転呼者と復讐者 6
(すまんッ! いつかふたたび巡り合えた時、いくらでも詫びようッ!)
動力の大師とその弟子との身体を土台にして、明良は跳び上がった。
上った先、割れた窓越しに感じる気配。
戸惑っているような、少女の息遣い。
今は誰もいない、去来大師の執務室に訪れて来たのは、「智集手」受付員、リ・ミンミであった。
(ミンミ! お前の心配りとラ行大神の計らいが、絶好の機を俺にくれたッ!)
「放てッ! そして、すぐにこの場を去れッ!」
「えぇ?」と語尾を伸ばし、窓外の少年の叫びに戸惑いながらも、室の戸口際、ラ行の波導術者はそのか細い腕を掲げ上げる――。
「……ラ行・明光」
ミンミの詠唱で、彼女の手のひらがチカリと瞬く。
それは小さな光であったが、鮮やかな光であった。
そして――。
(「幾旅金」ッ! ミンミの光をシアラに、希畔中のやつらに、示してやれぇッ!!)
瞑目しながらも、明良は感じ得た。
掲げ上げた「幾旅金」が、彼の想いに応えるように鳴動していることを。
ミンミの「明光」を受けた「幾旅金」が、その魔名術の光を増幅させ、放ったことを。
「なっ?!」
足元で、シアラ大師が当惑の声を上げている。
明良の「光明」は今、完成した。
この機を逃すまい、と明良は刮目する。
「シアラァァぁあァッ!!」
残光放つ「幾旅金」を握り直し、「智集館」の壁を蹴り、明良は真っ直ぐに跳ぶ。波導の残光で浮かび上がる、白外套衣に目掛けて。
赤毛のシアラは、眩むばかりの光量に視界を失い、明良の姿を捉えきれていない――。
「……ッ!!」
大師が咄嗟に形成したのは、「氷の盾」でも「石動の盾」でもなく、黒々とした歪であった。元来の自身の魔名、「去来」として培い親しんできた、「何処か」の深淵であった。
それを、相手が飛び来る方向も判然としないまま、自分の周囲に展開していた。
だが、明良の「幾旅金」は、もうすでに「何処か」を凌駕している――。
「幾旅の裁ッ!!」
「があぁぁっッ?!」
大師の悶絶の叫びとともに、夜空に舞い上がったモノ。
それは――手首であった。
去来大師の、白んだ左の手であった。
その浮き上がりが頂点に達すると同時に、黒髪の少年が中庭に着地する。
「……シアラッ! これで、『五十音を総べる』などとは、ほざけなくなったッ!!」
「……が、ぐ、があッ……」
平手は、魔名術の要である。
それを失うということは、魔名術を失うということである。
片手で発せられる魔名術も数多いが、高位の魔名術になるほど、両の手のひらが必要になってくる。
「ヤ行他奮」の「治癒力強化」では補えない、手首の切断。
それはすなわち、魔名術者としての高みを断たれたに等しい。
いくら魔名を奪おうが、高位の魔名術を放つことは、彼にはもう適わない。
「魔名の返上にはまだ早いッ! 俺には、貴様に引き会わせて、その、縦傷の入った頬に……」
少年は、足を引く。
白刃を構える。
そして、狼狽え悶えるホ・シアラに、ふたたび跳び掛かった。
「平手を張らせたいヤツがいるんだぁッ!!」
明良が狙うは、大師の右手。
「十行大師」、ホ・シアラの、完全な、魔名術の断絶であった。
だが、その狙いの先は――。
「なッ?!」
赤色の頭髪に、瞬時にしてすり替わった。
明良と、大師の右手とを遮るようにして、大師の頭部が現れ出でたのだ。
「クッ?!」
黒髪の少年は突撃の勢いを殺した。
首のない身体と、それを護るようにして浮かぶ、頭。
首元で「何処か」を介している影響であろうか、長かった髪はうなじあたりでバッサリと切られ、赤く、ゆらりと振れる様が、どこか鬼気とした感を与える。
尋常ならざるその絵図に、明良は踏みとどまっていた。
そのまま刀を振り切れば、まず間違いなく、シアラの生命を断っているところであった。
(なぜ……俺は止まったんだッ?!)
その躊躇の間に、ギロリと、大師の生首が顔を向ける。
眩みと痛みと怒りとに満ちた、複雑怪奇の面相だった。
しかし――。
「私の覚悟は、アキラさんの覚悟に及ばなかったようです」
その一言と、ふっと小さく、哀しく自嘲するような笑みを残して、大師の頭と身体とは、消えてなくなった。
「ッ?! シアラぁッ!!」
「……出直して、ギアガンさんを見習えと、あなたはそう言いましたね」
声だけはする。
明良は周囲に目を配る。耳を澄ます。鼻を鳴らす。
だが、掴めない。
大師の居場所を、気取れない。
ただ、澄んだ声音だけが、散々な有様の庭に響く。
「私はハッキリと自覚しました。『反り』などと侮ってはいけなかった。『転呼者』などと驕っていてはいけなかった。私はただ、居坂に生きる『ホ・シアラ』として、一個の輩として、あなたに対するべきだった」
「ふざけろッ!! 姿を晦まし、また魔名奪いの暴虐に走るつもりかッ!!」
「……それはもう、不可能になりました。素晴らしいあなたの一閃の、目論見どおりですよ……」
悲哀甚だしい声音に、明良は悟る。
「ワ行劫奪」での「魔名奪い」には、両の手が必要だったのだ、と。
だが――。
「それが贖罪になると思うなよ! 姿を見せろォッ!」
「私の旅路は、まだ終わらせない。私の目的は、『転呼』を拠り所とはしていない。『ホ・シアラ』の物語が続く限り、掲げるべきものです……。出直します」
「出てこいッ! 貴様ぁあぁぁァッ!!」
「私のたったひとりの『反り』、アキラさん。いずれまた、お会いしましょう……」
「……シアラァッ!!」
智が集まる教区館、「智集館」。
その石造りの壁に囲われた、中庭庭園。
地がめくれ、木々が裂け、花が無残の、広大な園。
月光差し、ふたつの骸が伏せる、暗色の庭。
その中でひとり、少年は、見下ろしている少女の憂い顔にも気づかず、跪き、ただただ慟哭に臥せった。




