海霧と火球の雨 3
「カ行・焔雨」
姿の見えない何者かの詠唱の直後、火球の雨が漁船に降り注ぐ。
船上の男たち、そして小さなクミは、その光景に息を呑んだ。
「な、なんて量だ!」
「こんなの、防ぎきれるのっ?!」
銀髪の少女は紅い目に炎の群れを見据え、深く息を吐く。
「不全乃……裁断ッ!」
轟く声とともに、美名は「嵩ね刀」の剣閃をいくつも放った。
ひと振りの斬撃は数個の火球を。
周囲隈なく振られた斬撃は護りの壁のように。
甲板上で固まる者たちへ、直撃かと思われる火球はそうしてすべて裁ち切られ、掻き消されていく。
だが――。
「きゃぁ! 燃え移ったわぁ!」
火球のいくつかが甲板の床を焦がす。
海の男たちは燻る床板に向け、その身をすぐさま被せ投げた。
「燃え広がったら終わりだぁ! クロもホレ! 体使ってでも消せぇ!」
「消せったって……」
クミは目前、二歩ほど先の火種に目を遣ると、「んもう!」と叫んで黒毛の体を飛ばした。
そうしてゴロゴロと、甲板の上で身を転がせる。
「ひゃぁ! 熱い! 焦げる! 禿げる!」
「誰がハゲだとぉ!」
「ゴウラさんじゃなくて!」
黒毛を焦がした甲斐あって、クミの下の火種は消えた。
息も絶え絶えに立ち上がったクミが周りを見ると、屈強な男たちにより、どうやら他の火元も断てたようである。
「……皆さん!」
火球の雨の最後のひとつを裁ち切って、美名が叫ぶ。
「力を貸して!」
「……力ぁ?」
戸惑う男たちに、「奏音です」と美名は続ける。
「この船の周囲十歩ほど先を発する元として、『ラ行・奏音』をかけてほしいんです!」
「『奏音』を……?」
「はい。できるだけ、音色も発音の機も統一して、それ以外は静かにしてもらって……」
「……美名? なんのつもりで……」
その意図を掴めないクミを尻目に、「ラ行波導」の男たちが円陣を組み出す。それは、彼らにとっては打合せの必要もない、「音射」での体形とまったく同じものだった。
「『貸す』なんて他人行儀になられちゃいけねえ! 美名ちゃんの求めだ! 俺らの船の危機だ! 黙って魔名を響かせる正念場だぁ!」
舟番頭が「いいか!」と手下に呼び掛ける。そうして、平手をパン、パンと打ち始めた。
「桶太鼓の縁の音だぁ! この拍手の調子で今から十拍後に詠唱、その五拍後に発音ッ!」
そう言い放つと、舟番頭は平手を打つことを止めて、両の手のひらを船の外に向けてかざす。手下たちも同様に平手をかざす。
そうして、船上には沈黙が落ちた。
(……五、六、七)
小さなクミは口を噤み、美名は瞑目し、両者は心中で拍子をとる。
(……八、九、十ッ!)
「ラ行・奏音!」
男たちの詠唱が揃って発せられた。
直後には静けさが戻る。
(……三、四、五ッ!)
カンッ!
静寂を破って、軽快な打ち音が周囲に響いた。
ラ行の男たちの統率された魔名術により、まるでひとつの大きな太鼓の縁が打たれたような、「奏音」の響き。
(……美名はこれで、何をしようというの?)
クミのピンと立った耳には、船上にくぐもった音が響いただけのように思えた――が。
(いや……? なんかちょっと、違うカンジの音が……)
クミがそう感じる傍で、銀髪の少女は瞼をカッと開き、後背の霧空を振り仰いだ。
「そこよッ!」
美名は目線上の雲霧に向け、「嵩ね刀」の剣閃を飛ばした。




