名のない少女と神代の遺物 4
だが、突き出された男の拳が少女の身体を捉えることはなく、ただ何もない空をかすめるのみ。
「な、……ど……ぁッ?!」
男は当惑の声を上げたが、次の瞬間には地に倒れていた。
おそらく意識も失ったのであろう。うめき声ひとつ漏らさず、身じろぎひとつせずに臥せている。「魔名術」の効果が切れたのか、上半身の漲りは、空気の抜けた紙風船のようにしぼんでいく。
貧弱になった首筋には帯状の赤い腫れがあり、その衝撃が男をこんな事態に陥らせたのは明らかだった。
そして、倒れた男の陰で、抜き身を下げ持って立つ銀髪の少女――。
「ヲオエン?! こ、この餓鬼……」
残るふたりの男が、そろって少女を睨みつける。
ふたりともが右手を少女に突き出すと――。
「カ行・焔矢!」
「タ行・根走!」
「魔名術」を詠唱する。
直後、「カ行」の男の手からは火炎が飛び出し、「タ行」の男は足元から、周囲の木々の根先を、地面をえぐりながら迸らせる。火炎も根も、少女に真っ直ぐに向かっていく。
だが、標的となっている彼女は慌てる様子もなく、手に持つ刀剣を、ゆっくりと前に突き出した。
「な、何ッ?!」
男たちを戦慄が襲う。
空気を焦がそうかという火勢が、槍の穂先のような木の根が、ともに少女を捉えたと思われた瞬間、少女の刀剣の切先を裂け目にして、真っ二つに割れたのだ。
銀髪を揺らし、当然とばかりに薄く微笑を浮かべる少女に、男たちは戦慄したのだ。
「な、なんだ? その剣は?!」
「これ?」
少女はあらためて、自身の持つ得物をうっとりとでもするように眺める。
「神代遺物、嵩ね刀。あいにく、刀身全部じゃなくて、切先だけね」
男たちはそれを聞くと、明らかにたじろいだ様子を見せる。
「い、遺物って……」
「あ、アレだろ? 『混沌大戦』以前に主神やら十行大神が使ったって言われてる、神話上の武具や装飾品の総称……」
「実在したのか……」
男のうち、ひとりの瞳からは戦意が失われたようだったが、もうひとりは逆に、その眼光の鋭さを増した。相手は一歩、少女に向けて前にでる。
「お、おい? グノ?」
「へへっ……。『教会師からの紹介』に、『客人』に、『遺物』だ……。金になるモンばっかだ。今日はツイてるぜ」
男はニタリと笑うと、頭上で両腕を組んだ。
「カ行・焔柱ァ!」
その叫びとともに、男の両の手のひらから炎が起こり、渦を巻きながら少女に向かう。
少女はさきほどと同様に剣先を炎に向けたが――。
「なにッ?!」
自身の身体をすっぽり覆ってしまうほどの火勢に、少女は自ら飛び込んでいく。
術を放った本人でさえも驚いたが、次の瞬間の光景に、男はさらに驚かされた。
「なんだとッ?!」
炎を切り裂くようにして、少女が男の目の前に姿を現したのだ。
「がッ?!」
「え? え……、グッ?!」
彼女は男とのすれ違いざま、その首元に尋常でない速さで刀を「打ち据えた」。そこで留まらず、及び腰になっていたもうひとりの「タ行」の男にも、さらに刀を「打ち据えた」のだ。
「ふぅ」
少女のため息を合図にするかのように、男ふたりの身体はあえなく地に沈んだ。
懐から質素な紙を取り出すと、少女は刀身を拭う。そうしてから、腰の鞘に納めた。
(また、やっちゃった……)
「すごい、スゴーイ!」
少女が思い耽りそうになるのを、嬉々とした声が阻んだ。
「アナタ、強いのね。助けてくれて、ありがとう」
「あ、そうだった……」
少女は視線を下ろす。
「タ行」の男が、閉じ込める目的で作ったのであろう木の根の隘路の中で、黒毛で四つ足の獣が少女を見上げている。
長くしなやかな尾を揺蕩わせ、左右で色の違う双眸をランランと光らせている。左の瞳が晴天の空のような青。右の瞳が夕焼けの空のような赤。小ぶりな鼻の横からはピン、ピンと逆立つような長い毛が伸びており、歯牙はさほど大きくはなさそうだ。
少女は初めて見る生き物だったが、その体躯の小ささや雰囲気から、ヒトを襲う類の「アヤカム」でないとすぐに判断はついたのだが――。
「君、しゃべれるの?」
旅の中、決して少なくない種類の動物や「アヤカム」に遭遇してきた少女でも、人語を喋る「アヤカム」に出会ったのは、これが初めてであった。
「うん。ネコだけど、しゃべれるみたいね!」
「ネコ……?」
「死んだと思ったら自分がネコになってるとは。しかもオスかよ、ってね! もう何日も経つけど、いまだに実感ないんだよね!」
相手は、小柄な体にしては鷹揚に、かんらかんらと笑った。




