角猪のアヤカムと水溜まり 4
「この麦畑の持ち主は誰だったかな……。こんなに焼野原にしちまって悪いコトになった……」
「こんなに近郊だからどうせ、農畜の組合の持ち畑でしょ」
「そこ、まだ生きてる」と同僚に指摘されて、守衛手のひとりはわずかに動く角猪に槍を突き立てた。
「ギ」、と軋むような断末魔で、アヤカムは息絶える。
「……町から補償も出るだろうし、名誉なことだし、今夜は『豚の丸焼きの振る舞い』の主催になって名声が上がるしで、麦畑の犠牲は上回るんじゃないの?」
希畔の町の守り手たちは、角猪の大群襲来を乗り切った。
いくらか負傷した者もいるが、「他奮」の施しにより痕もなく傷口が塞がるものばかり。被害は麦畑以外、皆無といってよい。
だが、角猪とは、元々が体力のあるアヤカムである。肢を挫かれ、身を焼かれても、まだ生きている個体も多かった。
守衛手と明良は、その始末をつける残務にあたっている。
「フンッ!」
全身を赤く爛れさせ、わずかに残る体毛を黒く縮れさせ、それでもまだ、肢を引きずるようにしてゆっくりと身を進めていた角猪に最期をくれてやると、明良は周囲を見渡した。
(もう動けるようなアヤカムはいないな。あとは、大丈夫だろう……)
黒髪の少年は守衛手の長のもとに歩み寄る。
明良の接近に気が付いて精悍な顔を向けると、守衛手の長は表情を緩ませた。
「少年。見事な手並みだったな。見ない顔だが、『武芸学』の学徒か?」
「……いいや、違う」
「武芸学」とは、刀剣、槍、弓、盾……、さまざまな武器とその取扱いについて学ぶ学問である。だが、この学問はさほど重要視されておらず、大規模都市、希畔の町でさえ二件ほどの小規模な「武芸学館」が在るのみ。「趣味の域」といってよい。
それよりは、魔名術の方が生活を営むことに直結するし、いざというときの自衛手段にもなるため、時間を費やすのであれば、「魔名術の段上げ」に精を出す方がよいとされるのが居坂の通念であった。
「……俺はコイツらの元を辿る」
「元?」
「角猪はどこから来たのか? その元だ。周囲には俺たち以外の際立った気配は感じられない。この角猪たちが来た道を遡れば、アヤカムの襲撃を操っていたヤツか、その痕跡が見つかるかもしれん」
「『タ行使役』か……?」
明良は頷く。
(単純な「使役」内容とはいえ、この量だ。単独犯であれば、ソイツは「タ行」の高段であることは間違いない。そして、そいつが「使役者」の可能性も高い……。やり口が、「洞蜥蜴」のときと似ている)
「お前たち、守衛手もこれから調査するのだろう? 一応、先に言っておこうと思ってこうして告げている」
「……ふむ。角猪の襲来元を辿るのは構わないが、その言葉遣い、どうにかならないものか? せっかくの大活躍に、印象が悪いぞ」
「……しょうがない。これは病気みたいなモノだ」
角猪たちが押し寄せてきた林の方へと身体を向けた明良に、守衛手の長が「ちょっと待て」と声をかける。
明良が振り向いたところにちょうど、何かが飛んできたので、彼はそれを片手で掴み取った。
手を開いたなかには、金属の小物。
「これは……?」
「守衛手の笛だ。俺たちもあとで追うが、なにかあったらそれを吹いて報せろ。長く吹けば、『集合しろ』という意味の警笛だ。すぐに駆けつけよう」
「助かる」
「……助かったのはこっちの方さ」
守衛手の長と頷き合ったあと、明良は林に向かって駆け出した。
(昨日の明け方までの雨の影響か、まだぬかるんでいるところも多いな……)
角猪の群れが通った跡を遡るのは、容易だった。
ぬかるみの中の夥しい足跡。林の中の草葉や枝のがなぎ倒されている様。アヤカムの行軍の巨大さと激烈さが色濃く残っていたからだ。
(使役するにしても、あれほどの数の野生のアヤカムを術にかけていくこと自体、時間がかかりそうなものだな……)
半刻ほど深い林を駆け抜けると、明良は不自然に開けた場所に出た。まるで、林の中に人の手で造られたような広場である。数本の木は点在するものの、ほとんど草の茂りだけで、頭上も広い。
そして、明良は気が付いた――。
「この、草を踏み荒らした蹄の数の多さ、辺りに漂う糞尿の臭い……。あの群れは、ここをただ通り過ぎたわけじゃないな……」
明良は屈んで地面を眺める。
角猪の足跡はいくつも重なって、広場の大部分の地面に刻まれているようだった。
「この場に、しばらく留まっていたか? それに……」
明良は広場の外周にあたる部分に歩を進める。
角猪の足跡を縁どるように、地面に水溜まりがあるのだ。
一足跳びでなんとか飛び越せるといった幅の水面、それが大きな輪のようになって、ぐるりと広場を囲っている。
「水溜まりの内と外では角猪の足跡がまったく違ってくる……。まるで、アヤカムどもは、水溜まりによって、この場に閉じ込められていたかのような……」
そこで、明良はハッとした。
自身の呟きを反芻して、先日の、動力大師とその弟子の来訪時の光景を思い出したのだ。
土の盾と、その横に並びたつ氷の盾――。
「……アイツか?! あの女が、氷の壁で角猪の群れを囲った? この水溜まりは、氷の壁が溶けた跡か!」
思い至った直後、明良は駆け出す。
今、来た道を引き返すのだ。
「……ヤツがどういう訳で角猪を囲ったのかは知らんが、まず間違いなく、この件には動力の大師が絡んでるッ!」
明良は駆けた。
目的地は、現在の場所から希畔の町を跨いで向こう側、動力の大師がしばらく滞在すると宣言していた、「小さな洞穴」――。
「……居場所が謀りでなければいいがな……」
明良は思い浮かべる。
動力大師、コ・ギアガンの、髭面の巨体。
総髪の弟子、コ・ヒミの、冷ややかでありながらも美しい面相。
ふたりとのふたたびの敵対の可能性を、明良は覚悟した。




