海霧と火球の雨 4
美名が飛ばした刀の閃きは、漁船の上空の霧を一直線に裁ち切っていく。
そうして開けた霧の先に、船上の一同が認めたのは――。
「ひ、ヒトか……?」
「空に浮いてるわ!」
空中に地があるように立つ、人影だった。
面相や身なりは薄霧で霞むようになっていて判然としない。その陰影の輪郭から、なにやらゆったりとした羽織ものを身に着けているようだ、と判別ができる程度。
だが確かに居る、ヒトの影。
宙に浮かんだ、ヒトの影。
「『動力』の……使い手……!」
唸って人影を睨む美名は、その身に力を込める。認めた相手に向かって、跳びつくつもりであった。
だが――。
「……退散します」
影は淡々と告げるや否や、その姿を即座に消し去ってしまった。
後に残るは、霧の中に穿たれた穴と、その先にかすかに見える青空。
クミも、漁師たちも、宙の「穴」を見上げたまま呆気にとられる。
「え? 終わり……?」
「退かせたってぇ、ことか?」
「よ、よかった……」
美名はひとり、安堵の言葉を吐いてその場にへたり込んだ。
「……よかった?」
「今のは多分……、『コ』の魔名術者だったわ……」
クミと漁師たちは「コ?!」と声を揃え、これもまた揃えたように目を丸くする。
「『コ』っていうと、『カ行動力』の最高段の魔名術者ってこと?!」
こくんと頷く美名に、禿頭の舟番頭が「そうか」と追随する。
「俺は見たことねぇが、『動力』の『王段』はその身を空に浮かべることができるって聞いたことがある……。だから、空に浮いてた今のヤツは、『コ』ってわけか……」
美名はゴウラの理解にも頷く。
「よく判らないけど、無事で済んでよかったってコト?」
「『カ行動力』は『サ行』と並んで、戦闘向きの魔名術だからね……。ホント、よかったよ……」
美名を見つめ上げながら固唾を呑むクミだったが、不意に、その美名の身体が視界の上へと昇っていく。
「わ、わわ!」
「なぁにを神妙にしてるんだ!」
美名の身体は、漁師たちに抱え上げられたのだった。
「美名ちゃんの奮いが、なんだか判らねえが俺らに『奏音』を求めた機転が、『王段』の不届き者を退けられたってことだ!」
「あ、あれは、術者の位置を知るために『覗き穴』を……って、降ろしてぇ!」
(……そうか。あの『奏音』は、そういうわけだったのね)
祭りの神輿のように担がれて困っている美名を見上げ、クミは理解する。
(霧も「動力」の魔名術だとしたら、私たちの様子を確認するために、相手は視線が通る「覗き穴」を作っていたはず。傍目には判らないほど小さく、霧が薄いか全くないかした、「穴」。その部分と他との霧の濃さの違いのために生じる、「奏音」の音の響き方の差で、美名は「穴」を特定した。当然、その「穴」の先には術者の姿があるってことよね……)
「あはは、降ろしてくださいってば!」
「降ろすもんかい! 美名ちゃんは今日の『大漁旗』よぉ!」
クミは、困るのを通り越して、楽しくなってきたらしい美名を見て、嬉しく思う。
(窮地でも諦めないで閃いて。躊躇いなく助力も頼めて。「嵩ね刀」を振るうだけじゃない。この娘は真っ直ぐに強くなっていくのね……。でも……)
友人を誇らしく想う一方で、小さなクミには疑問が湧く。
(『王段』って、こんなものなの? 比べるものじゃあないんだろうけど、洞蜥蜴のトキの、あの執拗に力をぶつけられるカンジから比べると、いやにアッサリっていうか……)
「よーっしゃ、よっしゃぁ! 霧も晴れたぁ! 帆を下ろせ! 櫂を持て! 全速で港に凱旋だぁ!」
「うぇぇいっす!」
「私を降ろしてくれないと、それもできないでしょうにぃ!」
(……ま、いいか……)
クミは目の前の楽しい光景に、思考を止めた。
「帰るわよ! それ、エイ、セイ、オォーッ!」
「おぉ、クロが音頭をとるか! 出世したもんだ!」
「ちょっと、クミぃ!」
小さな黒毛のネコは、船首に立って、声を張る。
「それ、エイ、セイ、オォーッ!」
「エイ、セイ、オーォッ!」
濃色を散りばめられた漁船の鬨の声は、ヘヤの港へ帰り着くまでの間、数千歩離れた他の船船に聴こえるほどに響き続けた。




