転呼者と復讐者 3
立ち上がろうと力を込めれば、為せそうであった。
振り払おうと奮起すれば、解けそうであった。
だが、彼らの身体は、無事でいてくれるだろうか。血の通っていない四肢は、これ以上壊れないでいてくれるだろうか。
過ぎってしまう考えに、明良が出来ることは、奥歯を強く噛み締めるのみ――。
「この……外道がッ! 貴様は『混沌』よりも劣悪極まるッ!!」
「……そう。その『混沌』ですよ」
シアラ大師が、歩み寄っていく。
少年は憤怒を充満させた瞳で、その長躯を睨み上げた。
「私に必要なのは、『反り』でした」
「『反り』だと……?!」
「……『物語』を盛り上げる要素は、『英雄』を高める要素は、アキラさん、一体、何だと思いますか?」
大師は眼鏡を外すと、取り出した拭き布で硝子を磨きはじめる。
土埃に汗、頬から噴いた自らの血糊にと、半刻にも満たないこの間で、眼鏡の汚れはひどいものになっていた。
「……その要素とは、『対となる存在』、『敵対するもの』です」
「貴様の講釈など、聴きたくもないッ!」
「……『英雄譚』に強大なアヤカムが登場するように、『魔名教典』に神々と敵対する『混沌』があるように、『反り』があるからこそ、『物語』はヒトの心髄を掴む……」
転呼の大師は、拭き終えた眼鏡をかけ直す。
明良をふたたびに見下ろす鏡面越しの瞳は、冴え冴えとしていた。
「私は、『ワ行劫奪』を得てから、私の『物語』の『反り』の必要性を、強く感じ始めました……」
ふっと、口角を上げる赤髪の大師。
「『劫奪』は強力無比な魔名です。私の旅路に、私の目的に、強く光が差したものです。ですが、それによって作られる影に、私は怯えたものです。『うまく、行き過ぎていやしないか』、と……」
「なんのことを……言っているんだ、貴様は……」
「あなたのことですよ、アキラさん」
大師が向ける指先に、明良は激しい嫌悪を抱く。
「……順風満帆な船は、いずれ来る嵐にあっさりと呑まれる。それをすでに知っていた私は、自らの『反り』を用意する試みをしました。自戒し、自覚するように、自ら『敵』を作りました。それがアキラさん、あなたなんですよ」
「俺が……貴様に用意された……?」
「『劫奪』には、短所と弊害があります。魔名と同時に、相手の記憶も奪ってしまうこと。さまざまに手順が必要なこと。奪った時点の魔名からは「段上げ」ができないこと。私の――『転呼』の存在を知られてしまう可能性」
大師は呆れるように、肩をすくめてみせる。
「おおっぴらに魔名を奪えば、記憶を失った者を生み、私自身の秘密と存在の露呈も危ぶまれる。しかし、全ての魔名を網羅するには、数十人に『劫奪』を仕掛けねばならない。ですから、各地を渡り歩く「名づけ師」のひとりを引き込み、旅人やごく小さな人里――騒ぎになり辛い者に目星をつけるようになりました。常々、『反り』のことを考えながら、魔名を奪い、葬って……」
明良は唖然として悟った。
自らの中の、風雪の記憶。
視界の奥、洞蜥蜴の巨大な影の傍、ふたつある人影。
それは、「劫奪者」と「使役者」でなく、今、目の前で嗤う「転呼者」と、「名づけ師」の物だったのだ、と。
「……あれは何年前でしょうか。ひとりの少年の魔名を奪う目的で、私たちは十数人ほどの小さな集落を壊滅させました。魔名を奪う間際、私はその少年の瞳が、綺麗な青灰色であることに気が付きました。そのとき、私は思ったのです。『よし。私の「反り」は、瞳の綺麗なこの子にしよう』……」
「……そ、そんなふざけた理由……」
明良の拳は、怒りのあまり大きく震えだした。
「少年には神代遺物と、私の許に辿り着く手がかりを与え、野に放ちました。そして、その小さな実は結んだのです。ホラ、復讐心ひとつで私の高みに肉薄した少年が、今、まさにここに……」
「……ふざけろッ! 貴様の身勝手で、いくつの村を、ヒトを……、クシャをッ!」
土の地面に自らの拳を強かに打ちつける明良に、大師はふぅ、とため息を吐くと、かぶりを振った。
「……クシャは、私の目的とは違います。上からの命を遂げただけです」
「……上?」




