同居人
大学生となりいよいよ念願の一人暮らしをすることとなった智恵子。
六畳のワンルームではあるが初めて持った自分の城に気分は上々。
家具も揃えてとびきりオシャレな女子部屋を作ってやろうと考えていた。
ところが…
「ぎゃああああああ!!!」
…と獣のような叫び声を上げる智恵子。
そこには「ヤツ」がいた。そう。黒光りする人類の永遠の天敵の昆虫である。
「よりにもよって初日に!!!」
絶望の声を上げる智恵子。即駆除を考えるが殺虫剤など買っていない。
かといって接近戦は怖すぎて無理だ。
どうするどうするどうする。
そんなことを考えてるうちに見失った。もう一生出て来ないでほしい。
そう願ったが…甘かった。
「うぎゃーーーー!!!」
大学から帰宅し、部屋の電気を点けたら、スイッチのすぐ近くに居たのだ。
慌てて買っておいた殺虫剤を片手に現場に戻ると既に逃亡した後であった。
こいつは想像以上に厄介だ。神出鬼没で逃げ足も速い。
正直家に帰って電気を点ける瞬間が怖い。
智恵子とGの戦いの日々は春を過ぎ、夏と秋を経て冬は休戦と長きに渡っていった。
長く戦っていれば友情も芽生えるか…と思えばそんなはずはない。
奴らはひたすらにキモいのだ。そもそも長く一緒にいるだけで友情が芽生えるなら世界に争いごとなど生まれないのである。
昼寝をしていたら脚を這われたこともあった。
自分はあんな声が出せるのかと思うような悲鳴を上げもした。
私の安息の日はヤツの駆除なしには成立しないのだ…。絶対に、絶対にぶちのめしてくれる。
そして気づけばまた虫の活発になる季節の夏になった。
その日は少し部屋の空気が違った。
しかしそんな微妙な空気を智恵子は感じ取ることが出来なかった。
またアレがいるのではとビクビクしながら帰宅後、薄暗い部屋の電気を点けようとしたその時…。
「動くな」
野太い声がした。知らない男の声だ。何が起こったのか分からなかった。
次の瞬間智恵子は腕を捕まれ床に無理矢理倒されてしまった。
脳がその状況を理解するまで多少時間が掛かったが、その瞬間に想像を絶する恐怖が湧き上がり全身を駆け巡る。
(殺される!!)
あまりの恐ろしさに悲鳴を上げようにも喉から出るのは掠れた空気だけだった。
ネットではよく聞く一人暮らしの女性を狙う強盗…まさかそんなものが自分の前に現れるなんて。
あっという間にTシャツを剥ぎ取られる智恵子。肌着を奪われまいと抵抗するも強い力で突破されるのは時間の問題だった。
悔しさと死への恐怖にただ涙を流しながら身を丸めて固くしていることしか出来なかった。
(なんで……なんでわたしがこんな……)
思い浮かぶのは優しい父と母の姿。助けなんて来ない。もうどうしようも出来ない。智恵子は全てを諦めかけた。
…次の瞬間。
「ウワーーー!!!」
男が大声を上げて智恵子の身体から離れた。
何事かと思い振り向くと、なんと顔に「アレ」がへばり付いている。
今まで自分の前には1匹しか現れなかったが、巣を作っていたのか襲いかかるそれは集団で男の全身を這い回っていた。
「なんだクソっ!クソッ!!」
男は完全に取り乱し両手を振り回す。智恵子のことなど忘れたように床を転げ回り、必死で「奴ら」を振り払おうとする。。
その隙を逃すまいと智恵子は全速力で外に出て大声で叫んだ。
「たすけてええええ!!!!」
何事かと出てきたマンションの住人に男は取り押さえられ、警察に現行犯逮捕された。
智恵子は余りの恐怖にただひたすらに泣き倒し、しばらく実家に戻らざるをえなかった。
その後どうしても思い出してしまうということで、あの家から引っ越すことを智恵子は決めたのだった。
そうでなくても、父も母もこのまま智恵子を一人暮らしさせることを許してはくれなかっただろう。
なんにしても心に大きな傷を負いつつも、Tシャツが一枚ダメにはなったが身体には何の被害もなく智恵子は難を逃れたのだった。
退去日。
せっかくの一人暮らしがこんな結果に終わってしまうなんてただただ無念だった。
たった1年と3ヶ月だけの私の城。これから友達も呼んで、もしかしたら素敵な彼氏に出会っておうちデートとかして…なんて考えていたのに。
でもあの時「あいつら」は…私を助けてくれたんだろうか?
…いやまさか。そんな感情なんてあるわけない。
だけど私は結果的に助けてもらったのだ。命の恩人だ。
ってもやっぱり好きにはなれないし、生理的嫌悪感はこれからも変わることはないけれど。
もうなにもない部屋で、あの戦いの日々を思い出す。
(あんたらが居るって考えるだけでホント不快だったし、落ち着かなかったし、出たら死ぬかと思ったし、散々な目に遭わされたけど……助けてくれてありがとう。きっとこれからお前ら、いろんな人間に殺意向けられると思うけど…生き伸びろよな)
「もう行くか」
最後に部屋を出ようと玄関で靴を履き、部屋の中を振り返ると、真ん中に一匹の黒い虫がいた。
こころなしかこちらを見ているようにも思える。
(…お別れ言いに来たのかな)
智恵子は苦笑しながらその奇妙な同居人に会釈し、そっとかつての自分の城の扉を閉めたのだった。
終