名を誇るネコと魔名について 2
少女は地面に「ヒミカメ」と書きつけた。「ヒ」と「ミカメ」とでは少し間隔が空けられている。
「この名前は、今日出会えた親切な人の『魔名』。こっちの『ヒ』は『属性名』で、『ミカメ』は『個人名』。呼び掛けるときなんかはこの『個人名』を使うの」
「ふうん……。苗字と名前みたいなモノね……」
「『五十音』って判る?」
クミに聞きながら、「ア」、「カ」、「サ」、「タ」、「ナ」、「ハ」、「マ」、「ヤ」、「ラ」、「ワ」と少女は地面に文字を書きつけた。
「判るけど……」
「けど?」
「完璧にカタカナね……」
「そう。カタカナよ。判るなら話は早い。『属性名』の方は『どんな魔名術が使えるのか』表しているの」
「『魔名術』ってのは、さっきの男たちが炎出したり、植物を操ったりしていた、魔法みたいなものね?」
「『マホウ』がよく判らないけど、そうよ。そういった力が『魔名術』。『ミカメ』さんで言えば……」
少女は「ハ」の下に「去来」と書く。
「ハ行の『属性名』である『ヒ』を持つ『ミカメ』さんは、『去来』の『魔名術』を使うわ。私と会った時も、その『魔名術』で収穫した農作物を『収納』していた」
続けて少女は、「カ」の下に「動力」、「サ」の下に「自奮」、「タ」の下に「使役」と付記する。
「さっきの男たちは、ひとりひとり、『カ』、『サ』、『タ』の魔名術者だったはずよ」
「あいつら、『カギョウ!』とか『タギョウ!』とか叫んでたわね」
「うん。それが、魔名術の『詠唱』。『カ行動力』は物を温めたり、冷たくしたり、飛ばしたり、さっきみたいに炎を出したり、結構いろいろなことができる『魔名術』」
クミは手から炎を出した男の姿を思い出す。
「『サ行自奮』は自分の身体や精神を強化できる『魔名術』」
「サギョウ!」と詠唱の直後、筋肉が盛り上がった男の姿を思い出す。
「『タ行使役』は動物や植物を操る『魔名術』」
うねうねと、意志が通っているように自分を閉じ込めた植物の根を、クミは身震いしながら思い出した。
「『ヒ・ミカメ』さんの『去来』は『何処か』に物体を出し入れできる『魔名術』よ」
「はあ……。ゲームのトリセツ読んでるみたいだわ。なかなか面白いわね……」
クミの口からよく判らない単語が出てきて、少女はまたも首を傾げた。
一方、五十音の「亜段」を眺めていたクミは、「もしかすると」と呟くと、少女の顔を振り仰いだ。
「イの段、ウの段……、って『魔名術』の威力が上がっていくカンジ?」
「そう」
少女は手を合わせる。
「『属性名』は、そのヒトの『魔名術』がどの段階にあるのかも示してるのよ。『ヒ・ミカメ』さんは、『去来』の『魔名術』を『居段』の段階まで使えるといった具合」
「なるほど。『レベル』みたいなものか」
クミは左右で違う色の瞳に同じ、訝しむような気色を乗せて、少女を見上げた。
「こんな魔法――「魔名術」か。全部習得した者と、そうでない者、格差が激しそうね……」
少女はクミの慄くような顔に、小さく首を振った。
「全部は身に付けられないはずよ。『魔名』はひとりにつき、一種の『属性名』しか与えられないわ」
「与えられる?」
咎められているような気になった少女は、瞬きをする。
「誰が名前を与えるというの?」
クミの強い言葉を受け、少女は無言で地面の「亜段」の空いている箇所を埋めていく。
「ア」「附名」。
「カ」「動力」。
「サ」「自奮」。
「タ」「使役」。
「ナ」「識者」。
「ハ」「去来」。
「マ」「幻燈」。
「ヤ」「他奮」。
「ラ」「波導」。
「ワ」「劫奪」。
書き終えると、少女は木の枝で「附名」を指し示した。
「『魔名』を与えられるのも、『段』を上げられるのも、この『ア行』の『附名』の魔名術者だけ。特に『名づけ』は、『王段』までの熟練が必要で、『オ様』や『名づけ師』なんて呼ばれるヒトたちにしかできない。勝手に名乗っても『魔名術』を扱えるようにはならないし、下手をすると『魔名教』に断罪されるわ」
「断罪って……」
「『オ様』からまだ名付けられていない私は、『未名』……。『まだ名前がない』っていう、魔名教から見ればひとくくりのうちのひとり……」
声を落とす少女の様子に、クミは「ふぅ」と吐息を漏らす。
そうして、その小さな前肢で挟むようにして木の枝を持ち上げた。
少女が何事かと見守る中、クミが地面に何をかを書きつけていく。
「ネコの手ってのは、不便極まりないわね……」
体裁の悪い字形で地面に書かれたのは、「美名」の文字だった。
「『漢字』は通じるよね? 読める?」
「ビ、ナ?」
クミはフルフルと首を振って、「ミナ」と言う。
「自分で名乗りを上げられないというなら、私がアナタを名付けてあげるわ。アナタは今日からミナよ」
「クミが、私の名前を……?」
「そう。 美しい名と書いて、『美名』」
クミは得意気に頷いた。
「この世に生まれて、初めに贈られるものが名前よ。『オ様』の順番待ちだか何だか知らないけど、そのプレゼントは、先送りにされていいものなんかじゃ、ゼッタイにない。ひとくくりにされていいものじゃない。『魔名教』だとか、『断罪』なんかが怖いなら、そんなことに囚われない余所者のこの私が、今この場でアナタに名を贈ってあげる」
「クミが……、私に『名づけ』てくれるの?」
「そうよ。どう? 気に入ってくれた?」
「美名……」
少女は呟く。
その音は「未名」と同じ――ひとくくりにされて、見下げられる、少女が嫌っていた響きだった。
だが、この不思議な生き物、クミが授けてくれた「美名」という字がもつ音は、これまでの「ミナ」とは違ったように少女の胸に響く。
(私の名前は、美名……)
「なにより名前がないと、美名を呼ぶのに私が苦労しそうだからね」
頬に涙を伝わらせて「美名」の文字を見つめる少女に、照れを隠してでもいるかのようにクミは付け加えた。