十字の墓標群と指針釦 1
「居坂の輩に、ふたたび魔名が響くよう」
「響くよう」
十字の石組の墓標がいくつも並んだ丘を見上げるようにして、美名たちを含む一群は、声を揃えて魔名教の冥福の祈りを捧げた。
クシャの村里のすぐそばに元々にあった、死者のための丘。
新たな死者のために、木々を伐り拓き、拡げられた丘。
魔名教では、死して居坂を離れる輩は、最後の時に自身の魔名を主神と十行大神に返上するとの教えがある。
その丘を流れた祈りの唱和は、魔名もなく、身体もなく、魂だけの旅を経たのち、ふたたび居坂に生まれ出でることが叶い、そこでもよき魔名を授かるようにと願う、悼みの言葉なのだった。
「あの……」
一心に丘に目を遣っていた美名と、その傍らのクミに、背後から声をかけた者がある。
美名が振り返ると、目の前には恰幅のよい中年の女が立っていた。
「あなたが、美名さんと……、それに『客人』様ね」
見覚えのない顔に困惑している美名に向け、相手は手の甲をかざす。
「私はユ・アキヤ。フモヤの『他奮詰所』でユリナの同僚でした」
「……ユ様……、ユリナ様の……」
「ユリナ」とは、美名の傷の手当をし、今際に「躯動強化」の魔名術を美名にかけてくれた、あの魔名術師の「個人名」である。
美名は目を潤ませて女を見つめた。
「あの子の……最後を看取ってくれたんですってね」
「ほんと、本当に……、本当に、すみませんでした……」
言葉を詰まらせながら深くお辞儀をする美名に、相手は「顔をお上げになって」と優しく言う。
それでも美名は礼を戻さない。
「ユリナさんは最高の『ヤ行』魔名術師様でしたよ!」
女が困ったような顔になったのを見て、顔を上げない美名を見て、クミが笑い飛ばすように言う。
「美名に魔名術の援けをくれて。最後の最後でも、『他奮』の魔名を誇って……響かせて……」
だが、言葉尻になるにつれて、声はかすれ、彼女の視界はぼやける。
ようやくに、ゆっくりと頭を上げた美名も、涙を幾筋も流していた。
だが彼女は、奮うようにして笑い、えくぼを作る。
「ユリナ様の魔名術の援けがなかったら、私の命はありませんでした。ユリナ様の魔名がなかったら、私の足は今、この地に立っておりません。ユリナ様は……私の旅路の守りビトです」
「そう。なら……よかった」
アキヤは穏やかに頷く。
「あの子は、普段から『他奮』の稼業を生きがいにしておりました。『ヤ行』の魔名術で輩の労働負担を軽くしたり、傷を治したり、その仕事に懸命でした。あの日も、夜半に差し掛かる頃にも関わらず、『クシャの英雄を拝見してくる。クシャの定例巡回も一緒にこなしてくるから』と、張り切って出て行って……」
そう言うと、柔和なアキヤはハッとして、美名の様子を窺うようにした。
この言い方だと、美名に気を遣わせてしまうかと気が付いたのだが、その心配はないようだった。
銀髪紅眼の少女は、麗らかに微笑を湛えている。
その輝くような姿に、今度は心打たれたがために、アキヤは息を呑んだ。
「……きっとあの子も、満足して魔名を返せたことでしょう」
「……はい」
「……間違い、ないわね」
短い悼みの会話のあと、美名とクミはアキヤと手の甲を触れさせ合った。
丘では、弔いの一連が終わった。
粛々と帰り支度を始める者、親しかった者なのであろう墓標の前で名残惜しそうに跪く者――。
旅路を終えた者たちと、明日からも旅路を行く者たち。
そんな中にあって、美名たちはリントウ一家の四人と対面していた。
「……行くのかい?」
リントウの静かな問いかけに、美名は「はい」と頷く。
「この子が生まれるまで、いらしてくだすったら嬉しいのですけど……」
弔いを終えたらヘヤの港町に向かうと告げた美名に、同じような引き留めの言葉を何度もかけたリントウ一家だったが、彼女の意志は頑なだった。
(これ以上長逗留して、リントウさんたちに迷惑をかけられない。それに、私は一刻も早く、魔名を……、新しく「力」を……)
無言のままの妊婦のラ・サナメは、美名に一歩近づくと、彼女の手をとって、自身のお腹に添えた。
「お別れに、もう一度、この子に祝福を頂けますか?」
美名はこくんと頷いて目を瞑る。
「……新しい輩の旅路に、魔名と……幸福が響きますよう」
美名の祈りが、風に乗って丘に響く。
そんなふたりを見上げていた小さなクミは、何か言いたげにサナメの衣服の裾をつかむ幼子に目を向けた。
「ヤッチも、お兄ちゃんになるんだからね。いつまでも泣いてちゃダメだよ!」
「……うん」
クミに「ヤッチ」と呼ばれたこの幼子は、クシャの生き残りのひとりである。
この子を風雪から守るようにして亡くなったふた親に代わり、リントウ一家はヤッチを引き取り育てることにしたのだ。優しい老婆の初孫は、意図せず早くにできたのだ。
「……クミちゃん、最後になでさせてよ」
「んもう、しょうがないわね……」
言う割には、ヤッチに素直に身を預け、気持ちよさそうに頭を、身体を撫でられるクミ。
「また近くに来たら、ぜひ寄っておいで」
サナメの横に並び立ったリントウが、美名に声をかける。
「僕たちは、いつでも君たちを歓迎しよう。蜂蜜料理もたくさんに、ね」
「……ありがとうございます」
そこで、美名の背後から「おい」と声が上がる。明良である。
「フモヤの連中、帰るそうだぞ。俺たちも行こう」
別れの時が来た。
「また会える時まで、お元気で。美名さんと、クミさんと、明良さんに……魔名が響きますよう」
「皆様にも……、魔名よ、響け。……お産の無事、お祈りしております」
フモヤに帰る一団の中、キラキラと輝くような銀髪を風になびかせた美名の姿は、丘の向こうに消えるまで、ずっとリントウ一家に手を振り続けていた。
「純粋な子たちだったねぇ」
「ああ。そうだなぁ」
「……眩しいくらいに」
「クミちゃん、まっくろだよ? まぶしくないよ?」
老婆と養蜂家と妊婦は、新しい家族に愛し気な瞳を向ける。
「そうね……。クミさん、真っ黒よね」
「ヤッチ。美名さんたちのために、祈ろうか」
「うん!」
ヤッチは口元に手を当て、大きく息を吸い込む。
「みんなに、魔名よ、ひびけぇ!」
男児のあどけない加護の言葉は、十字の墓標群を過ぎ、丘を乗り越え、林の木々を抜け、銀髪の少女の耳に確かに届いた。




