽屋を後にした。
追いかけながら和樹は考えていた。
和樹と鷹耶は小学校からの同級生で、ずっと一緒に過ごしてきた。
我が侭なところはあるが、明るく活発な鷹耶。
大人しく、余り目立つタイプではないが穏やかで優しい和樹。
正反対である2人は何時しか惹かれあい、行動を共にすることが多くなった。
高校卒業と同時に、鷹耶が和樹へと持ち掛けた進路は『お笑い芸人』。
それはテレビ番組に影響された鷹耶が半ば勢いで決めたものだった。
別段、和樹はお笑い芸人になりたいわけではなかった。
ただ、鷹耶の誘いに乗ればただその隣に居る事が可能だと思ったから。
その一心だけで和樹はこの道を選んだ。
初めは良かった。
友達の延長でお互いが存在していたうちは。
しかしそれが仕事の同僚へと変わる切り替えが上手くいかず2人は徐々にすれ違い始めた。
今ではこのような喧嘩が日常茶飯事になりつつある。
周りの先輩や後輩はそんな2人の様子を見て、『解散した方が良い』と煽ってくる。
お互い個々に才能が有る為、解散すれば『あわよくば』と思う輩が居るためだ。
中には本当に2人を心配してくれている人間が居ることも解っている。
それでも『解散』という言葉を耳にするだけで和樹の胸はざわついてそれを素直に聞き入れられなくなる。
一刻もその心を落ち着かせたくて、小さな背中を必死に探す。
そして、用具室へと通じる非常階段の扉を開いたとき…
「鷹耶…」
「…」
漸く一階下の非常階段の踊り場でその背中を見つけ声を掛ける。
しかし鷹耶は微動だにしない。
「鷹耶!」
「!ぁ…和、樹…」
少し大きめに名を呼ぶと、鷹耶は小さく肩を震わせ振り返った。
その瞳は驚きに見開かれている。
「どないした…」
言いながら和樹は階段を降りる。
数段降りた時、鷹耶の足元に蹲る黒い塊に気がつき息を呑んだ。
「なんなん…?これ…」
「知らんわ!俺が聞きたいくらいや!」
それは人のようだが人ではなかった。
右側だけであるが、背中からは大きな漆黒の羽が生えていたから。
コントや芝居で使うようなものではなく、明らかにそれは肩甲骨から伸びている。
そして左の肩甲骨は根元から切り取られた羽の痕。
何より、全身には何かで貫かれたような傷があり其処から血がゆるゆると流れ出ていた。
「生きとるんか…?」
「わからん…」
立ち竦む鷹耶を押し退け、和樹はその口元へ耳を近づける。
微かだが弱々しい呼吸音が聞き取れた。
「生きとるみたいやな…放っとくわけには…いかんよなぁ…」
「俺、車回してくるわ!」
「じゃあ俺、駐車場まで運ぶわ。」
「おう!」
駆け足で階段を下りていく背中を見送って、和樹はそれを抱え上げた。
見たことも無い生物。
しかしこのまま放置するわけにはいかない。
何となく昔2人で犬を拾ったことを思い出しながら、和樹はゆっくりと非常階段を下っていった。




