仕事終わりのふたたびの軒酒屋と真一文字の白
ゲイルが待ち合わせに指定したのは、翌日の夜。宵も深まりつつある頃だった。
彼の言う「仕事」とは、明良はてっきり、「守衛手」関連――作物被害などを及ぼすアヤカムの討伐かと考えていた。
明良の旧来の友、ゲイルの「守衛手」のなかでの地位は、それほど高くなさそうである。村を出てからの日も浅く、実績も経験もないであろうから当然ではあるが、その彼が「守衛手」関連の仕事を独断で斡旋するとは考えづらい。であれば、「仕事」に関係して、他の、「守衛手」内の地位の高い者と会う機会も期待できるだろう。「戦禍」について頼れるヒトを見つけ探すのにも有効か、と、明良は少し期待もしたのだった。
だが、どうやら違う。
待ち合わせにした「教会区」の南の大門を潜っていくのかと思っていた明良を尻目に、ゲイルは踵を返したのだ。
「……おい、中じゃないのか?」
「仕事終わりで飲みに行くのに、中のワケないだろ? 今日も一日、暑い中立ってるだけだったんで、喉が乾いてしょうがない」
「飲み?」と明良は眉を顰める。
「もう俺は、酒代もないぞ……。それに、しご……」
明良が言いかけたところに、肩を寄せるように身をぶつけてきたゲイルが、黒髪のかかる耳元に小声でささやく。
「いいから……、飲みに行くフリに合わせてくれよ」
「……フリ?」
やはり、どうやら、「守衛手の仕事」とは違うようである。
時折、とってつけたような会話をしながらふたりが辿り着いたのは、一軒の軒酒屋の店先であった。
昨晩は結局、日付も変わって丑の頃まで長居した、「親方とケイラの店」とはまた違う店舗。
しかし、この酒場も福城の夜の盛りの頃を迎え、店先にいても中の喧騒が漏れ聴こえてくるほどに賑わっているらしかった。
「本当に飲むのか……?」
「さ、飲もう、飲もう」
言葉とは裏腹に、ゲイルの横顔に冷ややかな色を感じとった明良だったが、ひとまずは彼の後に従う。
入店したふたり。
この軒酒屋はどうやら、客ごとの仕切り間を設けている形態らしい。
入店しただけでは客たちの顔は仕切り板に阻まれ見えないが、天井は吹き抜けてある。やいやいと騒がしい声、陽気に口ずさむような声たちは、そこから聴こえてくるようだった。
「いらっしゃいませ」
ふたりの入店を認めた給仕が駆け寄ってきた。
昨晩のケイラとは違って、落ち着いた雰囲気の女であったが、どこか目の中に虚ろな物が垣間見える、との印象を、明良は持った。
「予約してたんだけど……」
「魔名を伺えますか」
「……ンノミコ」
「ン?」と明良は、友人の顔を窺う。
「おい、ゲイル。誰か、他に来るのか……?」
「あぁ……、『ンノミコ』さんでは予約はないですね」
「……なら、座席はどこでもいいから入れてよ。あ、濁り酒と芋酒の合わせをお願い」
戸惑う明良を余所にして、冷ややかな眼光を交わし合い、ふたりはやりとりを続ける。黒髪の少年はなんだか自身の存在が場違いであるかのような錯覚をしだした。
「では、地下の御席にどうぞ」
「はいよ~」
給仕に案内されたふたりは、店舗の最奥の、仕切り戸の前までやってきた。
木製の扉には、ふたつの鍵が施されている。
女給仕は懐から鍵束を取り出し、ひとつ開錠する。ふたつめも開錠する。
客席まで案内するに不必要なまでのその厳重さに、明良はまたひとつ、不可解な気分を味わう。
戸が開かれた先は、すぐに階段であった。下に降りる、洞穴のような階段――。
「二名様、入ります」
先にゲイルが降りていったので明良も従って二段ほど降りると、背後で戸が閉められた。
そして、ガチリ、ガチリと重々しい音もする――。
(また施錠したのか……?)
「よし、ここまでくれば大丈夫だろ」
ゲイルの安堵したような声に、明良は前方に向き直った。
彼はひとあし先に、階段を下りきっていたようだ。煌々と明かりのもれる先に、身を進めて行く。光とともに、ヒトの話し声のようなものも聴こえてくる。
(先客か……?)
だが、ここでも明良は違和感を覚えた。
聴こえてくる声は、上階の騒ぎとは明らかに違う。ささやくように、潜めるように、かすかに出している声たちだ。だというのに、人数があるのか、その静かな声はいくつも重なって騒がしく、その不自然さが不安を催させる。
明良も階段を下りきった。
視界は、上階とは違い、仕切り板のない、大きな一室であった。
その広さのためか、地下の部屋だというのに圧迫感のようなものはない。
だが、それ以前に、一見して少年を戸惑わせるものがこの部屋には二種類あった。
ひとつ、ヒトの多さ。
ところ狭しと人々が立ち居て、先述のとおり、そこかしこで会話をしている。いずれも若者ばかりのようだが、それらの者の表情や眼は、上階で案内をしてくれた女と同じように、寒々と冷えきっているかのように明良には見えた。
もうひとつは、階段を下りてすぐ、正面の壁に掛けられている垂れ幕。
悠に、ヒトひとり分くらいはありそうなほど大きいものである。
布地の色は黒。
そして、全面を横断するように、巨大な筆でも用いて描かれたのであろうか、真一文字に白が走っている。
明良はこれまで、このような垂れ幕は見た事がないが、なんとも象徴的で、意味深げな意匠――。
「……仕事ってのは、ここでの仕事だ」
「ここ……? ここは一体……」
ゲイルが明良に振り向く。
「『魔名解放党』の集いの場だ」
「『魔名』……『解放党』?」
呆けたように繰り返す明良に、ゲイルは頷く。
「居坂に自由をもたらす、勇士たちの場だぜ」
誇らしげにそう言ったゲイルだったが、室に漂う不穏極まりない雰囲気に、黒髪の少年は思わず眉根を寄せてしまっていた。




