装いが変わった少年と智が集まる館
しとしとと雨が打つ中、木立に隠れるようにして在る荒ら家から出てきた者がある。
黒髪短髪、青灰色の瞳の少年。
切れ長の目を梢越しの雨雲に向けると、その少年はため息を吐いた。
(この家から出ていくのは、アレで最後のつもりだったんだがな……)
明良である。
彼は、雨除けとしてはまったく用をなしていない軒先の下、立てかけてある傘を取ると、それを拡げつつ雨中に歩を進め始めた。
彼の粗末な居は、「希畔」という町に近い森の中に構えられている。
山々に囲まれた盆地にある希畔の町は、古来より東西南北の街道が交わるところであり、加えて、本総大陸最大にして魔名教会の主都、「福城」に続く街道の起点をも持つ。
それがため、各地を行き来する人々が集まり、その人々を相手とした商売が生まれ、各地の文化が集積する――そういう発展を今なお続けている町であった。
自然、希畔の町はこの辺り一帯でも最大の都市であり、教区館が置かれて久しい。
そして、「ハ行去来」の「十行大師」が館長を務めるこの教区館には他にはない特色があり、「智集館」という別称でも親しまれていた。
明良はこの「智集館」に向かうため、この地に帰り着いて息吐く間も取らずに、家を出たわけなのだった。
「ようこそいらっしゃいました。輩のお方……、って少年か」
受付台の奥、若年の女性魔名教会員は、来訪者歓迎の通り文句をかけた相手の姿を認めると、取り澄ましていた面を破顔させた。
「久しぶりだね。三週ぶりくらいじゃない?」
「……こと細かく覚えてるわけがないだろう」
「相変わらず陰気だね~。今日のお天気みたい。ホラ、コレ使いなよ」
そう言うと、女性受付員は明良に手拭いを差し出してくれる。
明良は「助かる」と応えると、受け取った手拭いで濡れた黒髪を拭き始めた。
ここは、「智集館」の入り口のひとつ。
希畔の町の教区館の入り口は、大別して三つが設けられている。
ひとつ、魔名教集会が催される、教会堂入り口。
ひとつ、教区内教徒向け、各部各手の窓口広間への入り口。
そして、彼らが対面しているこの場所。
「智が集う」、特務部智集手の専用入り口である。
「あ、でも、あの陰気な服はやめたんだね」
受付員は明良に対し、親し気な会話を続ける様子である。
「いつもいつも真っ黒で、まぁ、ピッとしてて似合ってたけどさぁ。たまには……うん、そういう軽い恰好もいいよ」
そう言って、受付員は明良の姿を下から掬うように眺め出す。
薄手の布地の、柿染めの長穿き。麻布の上着ではすでにして短い袖を、雨の湿気りを嫌ってか、肩口までまくっている。
「もう、いつヤツに遭ってもいいように冷感に備える必要はなくなったからな。自分でもそろそろ暑いとは思ってた」
「その持って回って、何のコトだか判んない喋りも相変わらずだよね~」
クツクツと笑いながら、いまだ彼の姿を眺めていた受付員は、「あ」と声を上げる。
音が鳴るほどの勢いで受付台に手をつき、自身の胸元辺りに顔を寄せてきた相手に、明良は身を引いてたじろぐ。
「……あの綺麗な首飾りは? どうしたの?!」
「あ、ああ……。ヒトに……いや、ネコにやった」
「……ネコぉ?」
担当員の顔気色がみるみると曇っていく。
「『ネコ』さんって女の子?!」
「……アイツは」
言葉を切った明良は、借りていた手拭いを受付台の上に置く。
黒髪の濡れはすっかり拭き取られたようである。最後の仕上げとばかりに頭をひとつ振ると、明良は続ける。
「アイツは……身体はオトコだが、中身はオンナだと言ってたな」
「……なにそのフクザツなカンジ!」
乗り出していた身を受付台の奥に引っ込ませると、快活な智集手受付員は口を尖らせた。
「……ヒトにあげていいものだったなら、私が欲しいって言えばよかった~」
「……いいから仕事してくれ」
「はいはいはぁい……。『記名』はいつも通り、『寅年の未名の四百五』でいいよね?」
智集手とは、さまざまな書物、記録の閲覧を提供する、この教区館特有の部門である。
すべてに目を通すにはヒトの旅路が数百回分は必要と言われるほどの蔵書量を誇り、建物全体の悠に半分はこの部門のため――書架として割かれているのだ。
この智集館の利用方法は単純である。
入り口受付で記名し、目録から書物を選択し、施設内で閲覧する。
「魔名教会所属者」、「一般の魔名教徒」、「仮名」、「未名」。大まかにはこの順で閲覧できる書物の制限は強くなっていくが、最も制限される「未名」の利用者でもかなりの量の書物を見ることができる。
書物類の持ち出しは厳禁。
内容の書き取りは可能。その持ち帰りも可能。
ここに通うことを目的として移住してくる者がいるほど、希畔の「名所」がこの「智集館」なのであった。
この親しみある受付員は、明良に対し、手順の第一である記名をようやくにして求めてきたわけである。
だが、代筆しようと帳簿を構えた受付員の手から、明良はその帳簿と筆を取った。
「……これは確か、通称とかでもいいんだよな?」
「え……? あ、うん。結局は誰がどの日に何を読んだか特定できればいいらしいから、記名と顔の一致は私が覚えてればいいし。忘れても『マ行幻燈』で思い出させてもらえるしね。なに? 少年もついに『仮名』でも授かって来たの?」
まくし立てるような受付員に構わず、明良は筆を走らせる。
受付員も、少年の智集館利用の例とは違う進行に、興味深げに帳簿上を覗き込む。
「明……良?」
筆を置くと、黒髪の少年は「明良」と返す。
「明良と読む。『仮名』でも『魔名』でもないが、俺の名だ。『幻燈』なんかの世話にならないよう、覚えておいてくれ」




